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大切な今、大切な過去【4】
「えーっと...みんな酒飲めるのかな? ま、ウワバミの充彦は置いとくとして」
俺達を二つのテーブルを合わせた一角へと案内すると、匠さんがニコニコと笑う。
その物言いに、面白そうに笑いながら充彦が反論した。
「ウワバミとか置いとくとか、失礼だなぁ。単純にお前が酒弱過ぎるだけだっての。それで少しは飲めるようになったのかよ」
「飲めるっつうの。お前が化け物みたいに強いだけだろうが。もっとも、うちは俺より嫁さんのがだいぶ強いけどな」
ずいぶんと長い時間...少なくとも男優として人気が出てからは会ってなかった二人らしいけど、会話の中に空白の期間なんてまるで感じない。
立派な大人のはずの充彦と匠さんのやりとりはちょっと子供っぽくて、だけどお互いへの親愛に溢れてるように思えて、見てるだけでなんだか幸せな気分になってきた。
俺は縁が無くて知らないけど...高校生くらいの親友同士の会話ってこんな感じなのかなぁって笑いながら言い合う二人を見つめる。
「んで、お前んとこの嫁さんは飲めるの?」
匠さんの視線がいきなりこちらに向き、ヘラヘラと笑った形を作って顔がカチンと固まった。
......ここで言う『嫁さん』てのは...やっぱ俺だよな?
な、なんだろうか...いやまあ俺が突っ込まれる方なんだから嫁さんでも間違いではないような...あ、でもやっぱり俺男だし嫁とか妻とか、おかしいってか......
ヤバい、ちょっと嬉しい......
「うちの奥さんは、俺に負けず劣らずのザルよ。あと、そこのちょっとだけ男前の下僕は......」
「誰が下僕ですかっ!」
「下僕って言葉聞いて自分の事だってわかって反応してるお前の事だっての、バ~カ。とりあえず、あのバカも底なし。マジで相当飲めるから。ただ、もしあるならウイスキー出してやって。んで、そっちの可愛い子ちゃんは飲めるけど超弱い。だから乾杯終わったら、弱めの甘い酒にしてやって欲しいんだけど」
聞けば、あの傍若無人で怖いもの無しって感じの山口さんは、ほぼ下戸らしい。
一方の黒木くんは、酒に飲まれた記憶がないと自分で言い切るくらいの酒豪だって事がわかった。
「なるほど、オッケー。乾杯だけ終わったら、可愛い子ちゃんと山口さんにはアップルタイザー持ってくるよ」
厨房に戻ろうと俺達に背中を向けた匠さんが、数歩進んだ所でピタリと足を止める。
「充彦ぉ、お前...ほんと変わったわ」
「そっか? 昔からこんなんだろ、いっつもヘラヘラしてて」
「よく言うよ...ヘラヘラしながらも、本気で笑った事なんて無いくせに。お前が全力で誰かをからかって面白がる姿も、誰かに心から甘えてる姿も初めて見たわ」
「甘えてるって...んな姿、お前に見せた記憶無いけど?」
「よく言うよ。さっき俺の嫁さんがパティシエだって聞いた途端、顔色変えたくせに。そしたらお前んとこの奥さんすぐそれに気づいて、お前になんか話してたじゃん。そしたらみるみる元気になってたろ。まさかあの充彦が、他人に弱点見せられるようになるなんてなぁ...なんでもそつなく、適当に流して弱みなんて無い顔で生きてたのに。奥さん出来たらそんなに変わるのか?」
「まあ、勇輝が俺にとって最高で最強なのは勿論なんだけどさ...嫁さんが出来たからってだけじゃないよ」
み、充彦まで『奥さん』だの『嫁さん』だの繰り返してるよ...ちょっともうやめて。
すっげえ嬉しいんだけど、すっげえ恥ずかしい。
「俺、この最高の嫁さんのおかげでさ...大事な家族まで出来たんだよ。支えてくれる人、支えて守ってやらないといけない人がいるってのは...いいもんなんだな。あの頃はわかんなかったけどさ、今なら匠が言ってた言葉も少しは理解できるもん」
しっかりと背筋を伸ばし、特別な話じゃないって顔で充彦が俺達を見回す。
その顔がなんだか凄く誇らしげに見えて、そしていつも以上にカッコ良くて...俺はそんな充彦がまた好きになった。
**********
俺達のテーブルの中心には、フレンチレストランには不似合いな大きな絵皿がドンと置かれた。
伊万里焼...かな?
鍋島の青絵皿のような気がするんだけど......
乗せられた料理よりも、ついまず器を見てしまう俺の視線に気づいたのか、匠さんが不思議そうに首を捻る。
「勇輝くん、どうかした?」
「あ、いや...フレンチに鍋島とか、意外な組み合わせだなぁと思って......」
「ん? 陶磁器とか詳しいの?」
「こいつね、和物に対しての知識、半端じゃないから。漆器に着物に小物全般。作る料理も、店で出せるレベルの和食だしな」
「......お前、なかなかすごい奥さん見つけたな」
「俺も思う。自分が作れるのは和食だけだけど、ありとあらゆる料理食べてきてるからめちゃくちゃ舌も肥えてるし。おかげで俺の料理もケーキも、すっごいレベルアップしたと思うもん」
「へぇ...こりゃあ一生頭上がらないな、この美人の奥さんには」
「上がるわけないだろ、メロンメロンに惚れてるのに。んで、お前はいつからフレンチのシェフから和食の板前に変わったんだ?」
充彦は少しおどけたようにその大絵皿の上を指差した。
そこには、この立派な絵皿にとっても似合った一見和風の料理がこれでもかってほど乗っている。
「なんか...無造作に見えてちゃんと味を考えて並べてある感じとか...ちょっと皿鉢料理みたいですね?」
鰹ではなく鮭か鱒と思われる魚の刺身らしきものを中心に、その周りにはぐるりと野菜や肉が並べられている。
そこに乗っている物は純粋な和食ではなかったけど、でも自分達の知るフレンチとも少し違っていた。
「なるほど...確かに食の知識がすごそうだ。そうなんだよ、これはね、皿鉢料理をイメージしてオードブルを並べてみたの。みんなでワイワイしながらさ、酒の肴として楽しんでもらいたいと思って。少し飲んだらメインディッシュも持ってくるよ。雪乃、シャンパン出してきてくれる?」
頷いた奥さんが一旦厨房へと下がる。
何か思い出したのか、匠さんもそれに続いた。
しばらくするとシャンパンボトルを突っ込んだ銅製のワインクーラーを持った奥さんと、小さなコーヒーカップをトレーに乗せた匠さんが戻ってくる。
「乾杯の前にさ、それでちょっと体と口の中温めといて。そしたらますますシャンパンの冷たさと風味が楽しめると思うから」
カップの中には綺麗な琥珀の液体が張られている。
立ち上る湯気からはフワリとキノコの香りが広がった。
「えっ? これってもしかして松茸のコンソメですか?」
「お、正解正解。俺、キノコの香りと辛口の白ワイン合うと思ってるんだよね。さあ、冷めないうちにどうぞ~」
促され、ゆっくりとそのカップに口を付ける。
......その途端俺は...あまりの驚きに思わずカップを落としそうになった。
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