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複雑な気分です【4】
「あ、あの...えっと......」
受け止めた影は、俺の背中にしっかりと腕を回し、一向に離れる気配が無い。
「わ、度会先生...何...?」
「まだ撮影始まってないんだもん、そんな呼び方嫌よ。ちゃんと昔みたいに呼んで...」
「いや、そんな事言われても...」
この人は一体何を言ってるんだ?
確かにこの香りは知ってる。
間違いなく記憶のどこかにはあるのだけれど、それがこの『度会馨』という人に繋がらない。
どうしたらいいのかわからず困って充彦を見てみるが、その充彦はちょっと怒ったような不機嫌そのものの顔になっていた。
とても『助けて』なんて言えそうになくて、ちょっと泣きそうになりながら大きく溜め息をつく。
「馨ちゃん、勇輝くんが困ってるから、そろそろ解放してあげたら?」
睨み付ける充彦を尻目に助け船を出してくれたのは岸本さんだった。
衣装用の服を次々ラックに掛けていたのだが、その手を止め呆れたように近づいてくる。
「嫌よぉ! このあたしが抱きついてるってのに、勇輝が困るなんてあるわけないじゃない!」
「困るに決まってるでしょ、隣にみっちゃんて人がいるのに」
「......あ、そうか。忘れてたわ、勇輝以外どうでもいいし」
「それにね、勇輝くんは馨ちゃんが誰なのか、気がついてないみたいなんだ」
「ちょっと、ウソッ!」
岸本さんの言葉に、度会馨は俺の腕の中で慌てて顔を上げる。
...あ、あれぇ?
さすがにこの顔は...知ってるぞ...
「もしかして...ルルちゃん?」
「あ~ん、やっぱり勇輝、ちゃんと覚えてくれてた~」
感極まったように度会馨...というか、ルルちゃんは、ますます俺の体に強くしがみついてきた。
気付けば背中に回された手が、スルスルとシャツの中に忍び込んでいる。
「ちょっとアンタ、勇輝困ってんだろ。有名な写真家だかなんだか知らないけど、いい加減にしろよ!」
暴走を始めたルルちゃんの動きにさすがに我慢の限界がきたのか、充彦がその腕を握り動きを止めた。
スタッフの間には、更に緊張が走る。
万が一充彦のこの動きで度会馨が機嫌を損ねれば今日の撮影が...いや、この写真集の話自体が延期や中止になるかもしれないと思っているのだろう。
でも大丈夫。
彼女が、本当に俺の知っているルルちゃんなら...きっと...
「ルルちゃん、メッ! イタズラが過ぎるでしょ? スタッフの皆さんも困ってるし、充彦もわけがわからなくてイライラしてるみたいだから、もうこの辺で止めとこうね?」
そっと前髪を指で軽く払い、露になった丸い額にそっと唇を押し当てた。
途端に背中に回されていた手はゆっくりと離れていき、少し照れたようにその手で額を押さえる。
「うん、ゴメンね。勇輝に会えたのが嬉しくて、つい興奮しすぎちゃった」
「んもう、変わってないなぁ。興奮するとちょっと暴走しちゃう癖、治ってないね」
「治んないよぉ...だって、昔からあたしの暴走止められる人なんて、勇輝しかいなかったじゃない」
「それにしても驚いちゃった...まさかあの度会馨がルルちゃんだったなんて。いつから写真なんて撮ってたの?」
「勇輝といた頃から、ほんとはずっと撮ってたのよ。ただ全然売れなくて、あの頃は写真だけでご飯食べられなかっただけ」
「そうだったの!? 俺、何にも知らなかった...あんなに一緒にいたのにゴメンね。今日もすぐに気づいてあげられなくてゴメン」
ギュッとルルちゃんの昔と変わっていない華奢な体を強く抱き締める。
...と、岸本さんが俺の肩をトントンと叩くと、相変わらず少し困ったような呆れたような顔で後ろを指差した。
「再会を懐かしんでるところ悪いんだけど、そろそろ充彦くんにも事情説明した方が良さそうですよ? ちょっと顔色変わってる」
言われて振り返れば、なるほどこれは...ルルちゃんが機嫌を損ねて帰るより、このままじゃ充彦がぶちギレてここを飛び出していくのが先のようだ。
しかし、これだけのスタッフがズラリと並んだここですべてを説明するというのも色々とまずいだろう。
何よりルルちゃんのメンツってもんがある。
あれこれ考えたまま何も言えない俺よりも、ルルちゃんの判断は早かった。
「すいませ~ん。キッチンを休憩室にしておいて欲しいってお願いしてましたよね? ちょっと勇輝くんと充彦くんと3人で打ち合わせに籠ります。呼ぶまで誰も近づけないでくださいね。あ、そうそう。衣装の打ち合わせもするから岸本くんも一緒に来て」
ベッタリ甘えていたルルちゃんの顔は一瞬にして消え、そこにいたのは俺の知らない度会馨だった。
着いてこいとでも言うように一度ウインクをすると、岸本さんを引き連れ奥へと消えていく。
「安心して...ちゃんと全部話すから...」
いつもとはまるで違う、トゲトゲとした雰囲気を隠そうともしない充彦の右手を握り、そこに強くグッと力を込めると、俺はその手を離さず度会馨の後に続いた。
はぁ...ルルちゃんに岸本さんに裕さんか...今回の撮影、充彦大丈夫かな......
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