373 / 420

大切な今、大切な過去【10】

「航生、困ってんだろ。ちゃんと説明してやれよ。つうか、俺もよくわかんないわ...スカウトマンで竿師ってどういう事?」 「あー、悪い悪い。話の腰折ったわ」 充彦は意地悪げな笑みを引っ込めて航生の方へ体を向けた。 「まずな、一般的に言われる『竿師』ってのは、男の竿...つまりチンポ使って仕事する、俺らみたいなAV男優を指して言う事が多いんだ。あとはまあ、女性相手の風俗に勤めてるとかもそうかな」 「広い意味で言うと、枕前提のホストなんかでもそうなるかもね。でもさ、そこにスカウトマンが出てくるのがよくわかんないんだけど」 「スカウトマンやってた頃の社長ってさ、ソープでもデリでも、常に即戦力になっていきなりナンバーワンを狙えるような女の子ばっかり紹介してたから、店からもらうマージンが抜群に高かったらしいんだよね」 「即戦力?」 「まあ例えば、ホストに入れあげて借金で首が回んないとか、やりたい事があって必死に金を貯めようとしてるキャバ嬢の噂とか聞くじゃない? そしたら直接その子のとこに行って、本気で頑張るなら確実に稼げるって話をするわけよ。で、やってもいいってなったら、そこから自分の体使って仕事に必要な知識とテクニックを叩き込んで、それから店に紹介すんの。まあ店からしたらいちいち新人教育の必要も無いし、社長の紹介で入ってきたって肩書きがあるだけで固定客がすぐ付いたりするから一石二鳥って......」 「要は、金の欲しい女を自分の体と札束で言う事聞かせて、風俗に沈める仕事してたって事でいいんですかね?」 質問する航生の声に明らかな毒が含まれる。 少し驚いて横を見れば、その航生はこれまで俺達に見せた事の無いほど暗く、そして鋭い目で充彦を睨み付けていた。 その視線に充彦は一瞬だけ困ったように眉尻を下げ、それでもそれを真正面から受け止めてニコリと笑う。 「まあ、そういう事だな。あの人のセックスに夢中になって、ちょっとでもあの人に稼がしてやりたいって女が少なくなかった事は否定しない。スカウトってのは紹介料と、紹介した女の子の売り上げマージンで稼ぐわけだしね。ただ、送り込んだ女の子が一人、店に騙されて顔バレした上に自殺したらしいんだ。んで、自分が大事に育てた女の子をよその店にやって、その上死なせるくらいなら...だったら自分で店やって、安心して稼がせてやろうってスカウトマン辞めたんだってさ。そしたら、これまで育ててきた女の子達があの人慕って一気に集まったんだ。けど、急激に手を広げる事になった社長には敵も多かったし、稼ぎ頭の女の子に辞められたって恨む奴も増えてね...で、俺が知り合った頃には、ヤクザの絡んだ引き抜きやら信じてた弟分の裏切りやらで、店も女の子もすべて失ってた」 「女の子が安心して働けるだの、よその店に騙されただの言ったって...所詮は女の横っ面金で叩いてテメエのチンポで黙らせて、知らない誰かの為に股開かせる仕事には違いないですよね」 「ちょっ、ちょっと航生くんっ! 何をそんな喧嘩腰に......」 不穏な空気を纏う航生に焦ったように慎吾が慌てて腰を浮かせる。 今にも掴みかかるんじゃないかと思うほどの迫力に慎吾の目には涙が浮かんでいた。 俺も椅子を立とうとした所で、そんな俺を充彦が制する。 「勇輝も慎吾くんも座ってな。まあ匠が俺をクズって呼んでたのも、今の航生みたいな気持ちがあったからだろうし。航生が何言いたいのかわかってるんだ......」 平然として見せながらも少し緊張しているんだろうか。 唇を湿らせようと手にしたグラスの氷がやけにカラカラと響いた。 「信用もなんもしないまま、その日から俺は社長の仕事手伝うようになった。やりたい事も、やらないといけない事も何も無かったしな。生きてるけど死んでるみたいな毎日だったんだ。で、それまで社長がやってた女の子の教育とか送迎、それとストレス解消の為のセックスの相手を俺が引き継いだ...今度は簡単に寝首掻かれるわけにいかないからって、社長は経営に集中するようになったからな」 表情とは違い、気持ちが落ち着かないらしい充彦の右手が無意識にテーブルの上をさ迷う。 「今日だけ特別だぞ」 ふっと笑みを浮かべた匠さんが、その目の前に灰皿を置いた。 それに気づいた山口さんが、黙って隣にライターとタバコのボックスを並べてくれる。 今はあまり余裕の無さそうな充彦の代わりに、俺が山口さんに小さく頭を下げた。 充彦は長い指で一本中身を抜き取ると、その先にライターを近づける。 目を閉じてゆっくりと息を吸うと、静かに細く紫煙を吐き出した。 「俺が仕込んだ女の中にもいたよ、『子供の将来の為に、とにかく今は金を貯めたい』ってお母さんとかな」 充彦の言葉で、俺も慎吾もハッとした。 航生のあの毒の正体がわかったのだ。 ならばそれはそれで、何もそんな言い方をしなくてもいいのに...と思わず充彦を睨む。 航生はギリと唇を噛んだ。 「うちで働いてた女の中にお前の母親がいたとは思わない。たぶんうちじゃないよ...うちにいたら、簡単にガキ置いて男と逃げるような生活は送らせない。確かにろくでもない仕事だけど、でもいつでも光の中に戻れるようにってバックアップ体制は完璧に取ってたつもりなんだ。借金返し終わった奴はすぐに店辞めさせてたし、貯金できて海外に勉強に行くって子には餞別まで渡して送り出してたから。でもな、お前が『チンポ使って女をいいように働かせてた』って部分も否定はしない」 慎吾が、航生を後ろからギュッと抱き締める。 まるで小さい子どもを宥めるように頭を撫でていると、堪えきれず押し出された涙が一筋だけ航生の頬を伝った。 「すいません...こんな気持ち、八つ当たりだってわかってるんです...充彦さんも社長も無関係だってわかってるし...風俗にいる人がみんな子ども捨てるなんてわけじゃないのに...なんか...なんかやりきれなくて...なんで俺だったんだろう...なんでうちだったんだろう......」 「俺と! 俺と会うためやったって思うんでは...あかんかな? 航生くんが寂しかった時間も苦しかった時間も、俺と一緒におる為には仕方なかったって...考えてくれへんかな? もう寂しい思いもさせへんし、ずーっと笑顔でおれるように頑張るから。せえからさ...お願いやから...もう泣かんとってよ......」 充彦はまだ長いままのタバコを灰皿に押し付けた。 苦しそうに天井を見上げ、それからガシガシと頭を掻き毟る。 「はぁ...笑い事じゃなくさ...匠に『優しいクズ』って言われてた意味、ここでこんなに実感すると思わなかったわ」 絞り出すように言った充彦の肩を、まるで『大丈夫だ』と励ますように匠さんがバンバンと強く2回叩いた。

ともだちにシェアしよう!