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繋いだ指は離さない【航生視点】
少し飲み過ぎた慎吾さんの肩を抱くようにしてゆっくりと歩く。
さすがに酔っているという自覚があるらしい慎吾さんは、素直に俺に体を預けてちゃんと足を動かしていた。
さすが8月だ。
深夜なのに蒸し暑い。
今日は間違いなく熱帯夜というやつなんだろう。
冷房の効いていた居酒屋からどれほども歩いていないのに、もう首筋を汗が流れていく感覚がある。
慎吾さんの体が近いせいもあるのかもしれない。
元々体温が高めなのに、アルコールのせいか普段にも増してその体は熱かった。
少しでも早くホテルに戻って汗も疲れも洗い流してもらいたい...つい歩幅が大きくなってしまいそうな自分を必死に抑える。
あと一つ信号を越えて左に折れればという所まで来て、突然慎吾さんの足が止まった。
気分でも悪くなったんじゃないかと慌ててその顔を覗き込む。
「慎吾さん、大丈夫ですか?」
俺の声に、慎吾さんがチラリと目線を俺に向けた。
ネオンに照らされたその瞳は、何故か潤んで揺れていて......
その目の意味に気付き、心臓がトクントクンと音を大きくする。
一度頭を振り、それを見なかった事にしようとした俺のシャツの裾を掴み、慎吾さんがそれをクイッと引いた。
「あの...慎吾さん...とりあえず早く部屋に戻りましょ、ね?」
「俺ぇ...航生くんと一緒にぃ、風呂入りたいねん」
「え?」
「あのホテル戻ったらぁ、一緒に入られへんやろ~?」
「い、いや、一緒にって何を......」
「東京戻ってもな? うちの部屋やとぉ、二人で風呂ってぇ入られへんやん? せえからぁ......」
「いや、だからってどこに......」
「......そっちの道行ったとこに、男二人でも入れてくれる...ラブホあんねん......」
一瞬だけ慎吾さんがその目を申し訳なさげに伏せた。
ああ、そうか...慎吾さんはそのホテルを利用した事があるのか。
それもきっと、あまり思い出したくはない記憶の中に。
本当の意味での恋人は俺以外にいた事は無いと言っていたから、そういう相手と来たわけではないはずだ。
こちらにいた頃にビデオの撮影で使ったのなら、ちょっと得意気な顔すらして話すだろう。
だとすれば、それよりも前......
勇輝さんを探して、あまり戻りたくはなかったという関西に戻ってきたばかりの頃の事...?
「あ、そこやったらな、確か風呂......」
「行きましょう。お風呂入るだけですからね」
更に説明を続けようとしていたらしい慎吾さんの体を引き寄せ、その顔を俺の胸に強く押し付けた。
何も言わなくていい、何も思い出さなくていいと。
俺と一緒に風呂に入りたいからって甘える為だけに、過去の辛い経験まで蘇らせてしまうなんて...
そうだ。
大阪は慎吾さんにとって故郷ではあるけれど、それと同時に自分を否定した家族が住む街であり、そして辛い思い出がそこかしこに残っている街でもあったんだ。
今回、慎吾さんにイベントに参加してもらったのは失敗だったんだろうか?
まだ二人でこの街を歩くのは、ちょっと早かったんだろうか?
いや、そんな事は無いはずだ。
慎吾さんは全部を乗り越えたからこそ、イベントの手伝いを自ら買って出てくれたんだ。
実際、イベントの間は本当に生き生きとしていて楽しそうだった。
すごく...幸せそうだった。
だとしたら、昔を一瞬でも思い出させてしまったとすれば、それはきっと俺が悪い。
まだどこか俺に対しての罪悪感や遠慮があるせいだ。
それを完全に取り除いてやれない、俺こそが悪い。
そう言えば充彦さん、言ってたっけ...
『何度言い聞かせても、フラッシュバックのように自分を否定するような考え方が突然顔を出す』
なんて。
これがそれなんだな...確かになかなか厄介だし、めんどくさそうだ。
ついさっきまであんなにご機嫌で甘えてニコニコとしていたのに、今はまるで怯えるように俺の背中に手を回す事も忘れて小さく震えている。
嫌なわがままを言ってしまったなんて後悔してるんだろうか。
大丈夫なのに。
誰が貴方を否定しても蔑んでも、俺は絶対に貴方の隣にいるんだから。
どんなわがままだって、貴方が俺に言ってくれる事なら何だって叶えてあげるんだから。
だってそれこそが...俺の幸せなんだから。
この街に残る辛い思い出が慎吾さんを苦しめるなら、これから全部を二人で新しい思い出で塗りつぶしていこう。
どこに行っても、嫌な事を思い出す前に俺と笑い合った事が蘇ればいい。
「やっぱり、お風呂一緒に入るだけ...なんて無理かも。慎吾さんをいっぱい甘やかして、いっぱい可愛がってあげたくなってきました」
「航生くん...ごめん、なんか...ごめん......」
「謝るの、無しです。慎吾さんは、何でも俺にしてもらいたい事を素直に言ってくれればいいんですよ。遠慮なんてされたくない。俺、そんなに器小さいですか? 甘えさせてあげられてないですか? だったらもっと甘えさせてあげられるようにでっかい男になりますからね」
「航生くんは...ちゃんとでっかい男やと思う...いっぱい甘えさせてもうてる...ただ、俺にその価値があるんかどうかって......」
「はい、ストップ。その価値を決めるのは俺です。慎吾さんが俺の中の価値観を勝手に決めないでください。俺が一生をかけてもいいって思ってる人の事を悪く言うのは、例え慎吾さんでも許しませんよ」
そっと頭を撫で、胸に押し付けていた顔を上げさせる。
うっすらと涙の滲んでいた目元に唇を落とし、できる限りの笑顔を見せた。
「何でもわがままは聞きますけど、俺で叶えられる物にしてくださいね。いきなり『家建てて!』『月に連れてって!』はさすがに無理なんで」
「......アワアワのお風呂入りたい」
「バスバブルありますかね...あ、今日貰ったプレゼントの中にあったの、カバンに入れてたかも。無かったらフロントに置いてないか聞いてみましょう」
「......アイス食べたい」
「じゃあ、ホテル入る前にコンビニ寄って行きましょうね」
「......ずっと...ずっとこれからも航生くんとおりたい! もっと航生くんの役に立ちたい!」
「いてくれるだけでも十分なんだけどなぁ...でもまずは、東京に戻ったら俺の夢をいっぱい聞いてください。んで、一緒にいる為に何をするべきか、ちゃんと話し合いましょう。あとね...ずっと俺と一緒にいるのはわがままでも何でも無い。俺、一生貴方を離しませんから。覚悟しといてください」
「覚悟なんか...そんな覚悟なんか...前からずっとできてる! ずっと前から俺には航生くんしかいてへんもん!」
改めてしがみついてきた慎吾さんは、ようやく俺の背中に手を回してくれた。
その力の強さが心地いい......
「じゃ、まずはアイス買いにいきましょうか。それから一緒にお風呂入って、時間ギリギリまでずっとイチャイチャしてましょうね」
「ハーゲンダッツ!」
「いいですよ」
「いーっちばん高いやつやで!」
「よし、いいでしょう」
指を絡め、導かれるようにしながら歩いていく。
俺達は目的のホテルを通りすぎ、その少し先のコンビニに一度も指を離す事なく入っていった。
......あのね、慎吾さん...俺は本当に貴方が大好きなんですよ...貴方に出会う前から...ずっと前から貴方の事が......
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