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ふたりのカタチ【充彦視点】

ビーハイヴ本社にあるシャワールームを借りて化粧をすべて落とし、ようやく勇輝はいつもの姿へと戻った。 穏やかな雰囲気ではあるけれどその口からは何の言葉もなく、目線は常に下を向いている。 俺も今は、特に何も言わなかった。 驚きのあまりか、本番が終わってからまともに言葉を発する事のできないでいた航生と慎吾くんを先に送り出してから、俺達もビルの出口へと向かう。 珍しい事もあるもので、そこにはやたらとピカピカに磨きあげられた黒いキャデラックが停まっていた。 こんな派手なばっかりで別に流行りでもない車に乗ってる人間なんて、知ってる限り一人しかいない。 俺は運転席へと回り、ウィンドウをコツコツ叩いた。 「こんなとこで何やってんの?」 その声に怒りや不満の色など含まれてはいないはずなのだが、運転席の影はピクリと肩を震わせる。 「あ、いやー......おつかれさん。あの...だな、ちょうど暇だったから...家にでも送ってやろうかと思って......」 いつもの艶々と無駄に綺麗に撫で付けられた髪の毛が微かに揺れ、社長は落ち着かない様子でしきりに鼻や額を触っていた。 なるほど、暇だったかどうかは別として、仕事の為に迎えに来たというつもりは無いらしい。 仕事であれば会社所有のBMWかワゴン車で来ているはずだ。 今は私物のアメ車で来ているのだから、ここにいるのはまったくのプライベートなのだろう。 「じゃあ、遠慮なく」 躊躇うように俺の一歩後ろに立っていた勇輝の手を握ると、そのまま後部座席のドアを開けた。 押し込むようにして勇輝を奥に座らせ、運転席の後ろに俺が座る。 「あー...家でいいのか? どっか寄る所なんてのは......」 「いや、今日は真っ直ぐ家でいいよ。別に買い物行かなくても、食べる物ならいくらでもあるし」 「おう、そうか.......」 俺の言葉を確認すると、社長は静かに車を発進させた。 この人は見た目の荒っぽい雰囲気とは違い、驚くほど優しく確実な運転をする。 ハラハラするなんて事が無いのはよくわかっているから、俺は安心して背中をシートに預け、深く体をそこへ沈めた。 車内には、ただエンジンがタイヤを動かす音だけが響く。 なぜだか誰もまったく口を開かず、居心地が良いとは決して言えない重い空気が俺達を包んでいた。 「ふぅ......なんか用事があってわざわざ来たんじゃないの?」 結局、その雰囲気に耐えられず沈黙を破ったのは俺。 途端に車内の空気にはピリピリとしたものが混じる。 相変わらず顔の上げられない勇輝と、やけに神経の過敏な社長の様子に、なんとなくこの重さの原因を悟った。 「あのねぇ、俺別に怒ってはないよ...水くさいとは思ってるけど」 いくらバックにどこの誰が付いていようが、周囲に多大なる迷惑をかけるであろう今回の決断を勇輝一人でできるわけがない。 いや、勿論決断は勇輝がしたとして、エクスプレス収録までの限られた時間で契約だのなんだのを一気にクリアにするには、必ずその方面に強い支援者がいたはずだ。 こちらの希望と相手の条件を擦り合わせ、歩み寄り妥協点を見つける...そんな交渉事が得意な人間は、俺の知る限り今ハンドルを握りながら冷や汗をかいている男しかいない...俺を除いては。 その折衝の巧みさがあったからこそ、わずか数年で社長はドン底から夜の世界での圧倒的な権力を誇る今の地位を掴んだのだ。 「まあ勇輝に口止めされたんだとは思うけどさ、今更俺とアンタの間にそんな隠し事はないんじゃない? 何より、俺もそこそこ当事者よ?」 「そうだな...うん、確かにそうだ。けどな、話したら『自分のせいだから』ってお前が色んなトコに頭下げに行っちまうだろ?」 「そりゃあそうでしょうよ、俺と勇輝の事だもん。俺が詫びて回るのが筋じゃね?」 「違うだろうが。今回はお前と勇輝の事でも、元はと言えば俺がお前に引退するように言ったからじゃねえか。俺のわがままにお前を付き合わせた結果だ。だったら、その元凶でありお前らの所属事務所の社長の俺が動くのが筋だろ」 「確かに俺の事については社長絡みだけどね、もう色んな所に筋は通してんじゃん。でも勇輝に関しては本人の勝手で、社長は直接関係無いだろうよ」 運転席から小さくため息が聞こえた。 さてこれは、何のため息なのか...... 「お前も勇輝もな、俺の事をどう思ってんのか知らねえが、少なくとも俺はお前らの事...弟か息子みたいに思ってんだよ。大切な所属タレントである以上に、お前らは俺にとっちゃ家族なの、わかるか?」 「ずいぶんとガラの悪い親父だなあ」 「うるせえ。ずいぶん生意気なガキだな、お前は。とにかくだ、その大事な息子がようやく自分のほんとに生きてくべき道を見つけたんなら、全力で守ってやるのが親の努めだろうが。ただそんだけの事だ...俺はお前だけじゃない、勇輝にだって幸せになってもらいてぇんだよ......」 ずいぶんとカッコいい事を言ってくれるじゃないか。 今までだって、俺達にいい生活をさせる為、瑠偉を航生に戻す為、散々頭を下げてきてくれたというのに。 隣で俯いたまま小さく肩を震わせる勇輝をそっと抱き寄せる。 「そうなると年末には、えらい年の離れた弟ができるんだよな」 「勝手に弟って決めつけるな、妹かもしれんだろうが。それにな...なんならお前ら二人の子供みたいなつもりで可愛がってくれてもいいんだぞ。年齢的にはピッタリだろう?」 「俺らゲイカップルだけど、教育上大丈夫?」 「毒牙にさえかけなきゃ問題ない。俺にとっちゃ、子育てに必要な財布が増えるから、かえってありがたいくらいだ」 「......たぶんすっげえ可愛がって、家に入り浸るよ?」 「そんな暇あるかよ。お前ら、これからガンガン稼がなきゃなんないんだから」 「あー、確かに。胡散臭い親父と可愛い兄弟の為にすげえ頑張らなきゃなぁ...勇輝と航生と慎吾くんと4人で」 「もし女の子産まれたら大変だぞ...家事が得意で性格も悪くない美形に囲まれて育つから、恋人が作れなくなっちまう、目が肥えすぎて」 何年後の話をしてるんだと思わず吹き出す。 ひどく緊張が続いて疲れてしまったのか、いつの間にか腕の中からは静かな寝息が聞こえだした。

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