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FACE DOWN【2】

社長に借りた黒のキャデラックを、充彦は驚くほど器用に扱った。 車の混み合う大通りは避け、見たことも通った事もない道を抜けていく。 夏に黒い車なんて冷房も効かなくて冗談じゃないと正直思っていたが、今年はこの数年で一番と言ってもおかしくない冷夏らしく、昼間だというのに30℃を切っている今日などは窓を開けるだけでも十分心地よかった。 「ちょっと一回ここで停める。勇輝、おいで」 小さなパーキングにぴたりと一発で車を入れると、充彦は財布だけを握りしめて表に出る。 俺も慌てて後に続いた。 向かったのは、小さな小さな花屋。 充彦はニコニコとしながらそこへと入っていく。 「よぉ、久しぶり」 「あら、充彦! いらっしゃい。今年はあんまり忙しそうだから、来られないんじゃないかと思ってたのよ」 充彦を『充彦』と呼び捨てにする存在に、ついそちらをじっと見てしまう。 派手さは無いけれど、意志の強そうなキリリとした瞳が印象的な美人がニコニコと充彦に笑いかけていた。 年は充彦と同じくらいだろうか...ただの客と店員という関係とは思えない、ごく自然で親しげな雰囲気。 俺はチラリと充彦の顔を窺った。 そんな目線に気づいた充彦は、腕を伸ばして俺の肩を引き寄せる。 「やだ、今年はとうとう勇輝くんも連れてきてくれたのね。んもう...先に言っててよぉ。もう少しお洒落したのに」 「勇輝、コイツは島本佳奈。ボロボロで人間不信になった時も、デリヘルの送迎やりながらAV男優始めた時も、俺を見捨てずに応援してくれてた数少ない友達。んで...俺が童貞捧げた相手」 「ちょ、ちょっと! そんなの今の恋人に言わなくても...」 「勇輝には内緒の話、作りたくないから。この事黙ってたら、お前との関係についても少しずつ嘘ついて誤魔化さないといけなくなるだろ? 今も勇輝、『この人何者!?』ってドキドキしてるもん...な?」 ......あ、やっぱりバレてた。 確かにここできちんと説明してもらわなければ、また俺は変に勘繰って落ち込んで、勝手に自信を失うに違いない。 充彦の初めての相手は、まるで俺を兄弟でも見るように優しい目を向けてくれた。 そこに敵意も嫉妬も感じなかった事で一層安心する。 「付き合ってる頃より、なんとなくうやむやなまま別れてからの方が仲良くなったんだ」 「勇輝くん、コイツちゃんと大切にしてくれてる? 連絡とかマメにくれる? もうね、アタシと付き合ってる時とか、彼氏としてはほんとに最低の男だったのよ! 恋人よりも友達が大切とか平気で言い切るんだもん」 「あ、いえ...大切に...本当に大切にしてもらってます」 「ほらな、嘘じゃないだろ? 俺、勇輝の事は全身全霊をかけて愛してるから」 「うわっ、恥ずかしーっ。アンタ、キャラ変わりすぎだから。今までアンタがポイ捨てしてきた彼女に謝りなさい」 「ポイ捨てなんてしてませ~ん。みんな、俺に呆れて去っていっただけで~す」 「そりゃそうよ。充彦に興味もって付き合いだしても、全然自分に興味もってもらえてる気がしないんだもん」 そう言えば、俺と付き合うまでは誰とも本気で付き合った事がないと言っていた。 来る者は拒まず、去る者は追わず...だったと。 こんなにステキな佳奈さんですら、追いかけなかったのか。 「おじさんの事聞いたら、本気の恋愛なんてできない気持ちもわかったわ。まあ彼氏としては最低だけど、友達としては最高だと思うよ。人に裏切られる怖さを知ってるからこそ、充彦は絶対に人を裏切らないもん」 「あ、勇輝にはまだ親父の話とかしてないんだ。今から...お袋に紹介してからちゃんと話そうと思ってる」 充彦の...お父さん...... 詳しくは聞いていないけど、充彦が一度道を諦める原因を作った人だという事だけは知っている。 そして、歪んだ恋愛感を持たざるを得なくなったきっかけだという事も。 親子の間に何があったのか、知りたいと思う反面少し怖くもある。 俺なんかで、ちゃんと充彦が向き合おうとしている過去を受け止めてあげられるのだろうか。 そんな気持ちが顔に出ていたのかもしれない。 いつも充彦が俺にしてくれるみたいに、佳奈さんがポンポンと頭を撫でるように叩いてきた。 「勇輝くん、充彦は勇輝くんと付き合うようになって本当にかっこよくなったの。抜群にイイ男になった。見た目の問題じゃなくて、人間らしくなったって思ってるし強くなったんだよ。ほんとにありがとう...幼なじみとして、お礼言います」 「でも...男同士ですよ? 気持ちが悪いとか...無いですか?」 「何にも執着しなくて、何にも本気にならない男の方が気持ち悪いでしょ? ムキになって、なりふり構わず誰かを追いかける事を教えてくれたんだもん、何が気持ち悪いもんですか。それが気持ち悪いなら、コイツがAV男優になった段階で気持ち悪いって縁切ってるわよ」 充彦の初めての恋の相手が目の前にいるというのに、俺の気持ちは不思議と凪いでいた。 なんて素敵な人なんだろう...こんな素敵な人を大切にできなかった充彦はバカなんじゃないかと思う。 そしてそんな充彦がこうして今、他の誰でもない俺を選んでくれた事に、また勇気と自信をもらう。 「さてと、お喋りばっかりしててもなんだし、仕事しようかしら。いつもと同じでいい?」 佳奈さんの言葉に充彦が頷くと、彼女の手が鮮やかに手元の花を抜いていく。 手にしたのは...カラー? 「あれで...いいの?」 「おう。お袋、カラーがすげえ好きだったからな。菊の花束なんて、いつも明るくて元気過ぎたお袋には似合わないし」 「背筋をシャンと伸ばして、真っ直ぐ笑顔で前を向いてたもんね。だからこのカラーの真っ直ぐさがおばさんに似て見えるの......」 お会いした事も無い充彦のお母さん。 俺は認めてもらえただろうか...もしも本当に会えたとしたら。 綺麗にセロファンで包まれたカラーの束を見ながら、俺は自然と背中をピンと伸ばしていた。

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