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大切な今、大切な過去【9】
「その頃で充彦さんはいくつですか? 21? 22?」
「会ったときはまだ21だったな」
「そしたら、もう今の仕事は始めてたん?」
「あー...うん、まあ。でも、本格的な絡みには全然呼んで貰えて無かった頃」
そうなんだよな...いくら本人からもスタッフからも直接聞いたとはいえ、充彦に『現場から声のかからなかった時代』があったというのがいまだに信じられない。
この見た目にあのテクニックで?
実際のセックスが上手いのは自分の体で十分過ぎるくらいに知ってるけど、何より『見せるセックス』のイヤらしさは、どう考えたって今のこの業界の中でも群を抜いてると思う。
だからこそ本番をしなくたって仕事が途切れないんだ。
あのセックスの艶っぽさは決して俺の贔屓目なんてわけじゃなく、スタッフも女優さんも、何よりお客さんがわかってる。
それが、あの身長のせいで何年もまともな仕事がもらえなかったんだから、一体何が災いして何が幸いなのかわからないもんだ。
......あ、充彦の場合は身長だけじゃないか。
身長もだけど、チン長が問題だった?
派手に金かけて、それで大ヒットを生んでたAV最盛期と違って、ちょうど充彦がこの世界に足を踏み入れた頃から急激に制作予算が縮小されたと聞いている。
企画物の乱発で飽きられたり、無料の違法動画サイトが増えてきた事もあって、DVDの販売本数が一気に落ち込んだからだ。
予算が削られるって事は制作日数も削られるって事で、その結果、昔なら最低でも3日ほどかけて女優さんの体調を見ながら丁寧に作っていた物でも、無理矢理1日で撮りきるようになった。
いや、それどころか俺が入った頃には、4~5時間でほぼ台本もカットも無しの編集の手間を省いた長回しビデオが主流になってた。
まあ、だからこそ俺は1日で何現場も掛け持ちなんて事ができたわけだけど。
男優も女優もノンストップで繋がらざるを得ない撮影に、充彦の持ち物では相手役の負担も大きくなるんだろう。
おそらくはそのせいもあって、低予算で作らないといけない男性向けの量産型ビデオでは充彦は敬遠された。
女優さんが体を傷つける事になるだろうと。
でも、たっぷりと時間と予算をかけられる女性向けビデオが作られるようになってきて初めて、各メーカーは充彦の持つポテンシャルの高さに気づかされる事になった。
皮肉なもんだな...かつてはビデオ界で主流だったはずの『巨根』が男性の勃起の為には敬遠され、女性を濡らす為には歓迎されるんだから。
「あ、そう言えばさ、結局充彦のAVデビューって何がきっかけだったの? 汁とフェラ要員が最初だったってのはわかってんだけど、そこに至る話を聞いた事無かった」
俺の問いに、充彦はちょっと目を丸くして口を半分だけ開けた。
「お前、今更何言ってんの?」
「え? いや、今更って言われても......」
「......ってか俺、もしかして社長との繋がり含めて、そこら辺の話、してない?」
「なんとなくは知ってるし、出会ったきっかけも聞いたよ? でも、そこからの話をちゃんと教えてもらった事無い」
積み重ねてきた過去があるから今の自分がある...それは、俺も充彦も同じ事だ。
今の相手が好きなのだから、そこにどんな過去があろうとお互いに詳しく尋ねる事はしなかった。
寧ろ『過去など関係ない』とわざと目を背けていたかもしれない。
けれど俺も過去を見つめ、そして充彦も自分の過去に向き合った今なら、もう空白の時間についてを質問する事も許されるんじゃないだろうか?
充彦は恥ずかしそうに頭を掻くと、チラリと匠さんを見た。
その匠さんは小さく顎をしゃくり、まるで『話してやれよ』と言わんばかりのポーズを取る。
はぁ...と大きく息を吐くと、充彦はしゃんと背中を伸ばして俺達を見回した。
「その辺は知ってるもんだと思ってたからなぁ...匠との話だけしたらいいと思ってた」
「ま、俺との話をわかってもらう為にも、ちゃんとあの頃のお前の生活はわかっててもらった方がいいだろうな」
「だよね~。おっしゃ、んじゃちょっと説明しようか。もしわかりにくい言葉とかあったら、また質問して」
長い話になりそうなのか、充彦は改めて自分で水割りを作るとそれを一気に飲み干した。
「ま、親父のヤミ金への借金のせいで俺が追い込みかけられて、ボコられて死にかけた所を助けてくれたのが社長だったってのは...勇輝は知ってるよな? あ、航生とか慎吾くんはそこら辺から説明いる?」
「いえ、俺らはそこは詳しく知らなくていい事なので気にしないでください。今は勇輝さんが知りさえすればいいんで」
「オッケー、続けるわ。『死ぬから止めとけ』ってただ止めたって、裏社会の人間に普通ならそんな言葉の制止なんて通用しないよな? だってさ、1円も金返済させてないんだもん。目的達成してないのに止められるわけないじゃん? その時社長、そのヤミ金の奴等に名刺1枚渡したんだよ、『今は全部無くしちまってるけど、半年後にはその坊やの借金倍にして返してやる。このまま殺しても、お前らにとっては一文の得にもなんねえだろ。倍どころか甘い蜜それなりに吸わせてやるから、今はその坊や見逃した上で俺の手伝いしてくれねえか』って。そしたらさ、その名刺見て...そいつら社長と握手しやがったんだよ、笑いながら」
「名刺1枚...で? そこって何が書いてあったの?」
「ん? 名前だよ、自分の。名前書いてあっただけ。ただし社長の名前をさ、そいつらはよく知ってたんだな...風俗のスカウトマンから経営者になって、たった3年でソープとデリヘルとランパブを合わせて8店舗オープンさせたってんで伝説になってたらしいから」
「あれ? スカウトマン...なの? 前に充彦、『竿師だった』とかって......」
不意に口を出したところで、航生がまた小さく申し訳なさそうに手を上げる。
「す、すいません...竿師ってのがよくわからないんです...けど......」
そんな航生に向かって、充彦はいつもからかう時に見せるようなガキ大将のような顔でニッと笑った。
「まあ、お前も慎吾くんも勇輝も俺も、竿師っつったら竿師だな。俺の場合は元だけどさ」
ああ、充彦の意地悪め。
『ん? AV男優? ポルノ俳優?』なんて航生はわけがわからないって顔で必死に首を捻ってる。
そんな姿を見て、充彦は満足そうに手を叩いた。
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