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FACE DOWN【4】
ご住職の言葉に一瞬足が止まり、慌てて先を行く充彦を追いかける。
本堂と思われる建物の裏側にある墓石の間を抜け、一番奥の、他よりも少し大きなお墓の前で充彦は立ち止まっていた。
「......ここ?」
「うん、うちの代々の墓。じいちゃんがこのお寺の檀家総代やっててね、本堂の修繕とか新しい仏さん入れたりするときに資金集めるのに結構走り回ってたらしいよ。そのおかげで、母さんが亡くなった時には金も出せないのに法要とか全部さっきのご住職がやってくれたの」
穏やかな顔で一度俺の方に笑顔を向けると、スポンジを水で湿らせて墓石を丁寧に磨き始めた。
俺は使い古しのタオルを手に、スポンジの後を綺麗に乾拭きしていく。
「俺が来ないと思って、誰か掃除してくれたみたいだな。住職さんかな......」
「いや、たぶん佳奈さん。ほら......」
線香を炊いた横には、一本だけ挿したままで萎れたカラー。
お盆になっても店に現れない充彦を気遣って、そしてここに眠るお母さんが寂しくないようにとわざわざ来てくれたんだろう。
なんて素敵な友達だろう。
そんな友達にここまで大切にされている充彦も、なんて素敵なんだろう。
そして今の充彦の基礎を作り、友達からは今でも『カッコよかった』と言われる充彦のお母さんは、本当に素敵な人だったんだろうなって改めて思う。
会ってみたかったな...お母さんが生きていれば充彦が今の仕事に就いている可能性は限りなく低いわけで、当然俺とは出会っていなかっただろう。
それでもやっぱり、充彦のお母さんに会いたかった...生きていて欲しかった。
そっと手を合わせ頭を少し下げただけで、自然と涙が溢れてくる。
充彦の大きな手が俺の頭をポンポンと叩いた。
「なんで勇輝が泣くかなぁ」
笑いながらそんな事を言いつつ、それでも俺に『泣き止め』とは言わず充彦はお墓の正面に腰を下ろした。
目の前の広い背中は、俺に『泣いてくれてありがとう』と言ってくれているようにも見えて、ますます涙が止まらなくなる。
カラーの花束と持ってきたお重をお母さんの前に置き、手の中の線香に火を点けてそれをそっと傍らに立てた。
「母さん、今年は来るのが遅れてごめんね。おかげさまで、すごく忙しかったんだ。そうだ、ちゃんと紹介しないとな。ずっと連れて来なきゃって思ってたんだけど、なかなか昔を思い出す勇気が出なくてごめんね。ようやく過去に向き合う決心付いたから...後ろで俺の代わりに泣いてるのが、勇輝。これから一生一緒に歩いて行こうって決めた相手だよ。すごい美人だろ? ろくでなしだった俺にしては、イイ相手見つけたと思わない? 佳奈泣かせて、母さん一人に苦労背負わせて、だけどなんにもできずにただ泣いてた俺がさ...誰かと一生を共にしようと考えられるようになっただけでも成長したろ?」
「初めまして、辻村勇輝です。ご挨拶が遅くなってすいません」
「そうだ、俺男優辞める事になったんだよ。ちょっと遠回りしたけどさ、改めて菓子職人の道に進む事にした。すごいんだ、勇輝は勿論、俺の周りにいつの間にかいっぱい人間がいてさ、んでそのみんなが俺の夢を後押ししてくれてんの。最初は母さんに喜んでもらいたいってだけで作ってたお菓子なのにね、知らないうちにそれがみんなの夢になったんだ。それってなんか、すごくない? 男優の仕事には俺なりに誇りは持ってたけど、でも...今度は俺だけじゃなくて、母さんにも誇りを持ってもらえる仕事するから」
「俺、男ですいません。充彦の赤ちゃんを見せてあげることはできません。でも代わりに、充彦を幸せにします、約束します。陰になり日向になり、ずっと充彦を支えて二人で歩いていきます。だからどうか許してください...見守ってください」
「俺、結婚する気も子供作る気も無いの知ってたもんな? 許すも何も、俺の幸せだけを考えて死んでったんだもん、俺の相手が勇輝なら、母さんはたぶん大喜びだよ」
お重の蓋を開け、充彦が中から取り出したお菓子を俺に向かって差し出す。
それは飾りも何も無い、シンプルなただのクッキー。
一口頬張ると、シンプルな分小麦とバターの香りが鼻に抜けて、これはこれでなかなか旨い。
「そのクッキーがね、俺の原点。父親の尻拭いで顔が険しくなってた母さんに、学校で習ったこのクッキー焼いて出すとすごい優しい顔に戻るのが嬉しくて...お菓子ってすごいな、人を楽しい気分にできるんだなって思ったのが最初だったんだ」
素朴な美味しさ。
それはまだ幼かった充彦がお母さんの為に作った、初めての大切な味。
そう思えば、この優しい味の意味もわかる。
俺は手の中のそれをしっかりと味わって食べた。
「さてと、んじゃボチボチ俺ら帰るわ。今度は佳奈んとこの夫婦と一緒に来るよ。あと、これから俺の仕事の時の相方になる予定の奴とかも一回連れてくるね」
最後にもう一度手を合わせると、充彦がヨイショと立ち上がった。
ますます湿度が上がってきているのに、やけに肌をひんやりとした空気が包んだ。
空は一面、すっかり重そうな雲に埋め尽くされている。
「充彦、早く帰ろう。もう雨が降ってきそうだし」
「......悪い。あともう一ヶ所だけ、どうしても行かないといけないんだ。そこで最後だから...そこまで付き合って?」
変わらぬ様子で穏やかに笑って見せる充彦の額には、湿度のせいとは違う汗が滲んでいた。
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