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巻き寿司と茶碗蒸し【勇輝視点】

  充彦が部屋を出て行ってから、航生は完全に落ち着きを無くした。 別にいいと言ってるのに食器を洗い、キッチンをピカピカに磨き上げ、一先ず休憩かと思いきやそのまま腰を下ろす事もなくリビングに掃除機をかけはじめる。 ご丁寧にちゃんとソファやテレビ台まで移動させた上で隅々まで掃除機を滑らせると、今度はコソコソと風呂場へと向かった。 水の流れる音がずっと続いているから、おそらくこんな調子で丁寧に風呂場も掃除してくれてるんだろう。 俺は一度時計を見て、さっき航生が綺麗にしてくれたキッチンへと立った。 もう昼飯とオヤツを兼ねたような時間帯だ、余り重い物はいらないだろう。 一人用の土鍋を二つ出し、そこに予め作ってストックしてある干し椎茸と鰹の出汁をそっと張ると、それをコンロにかける。 表面をさっと濡れふきんで拭った昆布を落とし、その間に冷蔵庫から出したブリの切り身をサッと熱湯にくぐらせた。 出汁が沸騰する直前に昆布を取り出して、そこに切っておいた白菜や白ネギ、椎茸にエノキを入れる。 最後に表面に霜を振ったブリと、最近お気に入りでよく買っている半生のきしめんを入れて蓋を閉めた。 風呂場から聞こえてきていた音が止まる。 おそらく今頃、室内の水滴をまた一生懸命に拭き取っているんだろう。 何から何まで丁寧で生真面目な男だ。 よくもまあ俺に喧嘩なんて売れた物だと改めて感心する。 いやそれ以上に、あんな大人しくて優しい男に下らないキャラクター付けをした上に、超絶下らない仕事を強いてきたビデオ制作会社に本当に腹がたった。 もうぼちぼち鍋が出来上がるというタイミングでカウンターに置いたままのスマホがヴヴヴヴ...とメールの着信を伝えて震える。 当然相手は充彦。 そこには社長と、世話になる予定の会社の担当さんを引き連れての話し合いの結果が書かれていた。 まあ、その話し合いが不調に終わるなんて事は最初から心配も想定もしていない。 航生はといえば、何かされるんではないか、何を条件に出されるのかと気が気じゃないようだけど。 実は航生が寝てる間に、コッソリ件の会社については調べておいた。 あのゴールドラインて会社は予想通り、ビデオ制作以外に若い男性を派遣するタイプのデリヘルや個室マッサージ店を経営していた。 どうやらモデルとしての役目を終えた男の子を主に働かせているらしい。 寧ろ会社としての売り上げのメインはこちらで、ビデオ制作は本業の宣伝活動の一環だったのかもしれない。 ビデオ制作だけであればともかく、風俗店の経営をしているとなれば裏にはいわゆる『反社会勢力』というやつが絡んでいる可能性が十分にある。 もし筋モノと関わりがあるとなれば、こちらも完全に丸腰で出向くなんてわけにはいかない。 用件をハッキリとは伝えないままで社長にやんわりとその事を尋ねてみると、多くは聞かずにすぐゴールドラインとその関連会社について調べてくれた。 結論から言えば、この会社はヤクザと直接繋がってはいないとの事だった。 当然店を営業するにあたっては挨拶の一つも交わしているだろうし、大きなトラブルがあった時の為にみかじめ料くらい渡してはいるだろうが、たかだかモデルの移籍ごときで組の力に頼ろうものなら逆に付け入る隙を与える事になる。 会社ごと乗っ取りにあう可能性もゼロではない。 ゴールドライン側としては裏の力に縋る事無く、あくまでも穏便に対会社としての話し合いで終わらせようとするだろう...俺の出した結論に対して、充彦からの異論は無かった。 それで充彦が早速動いたのだ。 社長に、昨日の調査の理由と航生の存在、俺達の弟分として航生もうちに所属させたい事、そして3人まとめて面倒を見てくれるという条件付きでなら新しい会社の専属になっても構わない旨をメールしてくれた。 すぐに社長が迎えに来たという事は、航生の所属も専属の話も了承したという意味に他ならない。 そして今、まずはゴールドライン側との話し合いが終わり、一旦うちの会社に戻るところだとの連絡が入ったのだ。 まず航生の記憶通り、ゴールドラインと航生...いや『瑠威』の間には、正式な専属契約も出演に関しての条件も一切存在しなかった。 