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鬼の霍乱【6】

「は~い、充彦、ご飯だよ。食べられる?」 お気に入りのトレーに一人用の土鍋を乗せ、寝室へと入る。 あれほど真っ赤だったのが嘘のようにすっきりとした表情で、充彦はベッドヘッドに背中を預けていた。 「あ、もう熱もすっかり下がったんだから向こうで食べるのに...」 「いいんだって。俺が充彦にこうしてあげたいの。そろそろおかゆ以外の物も食べられるかと思って、今日はうどんにしたよ」 「あ、マジ? 助かったぁ...腹減って死ぬかと思った」 あの充彦が倒れた翌日、言われた通り河野先生の病院を訪れた。 予め受付には話がしてあったのか、俺達はそれほど待たされる事もなく診察室に通される。 目の前にはこの病院の院長である、河野直人先生が笑顔で座っていた。 昼間に会うと、なんだかちょっと違和感と気恥ずかしさで目が合わせられない。 ちゃんと男で...いや、それどころか本当にダンディーな紳士で、でも僅かな動作の端々にはやけに不似合いなしなやかさがあって。 お医者さんに伝があるだなんて知らなかった充彦は、当然のように『どういう知り合い?』って聞いてきた。 だから俺はちゃんと答える。 『俺の命の恩人で、充彦に出会うまでは一番大切だった人』って。 言いつけを守らなかった俺に思わず素が出て、『アンタ、なんて事言ってんのよ!』って目を白黒させてる先生がやけにおかしくてつい笑ってしまった。 先生は、自分との過去の事で充彦が傷ついたり、俺達の仲がギクシャクしちゃうんじゃないかって心配してくれてるんだろう。 だけどね、先生...俺と充彦の仲は、そんなもんじゃないんです。 充彦という人間の俺への気持ちは、そんな事で揺らがないんです。 先生の予想に反して...そして俺の予想通り、充彦は含みも裏も何も無い、ただ穏やかな明るい笑顔で右手を差し出した。 「長らく勇輝を大切にしてくださって、本当にありがとうございました」 先生はそんな充彦のおおらかさや朗らかさに心底驚いたらしい。 それほど大きくはないはずの目がいつもよりパッチリと開いている。 おまけに差し出した手を握った先生の腕に少しだけ顔を寄せると、充彦は大きく息を吸って笑顔のままでゆっくりと頷いたのだ。 「ああ、昨日無理をして部屋に来て治療してくださったのは...先生だったんですね。重ね重ねありがとうございます」 すぐに気づいたらしい。 微かに残ってた香りと、今目の前の人がいつもうっすら手首に擦り込んでいる香りが同じだって。 熱のせいで嗅覚なんてボロボロのはずなのに、それでも充彦は充彦だ。 そして、充彦はやっぱりカッコいいなって改めて思う。 俺がかつて色々な意味でお世話になった人に助けを求めたというのに、そんな事を欠片も気にしてない。 その『色々』が何を表してるのかもきっとわかってるのに。 昔の男に会ったからといって俺の気持ちが揺らぐ事はないって自信があるんだろう。 自信があるだけじゃなく、それだけ俺の気持ちを信用してくれてるんだ。 同時に、昔の男がこんな風に今でも俺の事を大切に思ってくれている事が誇らしいのかもしれない。 俺はこんなにイイ男に愛されている...そう思うだけで、幸せな思いが増していく。 大切にしなくちゃ...いっぱい甘えさせてあげて、幸せにしたい。 本当にそう思った。 そして...俺をいっぱい甘やかして、もっと幸せにして欲しいって。 だから今は、とにかく甘やかしたい。 甘えて欲しい。 「美味しい?」 「あ、すっごい旨い。これ、干し椎茸の出汁だ。薄味だけど、これだけ出汁がしっかりしてるからすげえ満足感あるわ。それにこのフワフワにしてくれてる玉子が堪んない。さっすが勇輝」 「おだてても、今日はこれ以上出ないよ~。まあ...明日には、充彦の大好きな具だくさんの茶碗蒸し作ってあげてもいいけど」 「明日かぁ...つかさ、俺もうすっかり元気よ? 別に腹壊してたわけでもないんだし、飯くらい普通で良くない?」 「ダ~メ。熱のせいで筋肉の痙攣が酷かったの誰だっけ? ようやく自力で起き上がれるようになったばっかりのくせに。まだ体が普通の食事は受け付けられないよ」 「んなことないって。ほら、もういたって普通! 超元気!」 「ダ~メ! 充彦はまだ病人!」 「じゃあさ...」 トレーを枕元のサイドボードに置くと、いきなり充彦の手が俺の腕を強く引いた。 それは思ってもなかったほどの力強さで、不意打ちのようなそれに俺は呆気なく充彦の上に倒れ込む。 「元気か元気じゃないか...今から試してみようか?」 俺を抱き締める腕が熱い。 けれどあの日のような冷や汗の出る熱さじゃなくて、俺の体温も一緒に上がっていくような熱さ。 参ったな...充彦が何を望んでいるかもわかるし、俺がどうしたいのかもわかってる。 今は甘えても...わがままを言っても良い時か? 充彦の体調を考えたら、やっぱり遠慮するべきだろうか? 「充彦は...ほんとに大丈夫?」 「大丈夫。だから...抱きたい。勇輝を抱かせて?」 真っ直ぐな言葉。 いつもなら『見たら返事なんてわかるだろ』って言ってしまいそうなところだけど、俺もちゃんと真っ直ぐに返さないといけないって思う。 「体は拭いてたけど、やっぱり汗いっぱいかいてたし...先に一緒にお風呂入ろうか。んで、いっぱい俺を愛して...無理のない程度にね」 風邪が伝染ったんじゃないかというほど、顔に一気に熱が集まる。 そんな俺を見て、充彦はすごく満足そうに笑った。

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