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似た者同士【3】

  「あのぉ...俺...大学入試資格取って大学行きたいんです。それで、今勉強しながら金貯めてて...」 「えっと...大学入試資格って、昔の大検か?」 「...そうなんだ...勉強してんだ...」 瑠威は小さく頷き、チビチビと舐めるようにグラスに口を付ける。 その頬はほんのりと赤く色づいていた。 「んで、それって何か目的があるからだよな? 別に単に大卒の肩書きが欲しいだけってわけじゃないんだろ?」 「...大学入って、ちゃんとした栄養学勉強したいんです」 「栄養学?」 「はい。食物アレルギーについてきちんと正しい知識付けて、んで栄養士の資格取って...俺ね、いつかカフェやりたいんです。お母さんも子供も、アレルギーのある子も無い子も、みんなが安心して来ることができて、楽しくて美味しくて笑顔になれるような、絵本が一杯のカフェを」 親子で来られる...カフェ? 想像もしていなかった上に、かなり具体的なその夢に正直驚いた。 勇輝はと言えば、それほど意外とも思わなかったのか、落ち着いた顔で瑠威をじっと見ている。 その穏やかな瞳に背中を押されるように、瑠威はゆっくりゆっくり言葉を選びながら話を続けた。 「俺の家ってね、母子家庭だったんです。父親についてお袋は一切話さなかったんですけど、まだ小さかった頃に親戚だって人達がコソコソ話してるの聞いたところによると、俺がまだお袋のお腹にいた時によそに女作って逃げたらしいです。まあ当然認知なんてのもしてもらってるわけもなくて...俺、父親なんて影すら知らないんですよね...」 俺はチラリと勇輝を見る。 酔っているからなのか、瑠威の話を聞いても特に表情は変わっていない。 頬杖をつき目を閉じたまま、ただ黙っていた。 「お袋は朝も夜も働きづめで、本当に大変だったと思います。俺が小学生のうちは『働く母親に理解があるから』って理由で、時給は安くても朝から夕方までスーパーの惣菜コーナーで働いて、夜中は夜中でパチンコ屋の閉店後の清掃とかやってました。そりゃあもうあの頃は毎日毎日、ほんと寝る間も惜しんで働いて」 「すげえなぁ...いいお母さんじゃん」 目を閉じたままで、まるで息を吐くようにポツリと洩らした勇輝。 そう言った勇輝はなんだか泣いてるように見えて...そして言われた瑠威も、今にも泣き出しそうに顔を歪めた。 「いい母親だった...と思います。全然裕福じゃなかったはずなんだけど、その頃自分の事を貧乏だなんて思った事もなかったんですよ。何より、頑張ってるお袋の姿は誇りだった。だから俺ね、塾に通ってるヤツなんかに負けるもんかってすげえ勉強してたから、結構成績も良かったんですよ」 「そんないいお袋さんいるのにさ、こんな仕事してていいのかよ。お袋さん、泣かせる事になんじゃ...」 不用意にそこまで言ってしまいハッと思い出す。 そんなお袋さんが傍にいれば...こいつは今こんな仕事はしていないだろう。 母親の懸命に働く背中を見て育ち、そしてそんな母親が誇りだったと素直に言える瑠威が、安易に『体を売る』仕事には就けないはずだ。 嫌で嫌で仕方なくて、プライドも何もかも踏みにじられるような『金』を得る為だけの仕事になんて。 ならば今は、どういう理由であれ...その母は近くにはいないという事だ。 慌てて自分の言葉を謝罪しようと口を開きかけた俺に、瑠威は首を振った。 「気にしないでください。勿論ね、お袋がいたらこの仕事はしてなかったと思います。でもお袋はもう...いないから」 「ごめん...ちょっと無神経だった...」 「だからぁ、謝らないでくださいって。本当に気にしてないですから。お袋ね、俺が中学に上がった頃に『これからは受験だの予備校だのってますます金がかかるだろうから』って仕事変えたんです。ほら、もうさすがに中学生になったら風邪だの腹痛だのって、そこまで気にしなくても良くなるじゃないですか。熱がちょっと出たくらいなら無理に仕事休まなくても俺だけでもどうにかできるし。それで時給の安いスーパー辞めて、昼間は保険の外交、夜はスナックで働くようになりました。