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似た者同士【2】

  瑠威は最初の一杯に飲み干してしまってからはおかわりをしなかったので、結局俺と勇輝の二人でボトルの残りは空にしてしまった。 「シャンパン、嫌いだった? 酒飲めるんじゃないの?」 不安げに尋ねた勇輝の声に、瑠威はブンブンと勢いよく首を振る。 「いや飲めます、酒は本当に飲めるんです。ただ、あの...俺、ワインとかシャンパンとか、そういうの飲み慣れてないからあんまり美味しさがわからなくて。せっかく飲ませてもらっても俺には価値わからないし...そんなろくに味もわかんないようなヤツに、せっかくの高い酒飲ませたら勿体ないじゃないですか。だったら味のわかる人が飲むべきだよな...って」 一度目を丸くし、それから呆れたようにその目をスーッと細めた勇輝。 俺はまた立ち上がって、今度はごく普通の缶ビールを3本持って席に戻る。 「ほれ、これなら味わかるだろ。まさかビールも味がわかりませんなんて言わないよな?」 「ビール大丈夫です、大好きです...なんかほんと...すいません、気を遣わせて...」 「気ぃ遣ってんのはどっちだよ、まったく。味がわかろうがわかるまいが、『高い酒だ!』って飲んだって俺らにはわかんないってのにさぁ。何が勿体無いだよ。とりあえず焼酎でもウィスキーでも何でもあるから、お前の好きなの飲みな」 瑠威はようやく落ち着いた顔になり、ビールのプルタブを引いた。 旨そうにそれをゴクゴクと喉を鳴らしながら一気に流し込む様子に、なんだかちょっと嬉しくなる。 「友達と遊んだりしないんなら、お前普段は何やってんの? 遊び慣れてる感じはないし、まさかナンパだなんて言わないよな?」 この部屋に来たときは、間違いなくチャラチャラとした軽くて安っぽい印象だった。 とても今目の前にいる、妙に生真面目で大人しい男と同一人物とは思えない。 だけど、今の瑠威こそが本当の瑠威なんだろう。 憑き物が落ちたようなその表情がそれを物語っている。 「まさか、ギャンブル?」 「服とかアクセサリーに拘ってる感じも無いし、ショッピングってわけでもないだろ?」 「あ、ギャンブルは一切やらないです。服も滅多に買わないから...普段は、本屋にいるか図書館行ってる事が多いかな」 「......は?」 「本? 図書館?」 ちょっと申し訳ないくらいに大きな声で聞き直してしまい、瑠威は顔を真っ赤にして俯いてしまった。 いやでも、休みの日に何をしてるか訊ねられて、ハタチやそこらの男...それもゲイビデオに出てるような金髪男に『図書館』なんて言われたら、そりゃあ驚きもするし聞き間違いじゃないかとも思うだろ。 「えっと...お前の一回のギャラが15万なんだよな?」 「あ、はい、まあ撮影の内容にもよりますけどだいたいそのくらいです。たぶんあの世界ではわりと高い方だと...」 「相場は1本5万から10万くらいみたいだな。あとは名前だけで売れるだけの数字持ってるヤツは更にギャラが上がるらしい。ま、よその会社に引き抜かれるの防ぐためなんだろうな。瑠威はその、名前だけで売れる一人なわけだ」 「じゃあ、だいたい週一回ペースで撮影あるとして、月収60万以上はあるんだ?」 「あ、いえ...撮影によっては体ボロボロで使い物にならなくなるんで、2週間くらい現場に出られない事もあるから。だからさすがにそこまではいかないです。まあでも、50近くはあります...かね」 「はい? 体ボロボロで使い物にならないって、一体お前どんな仕事してんの!? それも2週間だぁ!? ああ...まあ今はちょっとそっちの話は置いとくわ。でさ、その金何に使ってんの? ギャンブルしない、服も買わない、女もいないって...」 「......ほとんど貯金してます。昔色々あって...これからやりたい事もあるし」 「色々ってのはさ、俺らが聞かせてもらっても問題ない感じ?」 勇輝は穏やかな笑みを作り、瑠威の持っている缶を軽く振る。 「充彦、おかわり。あと、つまみも! あ、瑠威はまだビールでいい? もしカクテル飲むって言うなら、久しぶりだけどシェイカーとか振ってやろうか?」 「んなことできるんですか!?」 「まあね。俺、元バーテンダーだし...とはいえ、シェイカー振ってるより腰振ってる方が多かったんだけど」 勇輝の説明に瑠威はポカンとしていた。 まるで、頭の上にいくつものクエスチョンマークがピヨピヨと飛んでるみたいだ。 「まあまあ、その辺はまた追々話すって。んで何飲む?」 「ほい、とりあえずこれはビール用の茹でピーナツ。カクテル飲むならそれ用のつまみも出すよ。お前が飲めるならポン酒もあるけど? スパークリングの吟醸なんかも冷やしてあるし、もし嫌いじゃないなら飲んでみる?」 改めて尋ねるまでもなく、瑠威の目はキラキラ輝いた。 酒が好きというよりも、旨い物や珍しい物への好奇心が旺盛なのか? そういえば、さっきシチュー食ってる時も相当テンション上がってたし、見てるこっちが嬉しくなるくらいに楽しそうにニコニコしてくれてたっけ。 ...美味い物を本当に美味そうに食べる人間て...大好きなんだよなぁ...悔しいけど。 そんな瑠威の反応に、勇輝がそっと立ち上がった。 「よし。