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複雑な気分です【2】

正午近くになり、迎えに来てくれた社長の車で指定されたブライダルレストランへと向かった。 住宅街の中にある、一見すればやたらオシャレな大豪邸といった佇まいの建物の前で車を降ろされる。 コンクリートが打ちっぱなしの外壁に、大きな一枚ガラスのエントランス。 中では何やら忙しく動き回っている人影が見えるから、撮影場所はここで間違いないらしい。 「よっ、久しぶり」 背後からかけられた明るい声に振り返れば、重そうなビデオカメラのバッグを肩から下げた笑顔の中村さんだった。 側に停まっている車がミニクーパーっていうのが、なんとなく中村さんの雰囲気にすごく合っている。 「あれ、中村さん今日から入るの?」 「うん。個人的にも度会馨の現場って見ておきたいし、編集さんからは一応メイキングも押さえといて欲しいって言われてるからさ。でもまあ、他の内容が濃くなりそうだから、メイキングは使われない可能性が高いらしいんだけどね」 「そうなんだ。使わないかもって言われてるのにカメラ回しとかないといけないって、それもなんか大変だねぇ。あ......そう言えばさ、今日は度会馨の久々の写真集撮影だからってんで、取材のテレビカメラが入るって聞いてるんだけど...」 充彦のポロリと溢した言葉に、俺はギョッとして思わずそちらを見つめてしまった。 いやいや、テレビ入るなんて話、俺聞いてないんですけど...。 充彦がやけに自信無さげに不安がってたのはそういう事なのか? それであんなに緊張してたのか? よほど訝しげな顔でもしてたのか、俺のその表情を見て社長と充彦は『しまった』って顔色を変えた。 「充彦、お前話してなかったのかよ」 「あ、いや、だって俺は社長が話をするもんだとばっかり...」 「そんなもん、お前ら一緒に暮らしてんだから、俺はお前がちゃんと話すだろうと...」 「はぁ......要は、前もってカメラが入るって聞いてたのに、二人とも俺には伝え忘れたわけね?」 「面目ない...」 たかがAV男優の写真集だってのに、一体どこまで話が大きくなってんだよ...さすがにちょっと頭が痛くなる。 「テレビ的にNGな話とか無いんだろうね? 普段通りの会話なんか撮られたら、下手すると放送コードに引っ掛かると思うんだけど?」 「いや、そこまではわからないんだが...ま、もし問題あれば、取材側でなんとかしてくれるだろ。第一、あくまでも度会馨の取材であって、お前らにはマイク向けられる事すら無いと思うんだけどなぁ...」 別にテレビの取材が来てるからって態度を変えるつもりもないけど、そんな大袈裟な事態になってるならせめて一言だけでも教えておいて欲しかったとため息が出る。 知ってるのと知らないのとでは、さすがに気構えが違う。 「あ、度会馨から初日だけはカメラ入れないで欲しいって要望があったみたいで、今日はカメラ来ないらしいよ。明日からは完全密着するって話だけど。ちなみに俺は、今日から二人に完全密着だけどね~」 「うん、それは全然問題無いんだけど...でも、今日はテレビ来ないんだ? 変わってんねぇ。そういうのってさ、初日こそ特に密着して、顔合わせの緊張感だとか打ち合わせ風景とか撮影したがるもんなんじゃないの?」 「俺もそう思うよ。ただ、度会馨本人が『今日だけはどうしても映されたくない』って言ったらしい。代わりに今、宿泊先のホテルでインタビュー受けてるはずだよ。滅多に顔すら出さないあの人がインタビューを受けてくれるんだからって事で、テレビ局はオッケーしたんだってさ」 「初日は絶対にカメラ入れたくないって...それってやっぱ、芸術家肌で神経質な人って事なのかなぁ。社長、一回契約で会ってんでしょ? どんな人だった? 細かくてうるさそうな感じ?」 「いやぁ...全然そんなイメージ無いぞ。すっげえ美人だったけど、きさくで豪快なお姉ちゃんだった。一緒に酒でも飲んだら楽しいだろうなぁと思ったもん」 「ふ~ん...