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鬼の霍乱【5】
「勇輝はね、もっともっと甘えなさい」
「...え? それが...アドバイス...ですか?」
「そうよ。もっと甘えて、もっとわがままになりなさい」
「い、いや...でも俺、充彦にはいつも過ぎるくらい甘えてるし。それに、時間もお金も目一杯俺の為に使ってくれてる充彦に、これ以上わがまま言うなんて...」
慌てるように首を振る俺の額が、コツンと痛くない程度に小突かれた。
「ばかねぇ。『どこか遊びに連れてって~』だの『新しいバッグ買って~』だの言う事がわがままじゃないっての。それはね、わがままじゃなくて『強欲』って言うのよ」
「じ、じゃあ...直人さんの言う甘えるとかわがままって?」
「それはね...思ってる事を素直に伝えて、それをしっかり受け止めてもらうこと」
隣に座った俺の肩が、そっと抱き寄せられる。
「アタシが勇輝にユグドラシルに行くように話した時ね...アナタはアタシに、『どうしても行かなきゃダメですか?』って言ったの。目は『行きたくない』って必死で訴えてるのに取り乱す事もしないで、すご~く冷静にね」
「だって! だって...俺がそこでわがまま言ったら、直人さんに迷惑かけると思ったから...」
「ほらぁ、そこよ。勇輝はね、わがままになるべき所で...気にしないで甘えればいい所でね...相手に気を遣って遠慮しちゃうの。アタシ、あの時ギリギリまで迷ってたのよ? 『どうしても離れたくない、行きたくない』って泣いて縋ってきてたらアナタを手放すなんてできなかった。きっとこんな女装家なんて止めて、正式に勇輝と養子縁組して保護者になってたわ。店を閉めた時だってそう...迷惑かけないように連絡してこなかったんだろうけど、オーナーの線からアタシだってとっくに捜査対象になってたの。出資もしてたしね。だから気にしなくて良かったのよ。連絡くれてさえいれば、すぐにでも迎えに行ってた」
幼子にするように、そっと額を合わせながら優しく髪を撫でてくれる。
部屋に置いてもらっていた時も、客としてユグドラシルに飲みに来てくれた時も...そういえば、いつもこんな風にしてもらっていた。
気持ちがすごく落ち着いて、語りかけられる言葉の一つ一つがゆっくりと胸に染み込んでくる。
「勇輝に本気で惚れてた客でもそうよ。アナタは『自分は一番じゃなかった』って言うけどね、一言でも『一番大切にして』って言ってれば、みんな家族でも仕事でも地位でも捨てられたはず。それくらいみんなアナタを大事に思ってたの。アナタの笑顔を守りたくて必死だった。でもね、勇輝は言わなかったでしょ? 自分の為に大切な物を失わせるわけにはいかないからって」
「...そう...だったのかな......」
「店が無くなってアナタが姿を消した後、そりゃあみんなの落胆ぷりったらすごかったんだから。誰が話をしたわけでも無いのに自然発生的にみんなが集まってきて『今勇輝はどこにいるんだ!?』なんて探し回って。しまいにはネットの掲示板までできちゃってさぁ」
「......へ?」
ネット掲示板って...?
どういう事?
驚いて直人さんを見ると、直人さんは明らかに『しまった』って顔をしていた。
「今はまあ、掲示板の話は一先ず忘れてちょうだい。どうしても気になるならそうねぇ...熱が下がってからアナタのパートナーに聞いてみたらいいわ...知ってるはずだから」
充彦が?
どうして?
