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クールダウン&パンプアップ【航生視点】

勇輝さん達と別れ、俺達の部屋のドアを開ける。 さっき荷物を置きにきた時もそうだったけど、やっぱりどうもこの部屋は落ち着かない。 分不相応にも程があるのだ。 いきなり入った所にある6畳ほどの和室は、客間ではないのだそうだ。 つまりここは、客間に入るべきではない人間...秘書だったり、ボディーガードだったりという人間を連れて歩くような立場の人が泊まる為の部屋だという事。 その、十分にそこで満足な広さの控えの間を抜ければ、まるで宴会でも開くのか?って広さの和室。 その和室から右手に顔を向ければ、フランスのお城にでも置いてありそうな真っ白なテーブルセットがドンと幅をきかせたダイニングルームがある。 確かにこんな部屋に泊まるような人だと、プライバシーや防犯を考慮すれば気軽にレストランだの食堂だのって行けないものなのかもしれない。 洋食でコースを食べたければこちらを使い、懐石料理を楽しむなら真ん中の和室を使えって事なんだろう。 さらにダイニングを抜ければ、小さなバーカウンターと簡易キッチンの付いたリビング。 そして、ガラス張りのシャワールームとトイレもあって、一番奥には巨大なベッドがデンッと置かれた主寝室があった。 一方の左手はと言えば、うって変わって完全な『和』に統一され、手水鉢の置かれた小さな和風の庭を囲むように伸びる白木の廊下の先には、おそらく副寝室として使われるのであろうテレビの置かれた10畳の部屋、そして小さなお茶室、さらにその先には完全に外界とは隔離されたような小さな専用の露天風呂まである。 一体ここには何人で泊まるのが正解なんだ? こっちがこんなすごい部屋なんだから、おそらくは勇輝さんや充彦さんの部屋だって同じだと思う。 だったら何も二部屋用意してくれなくても、4人で一部屋使えば十分だったんじゃないだろうか? こうして改めて部屋に戻っては来たものの、浴衣を着させてもらうという約束の時間までどこで何をして過ごせば良いのかわからず、俺はただぼんやりと部屋の真ん中に立ち尽くしていた。 気軽に『テレビでも見よう!』なんて思っても、なんせそのテレビが『映画館かよっ!』とか突っ込み入れたくなるようなとんでもない大きさで、おいそれとスイッチを入れちゃいけないような気分になる。 かといって、家にいる時みたいに料理をする事も洗濯をする事も無いわけで、本当に何をしたらいいのかわからない。 部屋に入るまでピッタリとくっついて離れなかった慎吾さんは特に臆する風でもなく、ペタペタと素足のままでリビングまで歩いていくと、まるで自分の部屋みたいな顔で冷蔵庫を開けた。 慎吾さんは...やっぱり俺なんかと違って、こういうとこに泊まるの慣れてんのかな...? 昔はすごいお金持ちのお客さんなんかに連れられてあっちこっち泊まってたみたいだし。 ひょっとすると、旅行でもしてこんな貴賓室に泊まったりした事もあったのかもしれない...... 今の慎吾さんは間違いなく俺の物だってわかってるんだけど、時々俺の知らない『キラ』や『アスカ』の過去が気になってしまう。 それはこの部屋に入って感じた物と同じだ...やっぱり俺と慎吾さんじゃ釣り合わないんじゃないだろうか? 昔キラやアスカを愛した人達のように慎吾さんに贅沢をさせてあげられてるわけじゃないし、頭だってあんまり良くない。 俺に慎吾さんは...分不相応なんじゃないの? 「航生くん、ここすごいで~。冷蔵庫の棚一面ペリエだらけやねん」 フワッと笑う慎吾さんがその豪華なリビングにすごく似合ってて可愛くて...だからこそちょっと惨めで悲しくなる。 「いつまでそんなとこボーッと立ってんのん? 早よこっち来てよ」 「あ、あの...俺なんかが...勝手にそっちの部屋入っても...いいんですか...ね?」 おずおずと小さな声で答える事しかできない俺。 途端に慎吾さんの目付きがちょっと変わる。 ひどく色っぽくて、でもどこか怒ってるようにも見える目。 その表情の意味がわからず思わず気をつけ!ってしてると、慎吾さんは冷蔵庫から炭酸水を出してそれをグラスに注ぐ事もせず、直接口を付けながらゆっくりと俺の方へと戻ってきた。 