てことは、どうしても今日はダメっていう特別な理由でもあるのかな...」 「いつまでもこんな所でどうしたの?」 中村さんのミニクーパーの隣に、真っ黒なハマーが入ってきた。 ウィンドーが下り、車とは不釣り合いな柔らかい穏やかな笑みが俺達に向けられる。 「岸本さん!? あれ、なんで?」 「やだなぁ。二人がメディア媒体に出る時には、全面的にうちの服を着てもらってるの忘れた? 当然今回も、京都での着物以外は全部うちの服ですよ。となれば、現場を見に来るくらいはするでしょう、こんなに大きな仕事なんだし。そうそう、ちなみに着物を用意するのは、『西陣 ゑり正』の八代目だそうですよ」 「八代目って...え? もしかして、それって...裕さん?」 「そうですよ。昔はただのいけすかないお坊っちゃまだったのにねぇ...今や西陣の生地を海外のハイブランドにまで卸してる、超やり手経営者ですから。すごいでしょ? 今回は勇輝くんの着物を用意できるって、メチャメチャ喜んでましたよ」 隣で充彦が不思議そうな顔をしている。 そりゃあそうだろうな...勝手に話が進んでて、充彦からしてみりゃ『なんのこっちゃ』だろう。 俺が説明しようと口を開きかけた時に、先に言葉を発したのは岸本さんの方だった。 「裕さんていうのはね、僕とおんなじで『ユグドラシルのユーキ』の大ファンだった人なんです。まあ僕と違って、彼は老舗呉服問屋の跡取りでお金は掃いて捨てるほど持ってたから、保証金もあっさり払えちゃいましたけど」 「じゃあ、その人ってもしかして勇輝と...?」 「ふふっ、ヤキモチ? 心配しなくても、裕さんは勇輝くんには選ばれなかったから、結局一回もベッドは共にしてないはずですよ、ね? 目の前にドーンと現金積んで『選んでくれ』ってアピールしたのに、『自分自身が必死で稼いだお金を持ってきてくれたら、たとえそれが1万円でも僕はあなたを選びますよ』って断ったって話は、僕達ファンの間でも有名でしたから」 「ちょ、ちょっと岸本さん......」 「僕と一緒。いつかは勇輝くんに選ばれたいって気持ちで、裕さんも必死に仕事頑張ったんだです。胸を張って勇輝くんに会いに行けるようになった時には、もう店が無くなってた...これも僕と同じ」 「その人、今でも勇輝狙ってんですか?」 訊ねる充彦の語尾がきつい。 関係ないはずの岸本さんの事を睨み付けるように見つめるから、思わず肘を軽くつつく。 「昔の話だってば...何気にしてんの?」 「勇輝くんの言う通り、もう昔の話です。今も狙ってるなんて事はあり得ない。だってね、裕さんも...掲示板仲間だから」 可笑しそうに目尻を下げる岸本さんに対して、真っ赤な顔でバツが悪そうに俯く充彦。 えっと...これはどういう反応? そう言えば、この間河野先生もそんな事を言ってたような気がする。 「さあさあ、ずっとここで立ち話もなんだし、中に入りましょう。撮影が見られるのも嬉しいんですけどね、久々に馨ちゃんに会えるのが楽しみで。ね、勇輝くん?」 「...は? 岸本さん、度会馨と知り合い?」 「えっと...勇輝くん、それ本気で言ってるの...かな?」 「ちょっと俺、今わけがわかんなくて、冗談言う余裕無いです」 「そりゃあ馨ちゃんが悲しがるでしょうね...いや、気づいてないだけなのかな? まあ、それならそれでもいいか、楽しい事になりそうですし」 「岸本さん、マジで何? どういう事なんですか? もしかして俺、度会馨と会ったことあるの?」 「さあねぇ...大丈夫、すぐにわかりますよ」 得意気な顔で建物に入っていく岸本さん。 充彦は何やら釈然としない表情で俺をじっと見ている。 「んもう...そんな顔すんな! 何がどうなってんのか一番聞きたいのは俺だっつうの!」 なんだかイライラモヤモヤしたまま、充彦の視線から逃げるようにして俺は急いで岸本さんの背中を追い掛けた。

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