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ふたりのカタチ【7】

「とりあえず色々疑問があるし、俺から聞いてもいい?」 どう話せばいいかまだ迷っている勇輝に主導権を預けるよりは、俺の方から話を振る方が言葉は見つけやすいだろう。 額にそっと唇を押し当ててふと表情を窺ってみると、少しだけホッとしたようにも見える。 やはりどこから切り出せばいいのか、困っていたらしい。 「まず、勇輝が即引退しない代わりに、3年後には全員引退...ってシナリオは誰が考えたの?」 「......社長」 「だろうね。俺が動くにしても、確かに同じような条件出してると思うわ」 「最初は...ただ『辞めたいんですけど、いいですか? いつなら辞められますか?』って相談しに行っただけだったんだ、大阪から帰ってきてすぐに」 『だから、なんでその相談が俺じゃなく社長が先なんだ!』という苦情にも似た言葉は一旦飲み込んだ。 ただ先が続けやすいように後頭部をサワサワと撫でてやりながら、ひたすら額へのキスを続ける。 「社長は、『お前は別にいつ辞めても問題ないけど、残される航生と慎吾は大丈夫なのか?』って。『お前は自分の意思で辞め時を決められるけど、航生は一人にすると自分から辞める話はできないんじゃないのか?』って」 「確かにな...だから、まず先に航生と慎吾くんの辞める時期を決めた上で話を進めたわけね。今すぐ全員辞めますなんて、さすがに仁義に欠ける話だもんな」 「うん。契約前から辞めるのが決まってた充彦はともかく、ビー・ハイヴさんからしたら俺も航生もいきなり辞めるなんて事は当然頭に無いわけじゃない? 実際、俺もまだ当分辞めるつもりは無かったっていうか...元々は航生を先に辞めさせるつもりだったし」 「それでなかなか話が纏まらなかったの? 今日まで内緒だったって事は」 「ううん、ビー・ハイヴさんは案外あっさり認めてくれたんだよ。『じゃああと3年、全力で頑張りましょう』ってね。東京のイベント前にはおおよその話はついてた」 「......え? そんな早く決まってたなら、今日まで黙ってなくてもイベントで発表すれば......」 「それはね、『まだ言わないで欲しい』って斉木さんにも杉本さんにも頼まれたから。一応充彦の引退の花道って感じでイベント進めてるから、せめてそれが終わってからでないとファンに動揺を与えるっていうのが表向きなんだけど......」 なるほど、多少オドオドして自分に自信を失っていたとしても、勇輝は勇輝。 二人の口調や態度で何やら裏に他の理由があることに気づいたらしい。 「大人の事情って事か」 「まあそこは推測でしかないんだけど、イベント終了前に二人揃っての重大発表ってなると、写真集の大量キャンセルが入るかもって思ったんじゃないかなぁ。イベントで盛り上がってる時に俺も休業発表なんてしたら、二人同時に引退するって勘違いしちゃう人がいるかもしんないでしょ。ガッカリしたり、裏切られたりって気持ちになる人が出る可能性は否定できないもんね」 「ファン心理な...俺には理解しきれないけど、確かにテンション上がってる状態で聞かされた話って印象的な一部しか頭に残らないかもしれないし、当然その事で誤解を与える可能性はあるわな」 「あとはね、俺らが昔出てたビデオの版権買い取りがまだ終わって無かったんじゃないかと思ってる」 「......ああ、はいはい。そっちの事情のが本命っぽいな。勇輝までが休業宣言てなったら、メーカーは版権料釣り上げてくるだろうし」 「あくまでもたぶんだけどね」 「まあ間違ってはないな」 勇輝が少しだけ俺を見上げ、微かに唇を開いた。 言葉を紡ぐ為ではなく別の物を求めているのだと気づき、俺はその開かれた場所へと唇を移動させる。 そっと合わせただけで満足だったのか、勇輝は唇を離すと俺を見て儚げに笑った。 「だから俺の方の発表はね、年明けにしようって話だったんだ。ところが俺達がラブホに入っていく写真が雑誌に載っちゃった......」 なぜ俺に相談が無かった!なんて自分の気持ちの事ですっかり忘れていたけれど、勇輝は...今回休業発表と併せて、これまで隠しに隠した自分の過去を自ら公表したのだ。 関わった人に迷惑はかけられないと、あれほど頑なに口をつぐんでいたのに。 「怖かった...こんな事にはならないと思ったからこそ、俺はAV男優って仕事を選んだはずだった。ここなら俺が生きてても誰にも迷惑はかけないだろうって思ってたのに、いつの間にか自分達はこんなに注目される存在になってたんだって実感して、本当に怖くなったんだ」 「時代が変わったってやつ? 勇輝と付き合ってる事を公表してる俺がまさかあんな風に写真撮られて、おまけにあること無いこと書かれるなんて思わなかったもんなぁ」 「このまま俺がこの世界に残ってたら、ますます俺と充彦のプライベート追いかけ回されて、おまけに俺の過去も...絶対面白おかしくほじくり返されるって思ったんだ。だからビー・ハイヴさんに今日のエクスプレスで休業発表したいって伝えてから、岸本さんとかルルちゃん頼って昔の常連さんに事情説明してきた」 「......大変だったな」 勇輝のことだ。 連絡を断ってしまった不義理を詫び、今後迷惑をかける事になるかもしれない事態に涙を流して頭を下げたんだろう。 自然と頭を撫でてやる手に力がこもる。 けれど勇輝は、嘘ではない笑顔を浮かべて首を振った。 「それがね、みんな不思議なくらいずっとニコニコしててさ...状況はわかってるから心配するなって言ってくれた」 「へぇ...さすがはお前の客だな」 これは本心だった。 誰がどうなんて詳しい事は知らないけれど、皆それなりの社会的地位にある人ばかりだと聞いている。 しかし勇輝の為であれば、その立場を脅かされる事になったとしても構わないのか。 いや、それ以上に...くだらない中傷記事など気にするまでもないほど、自分の力に自信を持っているという事なのかもしれない。 俺もそれに負けないだけの自信をつけなければと改めて感じ、勇輝を抱き締める腕に力を込める。 「あ、そういえば不思議な事があった。みんななんでだろう...『みっちゃんから聞いたの?』って言ってた」 ......なるほど、皆さん掲示板メンバーですか。 だからって、俺の名前を出さないで欲しい。 俺は色んな話の流れの中でたまたま掲示板の事を教えてもらっただけで、勇輝には何も話してないってのに。 首を捻っている勇輝にかける言葉が見つからず、俺はただ曖昧に笑って見せた。 「んで? そこまで色んな事を一生懸命考えたわけじゃない...一人で。なんで? なんで俺に相談してくんなかったの? 過去についてカメラの前で話すかどうかは別として、辞める事についてくらいは相談があっても良くない?」 一瞬勇輝の表情が翳る。 ひどく乾くらしい唇を一度舐めると、真っ直ぐに俺の目を見つめてきた。 「怖かったんだ...充彦に嫌われるんじゃないかって事が...本当に怖かった......」 それだけ言うと、勇輝ははぁっ...と大きく息を吐いた。

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