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FACE DOWN【11】
「ここからは充彦も直接は知らない話だから、すべてが仮定になる。だけどたぶん俺のこの仮定の話の中には、充彦も知ってる真実が含まれてるはずだ。悪いんだけど、少し推測の話に付き合って」
最初に投じた小石が生み出した波紋がゆっくりと広がり始めたのか、ついさっきまでの怒りに満ちた瞳はなりを潜めた。
代わりに、信じて凝り固まった物が崩れていく不安にどこか視線が定まらなくなる。
そんな表情がどうしても辛くて、俺は充彦から視線を逸らすと、何を見るわけでもなくただ前を見つめた。
「おじいさんが倒れて亡くなるまでの間...いや、ひょっとするとその少し前からなのかもしれないな...おじいさんの目が何らかの事情で届かなくなった空白の期間、一時的に会社の実権を握った専務以下数名の経理担当者が、銀行から無断で借り入れをして資産投資を行っていたとしよう。それが会社の為だったのか自分の為だったのかは今は置いておく。彼らは金勘定についてはプロだったけれど、資産を増やしていく為の才能や時代を先読みする能力に関しては著しく欠落していた。土地なり株式なり...バブルの崩壊の兆しを一時的な物と読み違えた彼らはおそらく焦っただろう...そこで生じた損失は個人でコソコソと補填できる額ではなかったはずだ。だからおじいさんが亡くなった後、お母さんを担ぎ出そうとした。幼い頃から家族も同然に可愛がってきたお母さんなら、上手く丸め込める自信があったんだよ...自分が経理を教えたからこそ。『カリスマの血を引く人間が代表である方が、会社の信頼に繋がる』なんてもっともらしい大義名分も一応は筋が通ってるしな」
「ところが母さんは...親父が社長になるべきだと...それを固辞した?」
乗ってきた。
それでいい。
俺の話のすべてが真実だとは思わないけれど、きっとどこかに...聞いてさえくれれば、きっと俺の言葉の一部に充彦の中で引っ掛かってた、それでも敢えて気づかないフリをしてきた何かが見えてくるはず。
「社長に就任する事になったお父さんは、これまでと変わらず誠実で堅実で、それでも革新的な技術の開発を忘れない...それこそおじいさんが貫いてきた姿勢を守ろうとした。しかしここで問題が起きる。経理面のトップに立つことになったお母さんは、専務一派が考えていたよりもずっと切れ者だった。二重にしてあっただろう帳簿の存在に気づき、そこでこれまでは無いと聞かされていた多額の借り入れを見つけてしまったんだ。お母さんはすぐにそれをお父さんに相談した。専務達が行った行為は背任であり、横領でもあったかもしれない...自分を幼い頃から可愛がってくれていた人達の裏切り行為に、怒りと悲しみでいっぱいだっただろう」
充彦の眉がピクリと動いた。
何か自分の記憶と合致する物があったのか?
「銀行からの指導が入り、お父さんは大幅な経営方針の転換を求められる事になった。これまで通りの仕事をこれまで通りにこなしていたのでは、返済計画すら立てられない額だったんだろう。お父さんは、いわゆる『リストラ』を断行せざるを得なくなった。リストラは何も肩叩きって意味だけじゃない。まずは会社のスリム化を図るため、国内にあった生産機能の一部を中国に移す事で生産コストの削減を目指した。そしてそのタイミングで希望退職を募った。希望退職者を募る事は、正式に会社に認められた権利だからな。そしてその背任行為に加担したと思われる社員に対して、罪を問わない代わりに自ら退職を選ぶように迫った...退職勧告になると本来は労働法に抵触する可能性もある。けれど、彼らが行った背信行為については黙認し、さらに退職金が増額されるとなればどうだったろう...彼らはおそらく、喜んで退職の道を選んだだろうな。さらにお父さんに内緒で、お母さんは彼らの再就職先を斡旋した...たとえ会社を裏切った人間であっても、自分を可愛がってくれた『番頭さん』だったから。そうだな...おじいさんの弟子にあたる人が興した所か、充彦んとこの会社の下請けみたいな仕事してた会社にでも紹介したんじゃないかな、経理方面の仕事に関してはプロだとか何とか言って」
「......番頭さん達が移った会社は...うちの開発した精密機器の補修がメインの...下請けだ......」
合致した。
それも、俺のこれからの仮説の為には一番重要だった部分だ。
これで俺の話には真実味が増す。
「元々家に帰る事が少なかった親父が、あの時期からますます家に寄り付かなくなった...母さんは毎日遅くまで走り回って、俺は一人で暗い家で帰りを待って...一度だけ母さんが泣きそうな顔で俺に愚痴を言ったんだ......『信じてた人に裏切られるのって、こんなに悲しいんだね』って。番頭さんから『お父さんは、お母さんより充彦くんより大切な人ができたから家にも帰らない。可哀想に」ってずっと言われてて...それ聞いて俺は、母さんを裏切ったのは親父なんだとばっかり......」
「俺だったら、本当に可愛がってる小学生にそんな事言わないよ...誰かを貶めるつもりでも無いならね。最後の最後、何か自分に不利益な事が起きた時にはお前を盾にでもするつもりだったのかもな...手懐けておいて損は無いって。どうよ、充彦だったらさ...そんな話する?」
「......しない...絶対にしない...俺だったら...しない......」
体を震わせ、背中を丸めて大きな手で顔を覆う。
まだ今は抱き締めるわけにはいかないけれど、せめてこれくらいは...俺はその震える肩にそっと手を乗せた。
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