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似た者同士【6】
「なあ瑠威...お前、本名は何て言うの?」
いきなりの勇輝の質問に、瑠威は驚いたように少し間抜けな顔でキョトンとした。
俺の方を困ったように見る目は、まるで『言わないとダメ?』と訊いているかのようだ。
小さく頷いてやると、クシャクシャと前髪を掻きむしった。
「えーっ、マジかぁ...もうここ何年か本名なんてまともに使ってないんだよなぁ...」
「でも、学校行くなら本名だろ? いいから、お前の名前教えろよ。俺も充彦も本名だぞ」
「...はぁ...それはそうなんですけど...」
いかにプライベートで呼ばれる事が少ないとはいえ、何をここまで抵抗する意味があるのだろう?
ビデオに出演することになって、おそらくは適当にスタッフが深い意味もなく付けたであろう『瑠威』の名前に、そこまでの思い入れがあるようにも思えない。
まあこの世界の芸名なんてのはそんなもんだ...俺だって、呼ばれ慣れてるってだけで芸名を『みっちゃん』にしたくらいだし。
「何、そんなに自分の名前が嫌いなのかよ。それとも、聞いた瞬間に吹き出しちゃうような名前なのか?」
「ああ、あれか? 光に宇宙って書いて『ピカチュウ』とか、黄色い熊で『プウ』とか?」
「......面白がってますね? でもまあ...ある意味、聞いたらポカーンな名前かもしれないですけど」
「はぁ? もったいぶんなよぉ」
『瑠威』は眉毛を下げたまま俺達を見回すが、言うまで解放されないとわかっているのか、わざとらしく大きなため息と共に真っ直ぐに顔を上げた。
「こうきです」
「...こうき?」
「はい。航海の航に生きるって書いて、『航生』です」
こうき...航生...コウキ...
頭の中で色々と変換してみて...言われた通り、ポカーンてなった。
勇輝は俺の表情の意味がわからないようで、『ん?』と小首を傾げている。
うわ、いつ見てもクッソ可愛いな......マッチョのくせに。
「わかんない?」
「うん、わかんない」
俺はニヤニヤを堪える事もなく、ペンとメモ用紙を出した。
何をするのか気付いたらしい『瑠威』は、俺の手からペンを取り上げる。
「ちゃんと自分でネタバラシしますよ...」
サラサラとメモ用紙に文字を書き始める。
決して綺麗ではないけれど、止め跳ねがきっちりとした几帳面な字。
性格がそのまま表れているその字に、なんだか微笑ましくなった。
『コウキ』
『ユウキ』
大きさも字体も敢えて揃えて書かれた名前。
二つ並んだそれに、さすがに気付いた勇輝も笑い出す。
「ハッ、ハハハッ...マジか。下が伸びてるか止まってるかの違いだけ?」
「......です。んもう...だからぁ...なんか今更ね、勇輝さんに改めて本名名乗るの恥ずかしかったんですよぉ...」
「まあな。これ、俺らの名前にフリガナ振られて並んでたらさ、やっぱちょっとおかしいよね、笑えるかも」
「顔は全然違うけど、体型はまあ筋肉質で近いしな。でも、コンビ感はバッチリ漂うんじゃね? 肌も白と黒で上手く対比できそうだし」
俺がそう言うと、勇輝は嬉しそうに笑った。
「ありゃ、やっぱそう思った?」
「ああ...勇輝のコンビが瑠威...じゃねぇや、航生だったらさ、とりあえず見た目に文句言えるアホはいないよな」
俺達の会話の意味がわからないらしい航生が、今度はポカーンとしている。
勇輝がしっかりと航生の方に目を向けた。
「でもさ、航生ってなんかいい名前だよな...すごい意味とか考えて付けたんだろうなって感じする。ほら、名前って親から子供への最初のプレゼントだって言うじゃん」
「でも、勇輝さんの名前だって...」
「俺の名前はね、その頃何人もいた恋人の中で、時期的に考えて父親候補だった男の名前くっ付けただけらしいよ。勇介だか智輝だか言ってたかな...たぶん、な~んの思い入れも愛情も無い名前。まあ本人に聞いたわけじゃなくて、当時の男に教えられたんだけど。あの人には最初から愛情なんて無かったんだろうし、思い入れなんてモンもあるわけないか」
「愛情は...無いなんて事はないと思います」
