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俺のがずっと複雑です【2】

「まあ、ここはわかってると思うんだけど...ルルちゃんは、俺が昔ボーイをやってた頃のお客さんです」 うん、だろうね。 さすがにそれくらいは俺でもわかる。 だけど俺が知りたいのは、そこじゃない。 彼女の勇輝への態度と、勇輝が彼女に対して見せる甘さの原因が知りたいのだ。 これまでの誰とも違って見える、その関係性を。 窺い見た俺の目でわかったのか、勇輝は小さく息を吐いた。 「彼女はたぶん...俺と一緒に朝を迎えた回数が一番多い...お客さんだよ」 ドキンとした。 以前岸本さんに教えてもらった言葉がジワジワと甦ってくる。 勇輝の働いていた店では、ボーイにこそ相手を選ぶ権利があった。 夜を共にしたいという人間は、ただボーイから選ばれる為に閉店を待っていたと。 抜群の人気を誇っていたという勇輝の周りには常に選ばれる事を望む人間が大勢いて、それはそれは静かな争奪戦だっただろう。 そして度会馨は...そんな中で、一番勇輝自身に選ばれた人間だったという事か。 俺は真っ直ぐに度会馨を見た。 「んふっ、なかなかイイ顔になったわね。妬ける?」 「......はい」 「あら、えらく素直じゃない。勇輝がいくら女を抱いても、『仕事だから』って笑って見ていられるような人なのに」 「AVの現場の話なら...それは現場が勇輝を選んだんです。現場が勇輝の仕事ぶりと容姿を欲しがった。それが勇輝や俺の『仕事』です。だけどあなたに関しては...勇輝本人があなたを選んだって事ですよね? 勇輝に一番選ばれてきたあなたに対しては、やっぱり嫉妬します」 「...うん、いいわね。話に聞いてたよりもずっといい。あたしね、あなたのビデオも見たし、色々と噂も聞いてたの。とにかく優しくて穏やかで、セックスが上手くておまけに変なヤキモチも妬かない...ある意味、聖人君子みたいな男だって。そりゃあまあ、普通に恋人としては理想よね? だけどさ、それじゃあたし達『客』とたいして変わらないじゃない。みんな勇輝に対しては優しくて穏やかだし、それまでに散々遊び慣れしてるんだからセックスだって上手かったはずよ。一晩他の客を選んだからって、ヤキモチ妬いたりもしなかったわ。じゃあ、あなたとあたし達の違いって何なのか、それが知りたい。あたしが女だからなのかしらね...ううん、あたしとセックスできる人が勇輝しかいないからかもしれない...あたしね、ほんとはみんなよりずっと勇輝に執着してるの。会えなくなってからも忘れた事なんてなかったわ。それであなたは、こんなあたしが勇輝を諦めたって構わないと思えるだけの男なのかしら?」 「ちょ、ちょっとルルちゃん!」 「勇輝は黙ってなさい」 度会馨は、ニッと意地の悪そうな笑みを浮かべながら悠々と脚を組んだ。 「みっちゃん、あなただって多少は感じてるでしょ? 勇輝はその辺にいるただ『顔がいいだけ』の男でもなければ『セックスが異常に上手い』ってだけの男でもないわ。本気で勇輝を求めて焦がれた人間はみんな...ビジネスで大成功してお金とステイタスを手に入れてる。あたしや岸本くんだけじゃないのよ...あなたでも一度や二度は名前を聞いたことがあるようなアーティストや実業家、建築家にパティシエ...色んな人間が、勇輝と知り合ってから大きな成功を掴んだわ。才能がある人間が勇輝に惹かれるのかもしれない。勇輝に認められる為に死に物狂いで努力をしたからかもしれない。どちらにしたって勇輝には、関わる人間をキラキラ輝かせる不思議な力があるの。そんな勇輝に、あなたは釣り合う人間? あたし達じゃなく、あなたが勇輝に選ばれた理由はなんなのかしら?」 まったく失礼な物言いだ。 正直言えば腹立たしい。 けれど...彼女が言っている事は正論でもある。 岸本さんに会った時も、勇輝を見守り続ける掲示板の存在を教えてもらった時も、そして度会馨が勇輝への執着を見せてきた時も、どこかで『こんなに周りの人に愛され続けている男を独り占めしている』という事実に不安になった。 俺でいいのか? 勇輝の相手が俺で、本当に釣り合いは取れるのか? けれど同時に、そんな勇輝は俺を、俺だからこそ選んだのだと自信も沸いた。 じゃあ俺は、勇輝になぜ選ばれたんだろう? 俺とこの人達と、何が決定的に違ったんだろう? 少し人気があるとはいえ、たかだかAV男優だ。 それも、本気で好きだと思える人間が現れた途端、まともに働く事もできなくなるようなポンコツ。 プロ失格と笑われても仕方ないような情けない男。 そんな俺が、この人達と違ったところってなんなんだろう? 考えた事なかった。 いや、岸本さんの話を聞いてからは頭の片隅にチラチラと引っ掛かっていたのかもしれない。 ただ俺が考えないようにしていただけだ。 だから...落ち着け、俺。 今こそそれを考えなければいけない時だ...そう、俺と勇輝の活動するフィールドが変わる今こそ。 「ちゃんと俺とあなた達との違いについて答えを出します。だから...少しだけ考える時間をください...」 「いいわよ、しっかり考えなさい。そしてちゃんと...あたしを納得させてみて」 嘲るような笑みで度会馨が俺を見つめる。 この態度も言葉も、きっとわざと俺を挑発しているのだと思う。 勇輝という、何人もが憧れ焦がれた人間を手に入れるという事についての覚悟を聞きたいのだろう。 どう答えたところで勇輝は俺のそばからは離れないし、答えなくたって結末は変わらない。 そこに不安があるわけじゃない。 ただ、勇輝の事を大切に思うからこそ悪役を買ってまで俺の言葉を引き出そうとする彼女の執着を断ち切ってやるのが俺の役目だと思った。 決定的な言葉を突き付け、『坂口充彦ならば、仕方ない』と思わせなければ。 俺はただじっと出会ってから今までの勇輝との日々を思い返す。 せっかく岸本さんが入れてくれた紅茶は、もうすっかり冷たくなっていた。

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