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男の嗜み?【5】

もう一つ隣のドアをノックして、中へと足を踏み入れる。 そこに広がったのは...なかなかカオスな世界だった。 前の番組の収録が遅れていると聞いていたビジュアル担当?、ニューハーフのみるるちゃんは無事に到着していたものの、メイクの前に...ヒゲのお手入れの真っ最中。 本人はあくまでも『グレーゾーン』を強調するものの、最近若い男の子との同棲写真がスクープされたイケメンスタイリストのカズキさんは彼氏?と携帯でラブラブお喋りに花を咲かせている。 そしてある意味、この部屋の本丸。 バイセクシャルを公言し、男性にも女性にも肉食を猛烈アピールしている超毒舌女装家でありコラムニストのフェンリル熊子さんは、中央に置かれた長机に向かって何やら原稿を書いていた。 テレビにラジオにと忙しい人だから、こんな楽屋での少しの時間も無駄にはできないんだろう。 それにしても、色んな意味で存在感のでかい人なんだよなぁ。 見た感じは勿論ドラァグクイーンだから超ド派手。 それでもエグいゲテモノ感はなく、かなり美しい...と思う。 しかしそこが存在感の素というわけではなくて...... 「お忙しい中すみません。本日ゲストでお世話になります、坂口充彦と辻村勇輝です...」 「ゆ、勇輝...勇輝!?」 俺の声に手元の原稿から顔を上げると、熊子さんがガバッと立ち上がった。 ......これこれ、まさに熊。 俺達の方へと歩み寄ってくる熊子さんのあまりの迫力に、勇輝は笑顔こそ崩さなかったものの足を一歩後ろに引く。 すぐそばに立った熊子さんにきちんと挨拶をしようと、俺は少しだけ目線を上げた。 そう、この熊子さん。 おそらく身長が俺とほぼ変わらないのだ。 これに、衣装として原色の厚底パンプスなんてのを履いてるもんだから、こうして俺は何年ぶりかに他人を見上げるなんて感覚を味わった。 「あ、あの熊子さん......」 「勇輝くん...ううん、アタシのずっと憧れだったユーキ...こうやってまた会えて本当に嬉しいわ」 さも知っているといった口ぶりに、俺と勇輝は首を傾げながら目を合わせる。 俺の言いたい事がわかったのか、勇輝は小さく首を横に振った。 「あの...熊子さん、俺とどこかでお会いしてました...か?」 迫力に押されたのか、それとも相手を思い出せない事を申し訳なく感じているのか、勇輝は恐る恐るといった風に口を開く。 そんな勇輝の態度を特に不愉快に感じた風もなく、熊子さんは豪快にニカッと笑ってみせた...まるっきり男の顔で。 途端に勇輝の目が大きく開かれる。 そして、俺の目の前だというのに...その俺よりも大きな女?に向かって飛び付いた。 「うっそ...えっ、ほんとに!?」 「ウフフ、嘘でも幻でも無いわよぉ。アタシからしたら、てっきり『フェンリル』名乗ってりゃ気づいてくれるかと思ってたのにぃ。ちょっと冷たいんじゃないの?」 何が何やらわからずポッカーンとしている俺を尻目に、二人は嬉しそうに笑いながらギュウギュウと抱き合っていた。 あまりの疎外感に耐えられず、自分達の世界に入り込んでる勇輝の肩をそっと叩く。 「あの...お知り合いか?」 「あっ、ごめんごめん。ちゃんと紹介しなきゃ」 ようやく熊子さんにぶら下がるようにしがみついていた腕をほどき、勇輝は俺に嬉しそうに向き直った。 「えっとね、俺が知ってる頃はこんなに素敵な格好はしてなかったんだけど......」 「まあ、あの頃はごく普通の出版社の社員を装ってたからね~」 「うん、ユグドラシルにいた頃の常連さんで、熊野さんです」 「熊野さんはやめなさいっ! ユーキのおかげでアタシは自由になれて、今は熊子なんだから」 勇輝のおかげってなんなんだ!? おまけに、ユグドラシルの常連て事は...まさかこのうすらデカイ人にも散々その体を食い散らかされたって事なのか!? ......まあ、靴が無ければ俺とそれほど体格は変わらないんだから、うすらデカイは撤回しとこう。 きっと複雑な顔をして二人をキョロキョロ見てたであろう俺の様子に、熊子さんがプッと吹き出す。 「心配しなくても、アタシはユーキと寝たくても寝られなかった方の一人よ。ただの猛烈なファン。