すべては半ば脅迫に近い口約束のみで行われていた事だったらしい。 業界の慣例上他社のビデオには出演禁止、他のモデルとの交流も禁止、当然出演時のギャラや条件については他言無用。 それを破れば、多額の違約金が発生するだとかなんとか。 他社のビデオには出ないというのは確かに慣例としてある事だが、専属でない以上それを禁止する権利は無い。 モデル同士の交流禁止も含め、おそらくは航生の置かれた立場を第三者の目で冷静に判断されては困ると考えたのだろう。 そこで充彦は、瑠威とゴールドライン間の契約の不存在を確認した上で、航生がうちの事務所に正式に所属する事、別の会社に専属になる為今後一切ゴールドラインのビデオには出演しない事を伝えたそうだ。 さらに、詳細を明文化していなかった事を逆手に取り肖像権を認めさせた。 発売前の『瑠威』の出演作は本人の許可なく販売をしてはいけない、ネット配信については今後全作品を禁止にする事を約束させたらしい。 勿論、こちらがきちんと提示した契約書にサインさせての事だ。 うちの専属になる以上、肖像権は航生とうちの会社の物なのだから、当たり前と言えば当たり前なのだが。 当初はゴールドラインにとって不利な話過ぎると抵抗を見せていたようだが、最悪裁判沙汰か裏での話に持っていくと社長が啖呵を切ったらしい。 風俗業に僅かでも携わっている人間でうちの社長を知らない人間など、モグリ中のモグリだ。 裏を動かすと言えば間違いなく動かせるだけの力を持っている。 ゴールドライン側は、渋々でも契約を飲まざるを得なかったのだ。 本当に彼らは運が、そして相手が悪かった。 目先の話題性と僅かな売り上げアップを狙ってゲストに俺を呼んだ。 そのゲストの俺に、従順な操り人形だったはずの瑠威が何故か敵意を剥き出しにした。 温厚で有名なはずの俺が、そんな瑠威に激怒して拉致した。 生意気で憎らしかった瑠威は、俺と充彦の手で航生へと戻った。 俺にとって航生は、充彦とは違う意味で愛しくて守ってやりたい存在になった。 俺や充彦が航生を守ってやりたいと思ったのと同じかそれ以上の気持ちで俺達を守ってくれている人は、裏社会においても絶大な影響力を持っていた。 すべてが絡み合い...新しい運命の輪が回り始める。 スマホの画面を見ながら、俺は思わず笑みがこぼれた。 「お風呂掃除...終わりました...」 「うん、ありがとな」 「あ、いえ...じゃあ次はどこを...」 晴れない顔で落ち着かない気持ちを隠すように、航生はキョロキョロと部屋の中を見渡す。 俺はトントンとダイニングテーブルを叩いた。 「掃除はもういいよ。まあちょっと飯でも食おうぜ。今きしめん作ったんだ。鍋っぽい感じで具とか多めにしたから、結構食べ応えあると思うよ」 「あ、でも俺...あんまり食欲が...」 「......いいから、しっかり食っとけ。飯終わったら買い物付き合ってもらわないといけないし」 渋々椅子に座った航生の前に、そっと土鍋を置いてやる。 「買い物...ですか?」 「そ、晩飯のね。鶏肉だろ? 蒲鉾だろ? 三つ葉に柚子に百合根。あ、今日はちょっと豪華にしなくちゃなぁ...鶏肉はやめて鰻と小柱とかどうよ?」 俺の口から出てくる食材を聞いているうちに、航生の目が少しずつキラキラとし始めた。 食い意地が張ってるってわけじゃなく、それが意味するものがわかったらしい。 キラキラの瞳は表面にジワリと水分を溜めだす。 「じゃ、じゃあ! じゃあ俺、巻き寿司作っても...いいですか? いや、全然特別な物なんかじゃないんですけど...でも...おふくろが新しい仕事決まった時とか...光ちゃんの誕生日とか...嬉しい事があった時にいっつも俺...お祝いに作ってて...」 「あ、それってすごいいいかも。だったらさ、冷蔵庫に手作りの鯛のでんぶとかあるし、良かったらそれ使って。お祝いだもんな...俺らにもその巻き寿司、食べさせてよ。だからほら、今はとにかくそれをさっさと食え」 航生は、涙と鼻水を垂らしながら必死にきしめんをすする。 俺もちょっと涙が滲んできちゃって、それを隠すみたいに思いきりきしめんに息を吹き掛けた。

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