尋ねようと思ったけれど、直人さんの表情を見る限り、どうやらこれ以上この話題について話すつもりは無いらしい。
どうやらこれは本当に充彦に聞くしかないだろう。
「とにかくね、みっちゃんに対してはちゃんと甘えてわがまま言わなきゃダメよ。『ずっと一番大切にしてね』『ずっと愛してね』って」
「そんなの...恥ずかしいし...わざわざ口に出さなくてもきっと伝わるから...」
「伝わるのは当たり前でしょ。二人とも、相手の為ならなんだってできる!とか思ってるみたいだし。でもね、気持ちでわかり合ってるだけじゃなくて、ちゃんと言葉にしないとダメな事もあるのよ。アタシは勇輝の気持ちわかってたけど、手放せたわよ? アナタがあれ以上何も言わなかったから、決心は揺らがなかった。お客さん達がどれほど勇輝を大切に思ってるか気づいてたはずなのに、アナタはそれを口には出さなかったでしょ? 言葉にしてしまうと、すべてを投げ出してでもアナタを欲しがるってわかってたから」
「それは......」
「いい? わかってる事でも、言葉にして確認するのが大切な時もあるの。例えばね、みっちゃんのあの高熱もどうかしら? 勇輝は朝から少しおかしい事に気づいてたのよね? なぜみっちゃんに訊かなかったの? みっちゃんは自分の体調が良くないとわかってたはずなのに、どうしてそれをアナタに言わなかったのかしら?」
「俺は...気のせいかと思ったし...本当に辛いならちゃんと言うと思ったから...あっ!」
俺は、充彦が何も言わないなら大丈夫だと思い込んでた。
どうしても辛いなら、自分から何か言ってくるだろうと。
充彦は、俺に心配させまいと隠していたはずだ。
航生の事で頭が一杯の俺に、心配事を増やすまいとして。
それがまさかこんな大事になるなんて思いもしなかっただろう。
どちらかが一言言ってれば、こんな時間に慌てる事なんて...無かった?
「わかる? 辛いなら辛いって、寂しいなら寂しいって言わなきゃ。大切な事こそ『きっとわかってくれるだろう』で終わらせちゃダメなのよ。それを勇輝が口にしたところで、みっちゃんはそれを『重い』なんてはね除けるような男じゃないでしょ?」
「それは...勿論......」
「自分がわがまま言って甘えさせてもらう分だけ、相手にもいっぱいわがまま言ってもらって甘やかしてあげればいいのよ。それでこそ、『何でも言い合える、最高のパートナー』なんじゃないの? 勇輝はちょっと自分を卑下しすぎちゃって、言うべき事を言わない所がある。だからみっちゃんだって気を遣って、言うべき話ができなくなるんじゃないかしら」
俺には心当たりが...あり過ぎる。
充彦に対していつまでも『俺と出会ってなければ』と心の隅で思っていた事を怒られたし、航生に対してヤキモチを妬いた充彦は、その気持ちを言えずに爆発するまで我慢していた。
「少しはわかってくれたかしら?」
「......はい。似たような事、充彦に言われて怒られたことがあるから」
「そう...やっぱりみっちゃんて、噂通りのイイ男なのねぇ。勇輝のこと、本当に本気で全部受け止めたいって思ってくれてるんじゃない。じゃあ今度は...勇輝の番ね?」
「...そうですね......」
「いっぱい甘えて、いっぱい甘やかしてあげるのよ?」
「はい。充彦が俺に変な気を遣わなくてもいいように、まずは俺が気を遣うの止めるようにします」
「...ほんとに勇輝はイイ子......今からでもアタシのとこに連れて帰りたいくらいよ」
「んふっ、充彦と一緒なら喜んで」
「やだ。あんなエサ代ばっかりかかりそうなでっかいワンコ、いらないわよ。でも...勇輝の為に責任もってワンコは治してあげるから、明日うちの病院いらっしゃい」
「あ、でも今日こんなに迷惑かけてるのに...」
「ほらほら、またそんな事言う。アナタは、甘えてもいい相手と遠慮すべき相手をきちんと分けられるようになる事の方が先だわね。当然、アタシは甘えてもいい相手よ」
「...はい、じゃあ...遠慮なく」
「そうそう、それでいいのよ。アタシには何の遠慮もいらないから、みっちゃんと喧嘩でもしたらすぐにうちにいらっしゃい」
「えっと...似たような事、他の人にも言われてます」
「あら、相変わらずライバルが多いのね。まあたまにはご飯でもご馳走してあげるから、その時はワンコと一緒に来ればいいわよ。じゃ、ちょっと点滴の様子見てこようかしら...」
「直人さん...いえ、河野先生...色々と本当に...ありがとうございました」
「ふふっ、そのありがとうは、今日の時間外の往診の分だけ受け取っておくわ。あとの事はお互い様よ。アタシも勇輝から色々もらったし、色々と教えられたもの」
直人さん...ううん、河野先生がゆっくりとソファから立ち上がり寝室へと向かう。
その後ろ姿は、昔よりもずいぶんと小さく見えた。
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