「何考えてたん?」 「い、いえ別に...何ってわけじゃ......」 少しだけ目を逸らした俺の態度が気に入らなかったんだろうか。 慎吾さんはラッパ飲みしていたペリエの瓶を俺の方へと向けると...いきなり頭の上でそれをひっくり返した。 シュワシュワと音を立てながら、髪の毛を伝って冷たい水が顔へと滴ってくる。 「慎吾...さん?」 「こんな部屋、誰とも泊まった事なんかあれへんわ! 中学生の頃の家族旅行以来仕事以外で旅行らしい旅行もしたこと無いし、昔の客ともホテル以外で会うたりしてへん!」 苦しそうに怒気を露にする慎吾さん。 その口調にも内容にも正直驚いてしまう。 「どう...して?」 「なんでわかったんかって事? そんなもん、航生くんをずっと見てるからに決まってるやろ。誰より俺を見て、俺の考えてる事なんて手に取るみたいにわかってくれるはずの航生くんが、今俺が考えてる事わかれへんねんで? そんなん、余計な事考えてるせいで俺をちゃんと見てない証拠やんか。ずーっとそこに立ったまんま俺の事眩しそうに、でもめっちゃ悔しそうに見てるんやから...どうせ俺の昔の事悪いように考えて一人で悶々としてるんやと思うたの!」 あ、確かに...... 慎吾さんてこんな部屋でも緊張しないんだなぁとか、豪華な部屋が似合うなぁなんて思ってしまった瞬間、ちゃんと今の慎吾さんを見る事ができなくなってたかもしれない。 昔の慎吾さんの事ばっかり気にしちゃって...... 冷たい炭酸水が、悪い方に向かって暴走しかけた頭を冷静にしてくれる。 「航生くんと一緒やから、こんな部屋泊まれる事になったんやろ? 航生くんとおるから、ここに一緒におるんが楽しいんやろ? 確かに俺は航生くんが不安になってもおかしない生活送ってたけど、今はなんもないんやで? 航生くんしかいてへんし、航生くんしか見てへんし、航生くんと一緒やない思い出なんて全部消えてかめへんねん」 「......そうでしたね。慎吾さんが俺を選んでくれたのに、その気持ちを不安に思っちゃいました。俺が誰よりも慎吾さんをわかってるはずなのに。本当にごめんなさい」 自分がぶちまけた水でちょっと湿った俺の体を慎吾さんが抱き締めてくる。 やけに落ち着いて振る舞って見えていたはずの慎吾さんの、普段よりずっと早くて強い鼓動がトクトクと伝わってきた。 そっか...全然慎吾さん、余裕なんてなかったんだな。 俺がやけに緊張してるから、リラックスさせようとしてわざと明るくいつもと変わらない空気を出そうとしてくれてただけ。 そんな事にも気づかないとか...俺ってほんとバカだ。 俺を抱き締めてる慎吾さんの体を、俺の方から強く抱き締め返す。 「水かけて...ごめんな?」 「いえ、おかげでちゃんと冷静になって慎吾さんの事見られるようになりましたから。俺こそ慎吾さんに嫌な思いさせてごめんなさい」 「ほんまに? 怒ってへん? 冷静?」 「すっごい冷静ですよ。慎吾さんが考えてる事もちゃ~んとわかるくらいには」 「......んじゃ、今俺の考えてる事、わかる?」 「そうですね...ベッドルームに行きますか? それとも一緒にシャワー浴びる方がいいですか? まだ体の中にだいぶ熱が燻ってますよね?」 言いながら、薄らいでいく劣等感の代わりに、慎吾さんを悦ばせたいという欲がゆっくりと膨らんでいく。 そう、『今』の慎吾さんを心から悦ばせてあげられるのは俺しかいないんだ...その事実が嬉しくて、抱き締める腕にグッと力を込めた。 慎吾さんの鼓動は、ますます早くなっていく。 その鼓動と腕の中で恥ずかしそうに顔を胸に擦り寄せる慎吾さんの仕草が、今本当に望んでいる物を教えてくれた。 「ベッドまで行く時間がもったいないから...今はシャワーでいいですよね」 返事を確認するまでもないと体を離すと、俺は慎吾さんの手を取りしっかりと指を絡めると、リビングから続くシャワールームへと向かう。 似合うとか相応しくないとか関係なく、慎吾さんのいる場所ならそれは俺もいるべき場所なんだなぁって実感しながら、俺はガラス張りのドアを引いた。

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