336 / 420

酒とジビエと温泉と【5】

フロントから向かって右にまっすぐに進むように言われ、4人で廊下をただ真っ直ぐ歩いていく。 しばらくそのまま行くと、目の前には渡り廊下が現れた。 見るからにその廊下の先と手前とでは雰囲気が違う。 こちらはビジネスホテルを思わせる無機質で真っ白な明るい壁なのに対して、少し先に広がっているのは美しく細かな細工が施された引き戸や欄間が浮き立つようにか、間接照明を使っていくらか明るさを抑えた厳かな空間。 真っ直ぐと指示されたものの、俺達の前にはあの空間に続く道しか無い。 この先まで行けという事なんだろうか? 「いやいや、マジかよ......」 「みっちゃん、部屋番号って何?」 思わず立ち止まった俺に、いつの間に手に取ったのか、フロントに置いてあった館内図の載ったパンフレットを開きながら慎吾くんが言う。 ちょっと茶化すようにニヤけた顔を見せた旧友が照れ臭くて握りしめたままだったカードキーを改めてみんなに差し出した。 そこには『101号 杜若』『102号 花菖蒲』と金色の文字で書かれている。 「あっ、もしかしてこれ、ちょっとすごいんちゃうの? この先って貴賓室っていうか、このホテルのスイートルームらしいで」 「うわ...やっぱりそうか......」 慎吾くんの手からパンフレットをふんだくると、館内案内を覗き込む。 なるほど、確かにフロントから左へ進むとそのまま本館の客室に上がる為のエレベーターがあり、右へと進めばそのまま離れに向かう渡り廊下の表示。 これが今俺の目の前にある廊下の事だろう。 そしてその廊下の先は離れというか別棟になっていて、『杜若(特別室)』『花菖蒲(特別室)』との記載がある。 離れにはその二つの部屋しかなく、どうやらそれぞれの部屋には専用の露天風呂まで付いているらしい。 また、その渡り廊下は更に続いており、わざわざ本館に戻らなくてもそのままレストランのある別館へと直接向かえるようになっていた。 「こりゃあ、社長さんてのは充彦によっぽどの弱みを握られてるって事? イイ部屋に泊めて何か口止めしようとか?」 クスクスと面白そうに勇輝が笑う。 「いやいや、弱みも何も...どっちかって言えば俺の方が世話になったし、なんせあの頃の俺のクズっぷりを知ってる男だからなぁ...むしろ俺のが弱み握られてるくらいなんだって。あれじゃない? 雑誌の取材だからって、ちょっといい所でも見せようって無理してるとか」 「それだけじゃないって、自分が一番よくわかってんじゃないの?」 目が合うだけで胸がキュンてなりそうなくらいのとびきりの笑顔を浮かべ、勇輝がゆっくりと俺の方に手を伸ばしてきた。 いくらかその目線より高い所にある俺の頭を撫で、そっと前髪を掻き上げる。 「でしょ?」 「......まあね。アイツが昔のまま変わってないんなら、取材だ撮影だってだけで浮かれて見栄を張るような真似はしないと思う」 「だったら...社長さんは、充彦さんに会えたのが本当に本当に嬉しかったんですね。大切な友達に最高のおもてなしをしたかったんだろうなぁ」 「まあそれもあるだろうけど、それだけでもないと思うよ」 感心するように目をキラキラさせる航生に苦笑いを返し、前髪を弄ぶ勇輝の手を掴むとその体を抱き寄せる。 額に唇を押し当て、ゆっくりと勇輝の香りを吸い込んだ。 「たぶんな、今のアイツができる最大限の物を見せつけて、『自分はここまでの事ができるだけの努力をしてきた』ってアピールしてるんだよ...お前はちゃんと努力したか、ちゃんと成長したのか見せてみろってさ」 「みっちゃんの成長? それは男優としてって事? それとも、これから始めようとしてるパティシエとしての心構え?」 