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似た者同士【4】
「勇輝さんっ! え、ちょっと...充彦さんまで...だ、大丈夫ですか?」
「大丈夫...悪い...ほんと大丈夫だから、ごめん...話続けて...」
「いや、でも勇輝さんが...」
俺はユラリと立ち上がる。
勇輝をキッチンから連れて戻ると、膝の上に乗せたままでしっかりと抱き締めた。
「勇輝...話、続けてもらっていいよな?」
俺の首にしがみつきながら勇輝は小さくコクコクと頷く。
「勇輝が...いや、俺もだな。こんなんなってる理由はまたちゃんと話すよ。だからさ、辛い話をさせてるってのはわかってんだけど...俺達の為にも、今まであった事とこれからの夢、全部聞かせてくんないかな。んで、お前が『いつかカフェがやりたい』って本気で思ってるなら、間違いなく俺達はお前の力になってやれるはずだ。だから、お願いだから...もうちょっとお前の話聞かせて?」
「ああ、もうっ! 吹っ切ってますから! ね? ほんと、俺は大丈夫なんですよ? もう全然辛いとか無いんで、話すのなんてヘッチャラヘッチャラ。俺、お二人の舎弟なんですから、お願いなんてしないでくださいよぉ。あ、そうだそうだ。ここはいっちょ、『命令』とか『指令』って事で...」
瑠威が話し方を少し変えた。
砕けた、明るい声。
その表情にも必死なくらいの笑顔が浮かぶ。
できるだけ俺達の気持ちを楽にしようと試みているんだろう。
聞いているだけの俺達なんかより、自分の過去を振り返っている瑠威の方がずっと苦しいはずなのに。
俺達はその苦しみから目を背けたくて、過去を振り返ることすら避けてきたというのに。
こいつは...瑠威は、俺達が考えているよりもずっと強く、優しく、そして賢い。
偶然と反目がもたらしたこの奇跡的な出会いに、俺は『神様』ってやつに感謝したくなった。
瑠威の存在は、俺と勇輝をもっと強く優しくしてくれる...これは予感なんかじゃなく、確信だ。
「んじゃ瑠威、話聞かせろ。お袋さん、全財産持って出て行っちまったんだろ? そっからの生活ってどうしたんだ?」
「ああ、勿論その日から生活できなくなっちゃったんで、まずは担任に相談しました。高校への進学希望を撤回して、どっか住み込みで働ける仕事が無いか探して欲しいって。なんだろうなぁ...そこまでされてもやっぱりお袋に捨てられたって事実は認めたくなかったのか、それともお袋を貶されたくなかったのか、学校にはお袋が体壊して倒れたから、進学できなくなった事にしてました。実家で療養してるって話したら、先生案外あっさり信じてくれたんですよ。成績良かったし、親戚頼ってでもなんとか進学した方がいいってずいぶん言われましたけど」
「んでもさ、すぐに働けるわけじゃないじゃない? 当面の生活費すら無かったんだろ?」
瑠威は、少しだけ温くなってしまった酒で口を湿らせる。
俺は一旦勇輝を膝から下ろしキッチンからアイスぺールを持ってくると、瑠威のグラスに氷をポンと入れてやった。
収まっていた炭酸の気泡が一気に上がる。
「こいつはやっぱり冷たくないとな」
「あ、ありがとうございます。でももう実はこのボトル、ほとんど無くなっちゃいました...へへっ、一人で飲んですいません」
「おおっ、マジで? お前相当いける口だなぁ。んで、次何飲む?」
「氷出してもらったし、ウイスキーかなんかがあるとありがたいんですけど...そしたら俺、一人で勝手に飲みますし」
その言葉に、俺は勇輝を抱き締め直しながら顎で酒の置いてある場所を指し示す。
瑠威は嫌な顔一つせず、素直にグラスの並んだ棚の方へと酒を取りに向かった。
「俺が大好きなウイスキー見つけちゃいましたよ~。マジで勝手に飲んじゃっていいんですか?」