瑠威は日本酒がご所望と見た。んじゃね、和食系おつまみ担当の勇輝くんが、今から日本酒にぴったりなツマミをお出ししましょう」 まずはテーブルに、キンキンに冷やした日本酒のボトルをワインクーラーに突っ込み切子のグラスを3つ置く。 そのまましばらくは、冷蔵庫を開けたり包丁で何かを刻んでいるような音が響いた。 そんな勇輝の後ろ姿を見ている瑠威は、まるで『待て』と命令されている子犬のようだ。 ご主人様がエサを準備してくれるのを、ヨダレ垂らして尻尾を振りながらワクワクして待っている子犬そのもの。 「瑠威、お前『食べる事』がすげえ好きなんだな。さっきからずーっと目がキラキラしてる」 「...はい、大好きです。あ、本読む以外だと、料理したり飯食いに行くのが趣味かも。うん、それくらいしかお金使わないです」 「さ~て、食べる事が趣味とか言ってる人の口に合うかはわかんないけど、とりあえずおつまみ参上!」 勇輝が大皿を両手に持ち戻ってきた。 「はい、こっちは中華風冷奴な。んでこっちはカラスミ大根」 「カラスミ? うわっ...うわぁ、俺、こんな大きいカラスミとか食べるの初めてです! あのパスタとかの上にパラパラッてかかってるのしか見たことない!」 「そっかそっか。俺らも特別趣味とか無くてさ、唯一の趣味が旨いモン作って食うことだから。冷蔵庫にも冷凍庫にも売るほど色んな食材入ってんの。ほら、遠慮はいらないから、食って飲んでパーッとやろうぜ」 瑠威の目がまだカラスミに釘付けになってるから、横から俺がボトルを取ってグラスにそっと日本酒を注いだ。 「うわっ、うわっ、ほんとに...ちゃんと日本酒の匂いなのに炭酸だ」 「スパークリングの日本酒、初めてか? これ少し甘口なんだけど、案外すっきりしててすっげえ飲みやすいんだよ」 瑠威の興味は、今度は俺の手元に移ったらしい。 なんだかまたパタパタと尻尾が見える。 「なんかお前、ほんと可愛い...」 小皿と箸をテーブルに置いた途端、勇輝がムギューッと瑠威を抱き締めた。 一瞬ビックリしたけれど、その顔色を見て納得だ...どうやら勇輝は、既にちょっとだけ酔っているらしい。 元々二人とも酒は弱くないし、他人に迷惑をかけるような酔い方はしないタイプだと思う。 ただ勇輝に関しては、軽く酔って気分が良くなってくると、自分の感情を抑える力が少しばかり弱くなるのだ。 最初に二人で一気に空けたシャンパンが効いているのかもしれない。 野良猫どころか、まるで子犬みたいな瑠威を見た途端『可愛い!』って気持ちが抑えられなくなったんだろう。 驚いてるみたいだし、一応瑠威には話しておくか... 「あのな、こうなってる勇輝は、それはそれは非常にご機嫌なの。楽しくて気分良くて仕方ないとこうなるんだわ。もうじき俺にくっついてチューばっかりしだすと思うけど、お前引くなよ? あ、意識も記憶もしっかりしてるから心配はいらない」 「は、はい...でもなんか...ほんとに大丈夫ですか?」 「平気、平気。ほら勇輝、いつまでもそうやってくっついてたら、瑠威が酒飲めないしつまみも食えないだろ。ちゃんと座ってやれよ」 まだもう少しだけギュウギュウしていたかったのか、勇輝はちょっとだけ不満そうな顔をしながら椅子に戻る。 瑠威はようやく落ち着いてグラスを手に取ると、嬉しそうな顔のままで中身を一気に飲み干した。 「う...う...うんまーい!」 「そりゃあ良かった。でも、いくら飲みやすくても日本酒だからな、あんまり一気に飲んだら回るぞ。ちゃんと食い物も腹に入れろよ」 あ...俺が言い終わる前に、ガツガツつまみ食い始めてた。 で、やっぱり嬉しそうな顔でニッコリ笑ってくる。 「かわ......」 また抱き締めに行こうと立ち上がりかけた勇輝を椅子に押し留め、俺は瑠威のグラスにおかわりを注いだ。 「あ、さっき不思議そうな顔してたから教えといてやる。勇輝はな、昔バーテンダーとして働いてた店で、酒だけじゃなくて体も売ってたの。客は男も女も、タチもネコもいたらしいよ。だからシェイカー振りながら腰も振ってる...ってわけだ」 「ああ、さっきそういえば『周りは客ばっかり』って」 「うん、『大切にしてくれる客』な。勇輝はその店でみんなから愛され、みんなから本当に大切にされてたらしいから」 「でも、どんなに大切にされたところで、やっぱり友達じゃなくてお客さんだからね...」 ボリボリと大根をかじりながら、勇輝がポツリと洩らした。 「当然プライベートで遊びに行くような仲じゃないし、悩みを相談できる人もいなければ誰かとケンカした事もなかったもん...」 「あ、あの...俺もです...中学出てからは、プライベートで腹割って話をできる人なんて一人もいなかった...」 真似をしたわけではないだろうが、瑠威も大根をボリボリかじりだす。 なんだか仲間外れになるのもシャクだったから、俺も大根をボリボリ食ってやった。 「なあ...あんなに辛くて嫌な思いして、おまけに体自体ボロボロにしてまで稼いだ金さ、使わないで貯めてる理由って...何?」 その勇輝の質問に瑠威の大根をかじる口が止まり、何かを吹っ切るように大きなため息を吐くとまたグラスの中の酒を一気に煽った。

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