「男として...ってとこだろうね。ほんとに、俺たぶん人間として底辺の頃にアイツと知り合ってさ、ずっとクズだクズだって言われ続けたんだよ。そんなクズの俺をなんで見捨てなかったのかは不思議だったんだけど...だから俺が、こうして大切な大切な勇輝って存在と、航生や慎吾くんて弟も同然の仲間連れてる事が心から嬉しい反面、ほんとに俺が変わったのか信じきれない部分もあるんだと思う。だから、俺の生まれ変わった姿をちゃんと見せてみろって気持ちもあるんじゃないのかな」 俺は明らかに感触の違う廊下へと足を進める。 勇輝も航生も慎吾くんも、黙って俺の背中の後ろを着いてきた。 「さてと、これがそっちの部屋の鍵な。荷物だけ置いたら、着替え持ってすぐにここ出てきて。黒木くん待ってるだろうし」 「水着どうしますか?」 「着けなくていいと思うけど、念のためにタオルに透けにくい色のビキニ持って行っとこうか」 「了解で~す。そしたらすぐ準備してくるわ」 俺は勇輝の肩を抱き、航生達の部屋の真向かいの扉へと手をかけた。 「充彦がどれくらいひどい男だったのか、教えてもらえるの楽しみだね」 上目で悪戯っ子みたいな丸い目を向けてくる勇輝。 ムラムラ来ないわけはないけれど、不思議とそれ以上の気持ちにはならない。 気合いが入ってるのか、それこそ『良い所を見せなければ』と緊張してるのか。 そんな俺の気持ちを見透かしたのか、部屋に入って荷物を置いた途端勇輝が飛び付いてきた。 赤い唇がしっかりと合わさり、遠慮なく差し込まれた舌が俺の口内を自在に動き回る。 その腰を引き寄せようとしたところで、サラリと勇輝は離れていった。 「今できる事を精一杯やろうね。普段のままの充彦だったら、きっと社長さんも納得してくれる」 「そうだな。できない事を背伸びしてまでやるわけじゃなし、俺はいつも通りの仕事やるだけだ。あとは勇輝が隣にいてさえしてくれたら、俺がもう昔の俺じゃないってわかるだろう...あんな本気も誠実さも見せない俺じゃ、お前と付き合うなんて絶対無理だもん」 「んふっ、晩御飯の時が楽しみ~。充彦の昔の話、社長さんにいっぱい教えてもらおうっと」 「ほどほどにしてくれよ。俺、勇輝に呆れられて捨てられたりしようもんなら、たぶん一生立ち直れないから」 「......そんな事あり得ないってわかってるくせに。俺が充彦から離れられると思う?」 「ん~? 思わないよ...勇輝の気持ちも体も離れていけないように、いつも全力でメロメロにしてるつもりだもん」 まだ二人分の唾液でヌラリと光る勇輝の唇を親指で拭ってやる。 それだけの事で勇輝は『ハァ...』と熱い息を吐いた。 「続きはまた後でな」 「もう...わかってるよ、それくらい。でも、そっちもお手柔らかにね?」 「今日はな。明日撮影が全部終わったら、俺のやりたいようにやらせてもらうけど」 「おお、怖い怖い」 「家じゃないし、潰すほどはしないよ」 「......俺がそれじゃ足りないかもよ?」 「そう? じゃあその時は可愛くいやらしくおねだりして」 今度は俺の方から掠めるだけの口づけをしかける。 「アイツの料理はマジで旨いから、最高に美味い物を最高の気分で食う為にも、ここはいっちょプロらしい最高の仕事してきましょうか?」 「よし、充彦のお墨付き料理の為にも頑張りましょう」 笑顔はそのままに、勇輝の纏う空気がゆったりと仕事用のそれへと変わっていく。 カバンから二人分の下着を取り出すと、俺も空回りしない程度に気合いを入れようと『ハッ』と一度だけ大きく息を吐いた。

ともだちにシェアしよう!