俺も少しでも家計助けたくて、学校の許可もらって新聞配達始めてね。あ、お袋、外交の成績がすごく良かったらしくてね、メチャメチャ給料上がったみたいなんです。おまけにわりと若くて美人だって、スナックでも結構人気あったんですって。おかげで生活は一気に楽になったし、お袋は毎日生き生きと過ごすようになりました」 「なぁ...お前、もしかしてお母さん似?」 「そう言われてましたね。まあ、父親の顔知らないから俺はわからないんですけど」 「お前がお母さん似だってんなら、美人でモテるのわかる気がするわ」 少し重くなっている空気を紛らせようと、わざと明るい口調で笑顔を向けてみる。 勇輝は新しいつまみを用意するフリをしてキッチンへと向かった。 けれどその背中は、ほんの少し震えて見える。 「ここからは俺の見た話じゃなくて、後から噂話として聞かされた事がほとんどなんですけどね...スナック勤めしてる間に、どうやらその店の常連と次々に関係持って小遣いせびりだしたらしいんです。おまけに、結婚ちらつかせながら保険の契約まで取ってたみたいで...じきにそれが店にバレて、クビになったんですよ。店で客同士がお袋の事で揉めに揉めて、すっごい修羅場になったらしいんですよね。おまけに保険会社の方も、取ってきた契約がガンガン解約になったからってドカッとペナルティくらったらしくて。二度と不祥事は起こさないみたいな誓約書を提出するように言われたとかで、必死に親戚に保証人になってくれるように頼んでましたもん。それでもね、生活できないほどの給料ってわけじゃなかった。贅沢さえしなければ、普通に暮らしていけるはずだった。だから俺はそれでいいって言ったんです...俺の新聞配達の給料もあるから、もう無理はしなくてもいいって。だけどね...少しとはいえ、一回贅沢覚えちゃうと人間てダメなんですね...。お袋は、二度と貧乏なんて御免だって...夜に風俗のバイトするようになったんです」 「...ま、ありがちだな」 「うん、ありがちな転落人生だと思います。最初はピンサロで、そこからマッサージ嬢にデリヘル、んで最後には見事に泡姫になりました」 「少しずつ金の稼げる方に、抜けられない方に堕ちてったわけか...」 「狂っちゃったんです...毎日必死に惣菜作ってやっと稼いでた月給と変わらない金額が、下手すりゃ一日で稼げちゃうって生活に、お袋の精神状態も金銭感覚もどんどん狂っていきました。最初のうちはね、店が終わったら急いで帰ってきて俺の作ったご飯食べてくれてたんです。だけど少しずつ帰りの時間が遅くなってきて...しまいには、俺が学校に行く時間になっても帰らないなんて日が続くようになりました。目に見えて派手になったし、口調も空気も下品で『メス』丸出しになってきて。そんな母親を責めた事もあります。元に戻って欲しいって泣いた事もあります。そしたら開き直ったお袋は、『私がチンポ咥えて稼いだ金で飯食えてんだろ、偉そうに』なんてボコボコにされちゃって...それからはますます家に帰って来なくなりました。なんでも、仕事終わりに同僚とホストクラブに通いつめてたみたいです。んで、俺の中学卒業が近づいてきたある日...」 勇輝は、シンクの縁を握りしめたまま動けずにいる。 様子を見に行ってやろうかとも思ったけれど、今はまず瑠威の話をちゃんと聞く方が大切に思えた。 俺も胸がドキドキしている。 これは嫌なドキドキだ。 瑠威の話は...まだ完全に過去を払拭しきれずにいる俺達には少し辛い。 「俺の住んでいたマンションから、お袋の荷物一切が消えてました。『ごめんね』って一言だけの書き置き残して。部屋の中からは、俺が産まれた頃からずっと積み立ててくれてたはずの学資保険の証書と...俺がお袋の為に使おうと思って一切手を付けないまま、ずっと貯めてた新聞配達の給料の入った預金通帳も消えてました......」 瑠威のその言葉に、とうとう勇輝はキッチンで崩れ落ちた。 手を差し伸べてやりたいのだけれど、俺もいつの間にか涙が止まらなくなり、足に力が入らない。 瑠威が俺達に話してくれた過去は、俺達が今も傷として隠し続けている『過去』そのものだった。

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