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大切な今、大切な過去【12】

「世界で最初の職業って『売春婦』って言われてんだよな...いつの時代でも、どんなご時世でも、自分の欲の為なら金払っても構わないって人間はいるって事じゃない。本人や世間が望むと望まざるとに関わらず...さ」 思わずポツッと言葉が出てくる。 それは本当に思わず出てきた言葉。 何の感慨も無いからこそ、声には抑揚すらない。 別に充彦の過去を庇ってやろうと思ったわけじゃなかったと思う。 勿論今の自分達の仕事を全肯定するつもりの言葉でもない。 強いて言うなら...俺が、俺自身を守りたかったんだろう。 物心つかないうちに男のモノを咥え込む事を覚えさせられた。 自分の意思など関係なく女に跨がられ、それでもその女を乱れさせ喘がせていた。 そんな過去を持ちながら、結局はその弄ばれた体を売る事で生計を立てている...そんな自分を。 「まあ、フリーでいきなり路上に立って客引こうとした勇輝みたいのは特殊な例として置いといて......」 「人を変人みたいに言うな!」 つい気持ちが深く暗い所に引きずられそうになったのを察したんだろうか。 いつもと変わらない優しい声で充彦が俺をからかってくる。 その穏やかで軽い物言いに、すっかり涙の引いた航生もクスクスと笑った。 山口さんが俺達の後ろで静かに大きくハァ...と息を吐く。 「やっぱりさ、女の子が自分の体で金稼ごうと思うとそのリスクって大きいわけじゃない? 相手によっては何が起こるかわかんないしね。だから普通は、客の払った代金の全額が自分の取り分になんないってわかってても、ちゃんと店に所属するわけよ。トラブルも最小限に抑えられるわけだし。んで、俺と匠と出会った頃ってのは、最初に経営してた個室マッサージ店とデリヘルがめちゃめちゃ儲かったおかげで、ぼちぼち次の展開に移ろうかってなってて......」 「ちょ、待って待って。俺も男相手のデリヘルおった事あるけどさ、店に所属してたところで十分リスキーちゃう? 指定された部屋とかホテルに嬢を派遣するって事やろ? 俺なんてちゃんと店を仲介してたけど、何回殺されると思うたか......」 慎吾が小さく手を挙げて口を開く。 どうやらその辺にはとことん疎い航生は『デリヘル』自体がよくわかってないらしく、目を丸くしたままでポカンとしてた。 「うん、まあ普通のとこはそりゃあそれなりのリスクはあるよね。金のやり取りで揉めて女の子ボコボコにされたり殺されたりって話もあるわけだし。でもね、うちはたぶんどこよりも安全だったと思う。なんせ、呼び出された場所が家でもホテルでも俺とか社長が送迎して、まず最初に客と対面するんだもん。んでね、目一杯睨み効かせながら『本番禁止、生尺も禁止。道具の使用も一切禁止』を約束させるの。女の子も客も増えてきてからは、今営業やってる島本くんとか、ヤミ金から社長の下に付いた槇原とか西尾とかなんかもドライバーになったからね、そりゃあ見た目も中身も本物のいかつい男が常にボディガードしてるようなもんでしょ?」 「みっちゃんはともかくさ、そんな強面がいきなり現れたら...お客さんのん、勃つもんも勃てへんようになるんちゃうの? それで商売成り立つ?」 「そこにね、見た目も性格もテクニックも抜群の女の子が現れるわけよ。それこそ俺らがすべての面で磨き上げてきた女の子がね。本番無いからってブーブー文句言ってた奴も、90分のコース終わりで女の子迎えに行く頃には、すっかり満足してニコニコだっての。そしたらもうそいつはうちの上客、超リピーターだからね。どうしても本番無いと嫌だって客は二度と使ってくれなくて結構。うちはちゃんとホームページでも禁止事項を大きく書いてたし、送迎での確認の時にも、本番無しが嫌なら金はいりませんて話してあるんだから。まあそれでも『追加出すから内緒で』なんて女の子にコッソリ言う奴はいたらしいけど」 「あー、俺だったら本番無くてもいいから、好みの女の子が誠心誠意尽くしてくれるって方が金の払い甲斐もあるかもしんないなぁ。