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複雑な気分です【3】
中に入ってみると、聞いていた『ブライダルレストラン』という雰囲気はあまり感じない。
真っ先に通された場所が普段はパーティーに使われているスペースなのだろうが、今はその面影も無かった。
隅にはキングサイズのベッドが置かれ、その周囲には見るからに高級そうなインテリアがずらり。
そこは驚くほどに広く、生活感を全く感じない不思議な居住スペースになっていた。
「おはようございます。二人とも、体調は問題無い?」
ポンと肩が叩かれ振り返ったそこには、今回の俺達に関する企画の責任者である斉木さんがニコニコしながら立っていた。
普段はひたすら穏やかな笑顔を振り撒いているが、いざ仕事となれば容赦なく大声で檄を飛ばす、なかなかパワフルな女性だ。
「あ、おはようございます。体調はばっちりですよ...たぶん」
「ちょっとぉ、たぶんはやめて、たぶんは。度会先生って普段は明るくてめちゃくちゃ楽しい人なんだけど、撮影に入ったらかなり厳しいしギリギリまでハードな要求してくるって評判なんだから。途中でギブアップとか無しよ?」
「まあまあ、そこは大丈夫ですって。普段の俺らも相当ハードな撮影はこなしてますから、ギブアップなんて情けない事はしませんよ」
「それにしても、このレストラン? ここ、なんかすごいですね。まあ勿論撮影の為に内装とかだいぶ変えてるんでしょうけど、ブライダルレストランの雰囲気ゼロじゃないですか?」
「あら、ここわりと有名なのよ。ブライダルレストランよりも、『人気ドラマの撮影場所』としてね」
「え、そうなの?」
「そう。セレブのお家に使われたり、法律事務所のオフィスに使われたり。実はこの建物全部、どこをどんな風に使っても構わないようになってるのよ、キッチンの小物まで含めて。まあここまで大掛かりじゃないけど、あたし達も時々撮影に利用させてもらってるわ。二人も知ってるような国民的アイドルが主演したドラマにもよく使われてたんだから。ここは、撮影の合間にパーティーやブライダルの営業してるって言った方が正しいくらいかもよ。そのドラマのファンの人なんかが、撮影の無い日に食事会開いたりもしてるんですって」
「へぇ...じゃあここは、豪華で設備が充実した貸しスタジオって感じ? それでこのフロアはどういうコンセプトなの? ちょっと殺風景っていうか...ベッドあるわりに生活感無さすぎじゃない?」
「いいのいいの。これが先生の希望。ビバリーヒルズのセレブが、たま~に来るセカンドハウスってイメージだから。高級な調度品は揃えてあるけど、日常ここでは暮らしてないって事ね。ちなみに、ちゃんと上のフロアには恋人同士が仲良く暮らしてるアパートメントをイメージした部屋も用意してあるわよ」
その言葉に、俺は中村さんと二人で大理石の螺旋階段を駈け上がった。
そこにも下のフロアに負けないくらいの数のスタッフが、いつ撮影開始の声がかかっても大丈夫なようにバタバタと動き回っている。
こちらは下よりも一回り小さいベッドに、枕元にはシンプルなサイドボードが一つ。
窓にはレースのカーテンが引かれ、その側にはパキラの鉢植えが置いてあった。
扉の無い隣に続く通路を抜ければ、そこにはうちの作りと良く似たリビング。
下は100インチをはるかに超える大型テレビが据えられていたけれど、ここにあるのは50インチくらいの、まさに我が家にある物とまったく同じテレビが置かれている。
よく見てみれば、形こそ少し違うものの同じ色で同じ材質のソファ。
その前に置かれたグラスボードに傍らのマガジンラック、テレビの横に置いてある空気清浄機も、どうにも見た事のあるような物ばかりだ。
「ここ...すっごいうちに似てます」
思わず口に出せば、近くを通ったスタッフさんが『当たり前だ』と笑った。
「二人の部屋、真似させてもらってるからねぇ」
「え? ちょっと意味がよく...」
「度会先生から、できるだけ二人の部屋に似せて欲しいってリクエストあったから、社長にお願いして部屋の写真借りたんだけど...聞いてない?」
瞬間俺は、ダッシュで階段を駆け降りた。
俺の勢いに何かを感じたのか、社長は既に逃げ腰だ。
「どういう事だよ! 俺らの部屋をイメージするのは構わないけど、無断で写真渡すなんて!」
「わ、悪かったよ。最初の契約の時に、向こうからどうしても二人の部屋での自然な表情が撮りたいって言われて、でもさすがにお前らの本物の部屋を撮影場所に提供はできないっつったら、せめて再現したいから写真だけでもくれって...」
「だからって無断はないだろ!」
「言ったらお前ら、嫌がるだろうよ...イチャイチャすんのは人前でも平気だけど、自分らの素の日常とか晒すの抵抗あんだろ。前も、クローゼットの写真撮らせて欲しいって話だけでもメチャメチャ嫌がってたじゃねぇか。だから...どうにも言えなかったんだよ。度会馨、お前の普段の表情をどうしても撮りたいっつって譲らないし、それが撮れないなら写真集の話は無しって言われるし...」
「え、何? 何の話?」
ずっと下で斉木さんと話していて何も知らない充彦が驚いて寄ってくる。
怒りに任せて充彦にすべて話してやろうと息を吸った瞬間、フロアの中の雰囲気がいきなり変わった。
スタッフ全員が一ヶ所を見つめ、ピリピリと緊張感が高まっている。
「度会先生、到着されましたっ!」
響いた声に、思わず開きかけた口を閉じる。
カツカツと大理石に鳴るヒールの音。
ゴクリと息を飲んだ、その次の瞬間...
「あ~ん、勇輝だーっ!」
いきなり俺の胸に飛び込んできた華奢な影。
驚きながらも、それをしっかりと受け止める。
フワリと腕の中から漂ってきた、甘くフルーティーなのにほんの少しスパイスを感じさせる独特なフレグランスは、間違いなく俺の知っている香りだった。
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