当時はほんとにただの会社員だったからさ、保証金とか積めなかったの」 「でも、ほとんど毎日来てくれてたよね?」 「そうね。ほとんど毎日愚痴を聞いてもらいに行ってたわ。ユーキってさ、ほんと聞き上手なんだもの...一日の疲れもストレスも、ユーキに話を聞いてもらって、この綺麗な顔を見てるだけで全部溶けて流れて行くような気がしてたからね」 ユグドラシルのユーキのファンの人は、抱きたいと思う以上にただ話がしたかったという人が多い気がする。 岸本さんにしても『いつかは!』と思いながらも喋っているだけで十分だったと言ってたし、保証金を払って夜の権利を勝ち得た人ですらただ食事をして一晩一緒にいるだけという事も少なくはなかったらしい。 そんな話を聞いてると、毎晩毎晩盛っている俺がおかしいのか?と思わなくもないが、だからと言ってセックスが出来なくなったとしても勇輝がそばにいるだけで満足できる自信もある。 「みっちゃんは幸せねぇ。毎日毎日ユーキと話してセックスできるんだから」 「熊子さん、それ違うよ。充彦と話ができてセックスできて、俺が幸せなの」 当たり前のような顔でサラリとのろけられてしまい、こっちが少し恥ずかしくなる。 そっぽを向いた俺の頭を、グローブみたいな手がバシッと叩いてきた。 「アンタねぇ、ほんとユーキの事大切にしなさいよっ! アタシにとってはただの憧れじゃなくて、大事な恩人なんだからねっ!」 「恩人...ですか?」 「アタシ、会社員でいる事に疲れてたのよ。女装して夜の街闊歩したかったし、バイセクシャルだってのを隠して生きてるのも嫌だったの。だけどね、そこそこ大きなお堅い系の出版社に入ってさ、それなりに胸を張れるだけのお給料も貰ってて...金銭的にも社会的にも、全部を捨てるのってやっぱり怖かったのよ」 「それは...勿論そうだと思います。俺達はこの関係を許してくれる環境にたまたま生きてるから公にできますけど」 「でしょ? でもね、ほんとはやっぱり素直な自分の姿で、自分の言葉を発信したいって思ってたの。嘘をついて生きてる事に意味があるのかって悩んでた。そんなアタシの話を聞くたびにね、ユーキはいつも『僕はどんな姿でもどんな仕事してても、熊野さんが熊野さんでいれば応援しますよ』って言い続けてくれてね......」 褒められるのが恥ずかしいのか、勇輝は口許を綻ばせたままで目を伏せていた。 自分が応援していた人が、こうして『やりたかったのだ』という姿と仕事で立ってくれているのが本当に嬉しいんだろう。 岸本さんにしろ熊子さんにしろ...やはり噂通り、勇輝に本気で焦がれてきた人には幸運の女神が微笑むらしい。 「チョロッと遊びで書いた小説の批評をね、ユーキが店の常連の一人だったサブカル系雑誌の編集者さんに見せたのが、アタシの文筆業の始まり。ユーキが段取り付けてその編集者さんに会わせてくれてね。ほんとに、ユーキの存在がアタシのすべてを変えてくれた...だから一言、ちゃんと会ってありがとうって言いたかったの」 俺は勇輝に持っていた紙袋を渡した。 俺からではなく、勇輝から受け取る方が...きっと嬉しいだろう。 「熊子さん。これね、俺の一番大切な人が皆さんの為にって一生懸命作ったお菓子です。俺こそね、あの頃みんなが俺を大切にしてくれたおかげで、今こんなに幸せなんだよ。だからこれ、俺の幸せの証だと思って...食べてください」 勇輝の言葉に、熊子さんはいつもの毒舌家としての顔ではなく、ただの優しい男として笑みを浮かべる。 「ありがとう、みんなで美味しくいただくわね。でも言っとくけど...本番では遠慮なくガンガン突っ込んでいくから。アタシらしいトークをする事が、ユーキへの何よりのお礼になるでしょ?」 それには何も答えず、勇輝はもう一度熊子さんの首にキュッとしがみついた。 熊子さんも優しい手つきで勇輝を抱き寄せる。 「お手柔らかにね」 「フフッ、わかってるわよ」 体を離し、勇輝が改めて出演者として頭を下げた。 「じゃあ今日、よろしくお願いします!」 満足そうな勇輝に倣って俺も頭を深く下げ、その楽屋を後にする。 足取りの軽い勇輝に特に声をかける事はなく、ただその頭をクシャッと撫でてやった。

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