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FACE DOWN【3】
佳奈さんの店を出て車に戻ると、充彦は『もう少しだから』と言ってアクセルを緩やかに踏み込みながら色々な話をしてくれた。
佳奈さんとはあまりに仲が良すぎて、元々あまり恋人という感覚ではなかった事。
特別興味があったわけではなかったけれど佳奈さんがやけに積極的で、勢いでセックスしてしまった事。
友達と恋人の間という曖昧な関係が心地よかった自分と違って佳奈さんの方は実は真剣で、セックスはするのに決して特別な存在だと認めてくれない充彦にうんざりして離れていってしまった事。
専門学校に進んで新しい彼女ができたものの、すぐにフラれてしまった事。
その彼女と別れた事と別れ際の捨て台詞で、佳奈さんに対して自分がいかに酷い仕打ちをしたかわかった事。
ずっと友達でいたかったのに、安易にセックスをしてしまったせいで大切な関係を壊してしまったのだと激しく後悔した事。
泣き崩れて動けなくなっていた自分の背中を、いつの間にか佳奈さんが泣きながらずっとさすってくれていた事。
そして......俺に過去の出来事をすべて話す決心がついた時には、佳奈さんを『一番大切な友達』と紹介しようと決めていた事。
「もっと早く紹介してくれても良かったのに......」
「うん、まあな...別にお前を信用してなかったわけじゃないんだよ。でも...ほら、勇輝って結構俺に対して引け目とか負い目感じてただろ? そんな勇輝に、『これが俺の初めての彼女です』なんて紹介するとまたドーンと落ち込みそうだなぁって思ったんだよね。仕事以外での俺が女といた現実ってのを見せたら、お前を傷つける事になるんじゃないかなって」
『そんなわけあるか!』と胸を張って言いたいところだけど、今そう思えるのはすべて充彦が俺の不安を一つずつ取り除いてくれた結果だ。
充彦と並んでも何ら遜色の無いあの佳奈さんに会ってしまうと、確かに以前の自分ならば『やはり充彦には女性が似合う』なんて考え、別れすら意識していたかもしれない。
今更そんな言葉を口にする必要も無いだろうと、ただ充彦の方を向いて笑って見せた。
「ちなみに佳奈は、もうちゃんと結婚してます。俺と別れた事で傷ついてボロボロになってたアイツをずっとそばで支えてた、俺らと同じ高校の同級生でね、俺と佳奈の関係を知ってるのに友達として付き合うのをちっとも嫌がらない、すげえイイ奴。でもさ、今はなんも無いってわかってても、やっぱり昔の男と普通に会ってるってなったら気分は良くないだろうなぁって思ったから......」
「お母さんの為のお花を買うときにしか...会わないって決めた?」
「ん、まあ...そんなとこ? 正確には、『本当に大切だって思える人ができて、その人を堂々と紹介できるまでは店以外で会わない』って。だからね、今度は佳奈の旦那も一緒にみんなで飯でも食いに行こう。なんか俺の友達関係に付き合わせて悪いんだけど」
「悪いわけないじゃん。つか、俺でいいの?」
「はいはい、佳奈に紹介した後からそういう事を言わな~い」
クスクスと笑いながら、充彦が大きくハンドルを切った。
そこから少し進んだ所で車が止まる。
一度充彦が車から降り、傍らの空き地のチェーンを外した。
そのスペースに車を入れると、カラーの花束を手に取る。
「着いた?」
「おう。あ、悪いけど、お菓子詰めてきたお重持ってきてくれる?」
花束と併せて、後ろの座席に置いた雑巾やろうそく、線香も纏めて手にした充彦は古い木戸を抜けていく。
お重の入った保冷バックを肩に掛けて、俺もその背中に続いた。
入り口に積み上げてある水桶にたっぷりと水を張り、そこにひしゃくを突っ込むと、一度中に声を掛ける。
「こんにちは~。ご無沙汰してます」
「はいはい、どちら様で」
顔を覗かせたのは、見事に頭を剃り上げた小さなおじいちゃん。
本当に失礼な言い方かもしれないけれど、ニコニコと笑うその顔は、なんだかそのまんまお地蔵様を思わせた。
「おやおや、充彦くん。今年はもう来ないのかと思ったよ」
「いや、ちょっと忙しかっただけです。あ、これお供えと...良かったらまた皆さんでどうぞ」
懐から小さな包みと、保冷バックからお重の一つを差し出す。
お地蔵様のようなおじいちゃん...この古くて小さなお寺のご住職は、それに一度しっかりと手を合わせると素直に受け取った。
「いつも悪いね」
「とんでもないです。母が亡くなった時にかけていただいたご厚意にはまだまだ足りないくらいで......」
「充彦くんのお祖父さんには、本当に良くしていただいたんだ。こちらこそ何のご恩もお返しできてないくらいだよ」
「でもこうして母が安心して眠っていられるのも、住職様のお陰ですから。では、母に挨拶してきます」
頭を下げて奥へと進んでいく充彦に倣い、俺も小さくお辞儀をして動き出す。
ちょうどご住職の横を過ぎようとした所でポンと肩を叩かれた。
変わらず穏やかで、お地蔵様みたいな顔が真っ直ぐに俺を見る。
「充彦くんを...どうか幸せにしてやってください」
それだけ言うと、ご住職は建物の中へと静かに戻っていく。
爽やかに晴れていたはずの空には重そうな雲がいくつも広がり、上がってきた湿度のせいで額に浮かんだ汗はいつまでも引かなくなっていた。
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