勇輝の言葉を否定するように、それでもそれを少しだけ申し訳なさそうに航生が口を開いた。
「赤ちゃんてね、絶対に周りの助けが無いと生きていけないんです。生まれたばかりの時はしょっちゅうミルク飲ませてあげないといけないし、一日に何回も何回もオムツや服も変えてあげないといけない。何一つ自分ではできないんですよ。俺、光ちゃんの世話してたからよくわかります。ほら、テレビなんかでも見るじゃないですか...赤ちゃんの泣き声がうるさくて床に叩きつけたとか、ミルク買うお金が勿体なくて餓死させたとか。だけどね、勇輝さんは今ちゃんと生きてますよ? 体のどこにも傷なんてないし、それこそ五体満足でこうして生かしてもらってるじゃないですか。勇輝さんのお母さんがどんな人だったのか俺は知りません。あんまり大切にされてきた実感もなかったのかもしれない。ただね、産まれてきて、少なくとも一人で生きていけるようになるまでは、ちゃんと勇輝さんの事愛してたと思うんです。ちゃんと抱っこしてもらって、ちゃんと愛してもらってたからこそ...今勇輝さんはちゃんと人を愛する事ができるんじゃないかなって」
一気に熱く言い終わって、ハッとしたように航生は慌てて頭を深々と下げた。
「す、すいません! 俺、なんか...ほんとえらそうな事言っちゃいました。本当にすいません」
勇輝の顔からは表情が消え、一筋だけ涙が零れた。
俺は後ろからそっと抱き締める。
「充彦ぉ...俺...少しは愛されてた...のかな...?」
「...お前はな、客取ってた時代から本当にみんなに可愛がられてたって岸本さんに聞いた。見た目の話だけじゃなくて、相手を大切に思う気持ちがストレートに伝わってくるからこそ、みんなもお前を大切にするのに必死だったって。てことはさ、お前は昔から人を敬う事も愛する事もできてたってことじゃないのかな? それってやっぱり...『愛情』ってモンを知ってたんだと思うよ、ちゃんと最初から」
勇輝の体が小刻みに震え始める。
「そうなのかな...俺...産まれてくるべきじゃなかったって...ずっと思ってた...あの人の邪魔でしかなかったんじゃないかって...それでも俺、愛されてたのかな...だって覚えてないんだよ、...あの人の怯えてる顔と、怒鳴り声しか...」
「産まれてくるべき人だったんですよ。お母さんがちゃんと育ててくれたから、今こうして充彦さんと一緒にいられるんですよ? 笑顔で抱きしめてくれてたからこそ、きっと今笑えるんてますよ? 生きてる自分を...生かされた自分を否定しちゃダメです。それを否定したら、勇輝さんとこれからずっと歩いていこうとしてる充彦さんを否定することになりますよ?」
年下のくせに、航生のくせに...そっと俺ごと勇輝を抱き締めてきた。
穏やかで、ひどく優しい顔をして。
俺の背中まで届かない腕は、それでもとても温かかった。
「お前は...自分を否定しないのか?」
「しません、絶対に。今の俺は確かに辛いし、寂しいし、情けなくて泣きたくなる事もあります。でも、やらないといけない事があるからこそ生かされてるんです。俺はいつか夢を叶えて、本当に大切な人を見つけます。そして今度こそ、その人を全力で守らないといけないんです」
「そうか...そうだよな...俺はちゃんと愛されてたから今生きてるんだ。やるべき事があって、守るべき人がいるから生かされてる...」
腕の中の勇輝がグイと首を捩り、俺にチュッと口づけてきた。
すぐに正面に顔を向け、同じように航生にもキスをする。
「はぁ...なんだろうな...今俺、すげえイイ気分。よし、そばにいるべき人は一先ずほっといても大丈夫として...じゃあ俺が今守るべき人の話をしよう」
勇輝は俺と航生の腕を解き、改めて椅子に深く座り直す。
「今俺が守るべき人は...守ってやりたい人は...お前だよ。なあ航生...お前、『瑠威』の名前、捨てないか?」
予想通りの話の流れに俺は目尻に溜まったままの涙を隠れて拭い、航生の前にパンフレットを置いた。
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