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FACE DOWN【6】

「これはね、母さんが死んでから最後まで会社に残ってた最古参の社員さんとか世話になってたらしい取引先の人とか、あとは社長に拾ってもらった時に俺をボコってたヤミ金の取立屋とかにちょっと前に聞いた話なんだけどさ......」 「ちょっと待った! 充彦をボコった取立屋なんでしょ? そんな人と付き合いあるの? いや、そもそもちょっと前って......」 「まあ...その時以来の腐れ縁ってやつ? 向こうからしたら『見所ある』とでも思ったのかもな。まだ社長の仕事が夜オンリーの頃には、ある意味持ちつ持たれつみたいな関係になってたし。そりゃ、俺が背負わされた結構な借金を、何も無しにチャラにするってわけにもいかないだろ? 社長にしろそいつらにしろ、お互い旨みがあったんだよ、表に出せない部分で」 「そういう事もあるんだ...ふーん...難しい関係だね」 細かい理由はまだわからないけれど、不本意に借金を背負わされたという充彦。 その充彦を、借金した本人ではないにもかかわらずギリギリまで追い詰めた人間と『腐れ縁だ』と割り切って付き合うのはどんな気分なのだろう? 持ちつ持たれつという事は、俺が知り合うまでの充彦は、社長と共にそれなりに危ない仕事にも手を染めていたという事なんだろうか? 「引いたろ?」 「なんで?」 「エセ爽やかな、ただのエロい人じゃないってわかって」 「ただのエロい人じゃないのはとっくに知ってるもん。ほんとにそんな薄っぺらい人間だったらさ、俺がこんなに気持ちも体も許せるわけないじゃない。辛い事も汚い事も知ってて、それでも優しく強くいようとする人だから...俺がこうやって安心して甘えられる」 「あんまりイイように言わないでよ。俺なんてそんな大層なもんじゃないっての......」 充彦の長い腕がゆっくりと伸びてくる。 そのまま頭をワシャワシャと撫でると、ぐいと強く胸元に引き寄せられた。 心臓の...音が...早い...... 「は~い、じゃあちょっと今からね、最低最悪のクソ野郎の話をします。ほんと、生きてる価値の一つも無いような男の話ね。そして俺にはそのクソ野郎の血が半分流れてます。汚い汚い、詐欺師で裏切者の血で~す......」 俺は胸元から顔を上げ一度真っ直ぐに充彦の目を見つめると、逆に充彦の頭を俺の胸へと押し付けさせた。 背の高い充彦にはひどく不自然な体勢かもしれないけれど、その体ごと包み込むようにしっかりと背中に腕を回す。 「前置きはいいからさっさと話せよ。あのな、あんまり俺の事見くびんな...俺がどんだけお前に惚れてると思ってんだ。何にビビってんのか知らないけど、俺が充彦の話を受け止めらんねえとでも考えてんのか? そうじゃないだろ? 俺だから受け止められるって...俺に受け止めて欲しいって...そう思ったからここに連れてきたんだろ? 話せよ...大丈夫、心配いらない...だって聞いてるの、俺なんだから」 今までこんな言葉を吐くのは、大概決まって充彦の方だった。 いつだって不安になって戸惑って動けなくなるのは俺の方だった。 抱き締める直前にしっかりと目に焼き付けた充彦の顔。 あんなに心細そうな、あれほど惨めな表情は見たこと無い。 「嫌いにならないかなぁ...俺の事、信じられなくなんないかな...あんな奴の血が流れてるとかさぁ...怖いよ、すげぇ怖いんだよ......」 「あのなぁ、嫌いになれる方法があるんなら教えろ。俺、お前のこと好き過ぎて頭おかしくなりそうだし」 つい昨日、充彦が俺に向かって言った言葉。 今日は、同じ事を俺から言ってやる。 昨日は俺があんなに慰められ甘やかされていたというのに、今日は震えるこの大きな男の背中を俺がそっと撫でている不思議。 充彦には申し訳ないけれど、その事が妙に嬉しくもあった。 俺がただ一方的に充彦に頼っているわけではない、ちゃんとこうして支えてやれているという事が。 この場所に来るまでは、きっといつもと変わらずどこか飄々と、少し冗談めかした昔話としてすべてを話すつもりだったんだろう。 いや、『話せる』つもりだったと言う方が正しいのかもしれない。 実際、充彦から悲壮な空気なんてのは感じなかった。 けれどここに立った瞬間から、普段の態度とは明らかに違うピリピリとした空気を醸すようになった。 できるだけ平静を装おうとはしながらも少しずつ落ち着きを無くし、言葉の端々に滲む卑屈さを隠そうともせず。 おそらくこれは、俺の知らなかった充彦の最後の顔。 そしてこの場所が、これから二人で前を向いて歩いて行くために乗り越えなければいけない充彦の本当の過去。 そう思えば、この場所に連れてきてくれたという事実こそがただ純粋に胸を締め付ける。 「俺ちゃんと聞いてる、ちゃんと受け止める。だから...知ってる事も思った事も、全部話して。ゆっくりでいいから」 背中を撫でる手の動きに合わさるように胸元で大きな呼吸が3回聞こえ、頭がそこから離れていく。 ゆっくりと上げられた顔はまだまだいつもとは違って不安げだったけれど、それでもその目は憎悪にも似た強い光を放ちながら真っ直ぐに前を見据えた。

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