ドンとテーブルに置いたのはフォアローゼスのブラック。
以前貰ったものの、俺らはバーボンを飲む事があまり無いから封すら開けてない。
「いいよいいよ。飲みきれなかったら持って帰ってもいいし」
「あの...だったら、この部屋にボトルキープして置いとく...とかダメですか? できたら、ペットでも子分でも舎弟でもいいから...またここに酒飲みに来たいです...」
勇輝が俺の首元からゆっくりと顔を上げ瑠威の方を見た。
「心配すんなよ、俺ら友達だろ。飲みきったら...ちゃんと補充しとく、いつでも酒飲みに来れるように。だから安心して飲めよ」
しばらく俺にしがみついていた事と、瑠威の話し口調が明るかった事に少し気持ちが落ち着いたのか、勇輝は穏やかな顔で微笑む。
その言葉と表情に、瑠威は顔をクシャクシャにして笑った。
「んじゃ、遠慮なくいただきます」
グラスに入れた氷の上から、ゆっくりとウイスキーを注いでいく。
「水は?」
「あ、俺バーボンだけはロックなんですよ。適当に氷溶かしながら飲むのが好きで」
「ガッツリ呑兵衛じゃねえか!」
俺に軽く突っ込まれながらも、瑠威は好みの温度に冷えたらしいウイスキーをグッと一口喉に流し込んだ。
「フフッ、んまーい!」
俺の膝から降りた勇輝は、瑠威の目の前にビーフジャーキーを放り投げる。
「やっぱバーボンにはジャーキーじゃね?」
そう言いながら、勇輝もグラスにバーボンを注ぐとジャーキーをかじりながら瑠威を見つめる。
話の続きを促しているとわかったらしい瑠威は、もう一口ウイスキーを口に含むと小さく息を吐いた。
「俺、未成年だから家財道具の処分とかも簡単にはできなくて、お袋の保証人になってくれてた親戚に連絡して色々手続きとかしてもらったんですよ。俺が連絡できる親戚なんてその人くらいしか知らなかったし。そりゃあもう、ボロクソに言われました。親子揃って迷惑かけるだの、お袋は一族の恥だからお前は恥の息子だの」
「お前が悪いわけでもないのにな...ひでぇ話だ。んじゃ卒業まではその親戚のとこに?」
「いえいえ、一言もそんな事言ってくれなかったんです。マンションの退去の手続きして、家財道具を全部処分したらとっとと帰っちゃいました。そりゃあ途方に暮れましたよ...金も無い、家も無い。てっきり冷たくあしらわれても家にくらいは置いてくれると思ってたんですよ、一応親戚なんだしって。甘かったんですよね...きっとお袋が、俺の知らない所でもっとその人に迷惑かけてたんだと思います」
「んじゃ、先生にでも頼ったのか? あ、無理か...学校には嘘ついてたんだもんな」
「実はその頃ね、お袋と一緒にスーパーでパートしてた人が近所に住んでたんです。その人もシングルマザーで、知り合った時はまだ産まれて間もない女の子を抱えて必死に働いてる人でした。俺ね、その赤ちゃんの世話とかよくしてたんですよ。熱出たりしたら仕事行けないじゃないですか。だから、学校が休みの時なんかはしょっちゅう子守りしてたんです。なんか俺も妹ができたみたいで嬉しかったし。お袋が仕事変わって家引っ越してからも、俺は変わらずによく遊びに行っててね。で、お袋が逃げたって話を聞きつけたらしくて、その人が『卒業するまでなら私でも養ってあげられるからうちに来なさい』って言ってくれて...ほんと、ありがたいですよね。親戚ですら自分とこに来いなんて言ってくれなかったのに、赤の他人のその人が躊躇なく『うちにおいで』って言ってくれたんだから」
「俺もそうだったな...親戚なんて一人も知らなくて、何をどうしたらいいのかなんて全然わからなくてパニックで、だけど必死に何も無かったような顔だけは繕って、中学生なのに頭の中は金の事でいっぱいで...なんで被害者の俺がこんな辛い思いしないといけないんだろうって、そんな事ばっかり考えてた気がする」