イヤイヤ本番まで持ち込むよりさ、楽しく時間いっぱいまでイチャイチャさせてもらえる方が良くね?」 何か思う所があったのか、山口さんがニッて笑う。 俺も慎吾もまったくの同じ意見で、顔を見合わせて大きく頷いた。 「ただ突っ込むだけの穴でいいなら、オナホールで一人で遊んでる方が安上がりだし気も遣わなくてすむもんね」 「よう言うわ。勇輝くんなんかオナニーする暇も無かった癖に。そもそも勇輝くん自身が『本番せんでもええから、一晩一緒に過ごして』って言われてた本人やん」 「えーっ!? 勇輝くんて本番無しの人だったの!?」 「あーりーまーすーーー! してるってば、掘って掘られてアンアンしてたっての。ただね、俺を特に可愛がってくれる人に限って、どんどん触れなくなってきてたのは事実かなぁ......」 「勇輝さんは、本気で惚れられてたんですね。好きだから抱きたいって思うけど、好きだからこそ大切にしたいって...真逆なんだけど、ちょっとだけわかるような気がします」 「お前は好きなら好きなだけヤりたくてヤりたくて仕方ないくせに、よく言うよ」 充彦の言葉に、航生は目を細めたままでプクーッと頬を膨らませる。 二人の間には、ついさっき一瞬漂った不穏な空気など、もう欠片も無かった。 「でさ、その頃のうちの一番の売れっ子だった女の子がね、家族の手術費用にまとまった金が急遽必要になったからって、デリヘル辞めてAV出るって言い出したんだ。親父さんが借金残して蒸発して、癌で入退院繰り返してたお母さんを一人で支えてた子でね......」 「日々の生活を普通に送るだけなら十分すぎる給料があっても...か」 「元々な、出勤できる時には一日中予約で埋まるんだけど、看病中心の生活だったから出勤できる日数自体が少なかったんだよね。で、どうしても保険が適用されない治療を受けさせたいからって、前から誘い受けてたAVに出て、そのギャラを治療費に充てる事にしたって」 「まあ売れっ子なら、月に1本出るだけでもそれくらいの金額なら稼げる...か...」 「そう、それくらいの出演料を提示されてたらしいよ。社長も俺もさ、その時は止めたの...ビデオなんて出ちゃったらね、下手すると一生『AV女優』の肩書きが付いて回るんだよって」 ああ、そう言えばさっき...ただの名スカウトだった社長が自分で風俗店経営するきっかけは、自分の育てた女の子が顔バレを苦にして自殺したって言ってたっけ...... たかだか風俗店の顔バレでそんな事態になる事を目の当たりにしてしまえば、インターネットって仮想空間に半永久的に名前や映像が残る可能性のあるAVなんて、できれば避けさせてあげたいって気持ちにもなるだろう。 「ところがさ、その子は俺らに笑って言ったんだよね...『私が私の判断で選んだ仕事に就くことで後悔はしません。ちゃんとプロとしての仕事をして、堂々とお金をいただきます』って。『胸を張ってAV女優ですって生きていきますから、大丈夫です』って。そこまで言われたらさ、俺らにはもう止められないじゃない? そこまで言う女の子を止める権利なんて無いじゃない? だってさ、彼女の人生の全部に責任持ってやる事も背負ってやる事もできないんだから。それでもね、やっぱり俺らとしてはそんな一生懸命な女の子は守ってあげたいわけよ。で、取り急ぎその子をうちの所属女優って事にしたの。そしたらさ、ギャラとかビデオの内容の交渉とか、面倒な事はうちから話をしてあげられるじゃない?」 ああ...なんだか優しいクズの意味が改めてわかってきた気がする。 それは充彦だけじゃなく...社長も。 いや、俺らの周りにいた人は、結局みんな優しいクズだらけなんじゃないのか? 思わずクスッて笑ってしまう。 俺の笑みの真意がわかったのかわからないのか、充彦はバツが悪そうに目を逸らしたまま俺のグラスにダバダバと、やけに雑にシャンパンを注いだ。

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