ポツリと口にした勇輝の表情は、自分でも驚いたように一瞬目を大きく開いたものの、それ以外にはあまり変化は見られない。
けれど良い傾向だと思えた。
自分を『被害者だ』と認められるようになったのは、その身の上を客観的に見られるようになってきたからじゃないだろうか。
自分が悪かったのかもしれない、自分さえいなければ...すぐにそんな風に考える勇輝の悪い癖は、きっと過去に起因してるはずだから。
勇輝が悪いんじゃない...それに気づいて欲しい。
「親戚はね、どうでも良かったです。本当に迷惑かけたわけだし、嫌われても縁を切られても仕方ない。お袋のことも...たぶんね、ずっと母親として頑張り過ぎちゃって、いきなりフッて女に戻っちゃっただけだろうなぁって。勿論裏切られたとは思ったけど、なんだか憎む気持ちにはなれなかったんですよね...」
「お前、ほんとすごいわ...強い。俺は...俺を裏切って家族を捨てた親父の事を、今でも殺したいと思うくらい憎んでるよ」
当たり前のように出てきた言葉に、今度は俺自身が目を丸くする番だった。
精神的に裏切り、金銭的に追い詰め、夢見ていた未来をも断ち切る事になったのに、それを憎まないなんて思えるものなのか?
俺は今でも...目の前にのうのうと親父が現れれば、殴り殺してしまえる自信がある。
それこそがずっと目を背け続けた過去で、自分で認めたくなかったどす黒い感情だった。
「あ、いや...本当は憎かったのかもしれないんです。だけど彩さん...そのお母さん達がいてくれたから、なんか憎いとか悔しいなんて考えてる時間が勿体ないっていうか...一緒に過ごせる時間を大切にしたいって思える事ができたんですね。彩さんも光ちゃんも俺の事すごい大事にしてくれたし、生活だって余裕ないのに俺に愚痴の一つも言わなくて...。あんまり大切にしてくれるから理由聞いてみたんです。そしたらね、一緒にパートやってた頃のお袋が、ものすごく必死で彩さんの事面倒見てたんですって。光ちゃんの赤ちゃんの頃の服は、ほとんど俺のお下がりだったらしいんです。俺が光ちゃんの世話しに行くのも本当にありがたかったって。その時の恩返しをしてるだけだから何にも気にするなって言われました」
俺にも勇輝にも、家族に裏切られた時に周りには誰もいなかった。
あの時、瑠威のように全力で支えてくれる誰かがいれば、何年間も傷を隠して偽りの笑顔を浮かべるような人生を送ることはなかったんだろうか。
けれど、俺達にはその傷があったからこそ、こうして自分の半身同然のパートナーに出会えたとも言える。
そして、裏切り者を憎まずに済んだはずの強く優しい瑠威が、今は決して孤独とは無縁ではない生活を送っているなんて...皮肉な話だ。
「じゃあその...彩さんだっけ? お前の面倒見てくれてた人、今の仕事の事とか知ってんの? その人だって、仕事とは言えゲイビモデルやってるってなったら、あんまりいい顔はしないだろ」
それまで懸命に明るく笑顔で話を続けていた瑠威の顔が大きく歪む。
それでも何かを堪えるように深呼吸を繰り返しながら、なみなみと注いだウイスキーを一息に飲み干した。
「彩さんは...いません...いつかは俺が...光ちゃんのお父さんになってもいいって...思ってたのに...光ちゃんが大好きだったのに...光ちゃんを本当に大切にしてたのに...もう光ちゃんにも...会えない...」
その顔は自分の母親の話をしている時よりもずっと苦しそうだった。
立ち上がった勇輝が、瑠威の頭をギュッと抱き寄せる。
グラスを握りしめたままの手は、カタカタと小さく震えていた。
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