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大切な今、大切な過去【15】

「初めて充彦に会って...3日後だったかな、確か。俺ね、結局店辞めたんだ。それも思いっきりオーナーに喧嘩売って。『2度と俺の考えたレシピ使うな。どれだけ下手くそなアレンジ加えてようが、もし俺のレシピをベースにした料理なんか出したら、マスコミにお前の本当の顔を全部ぶちまけてやる!』って」 「あの...それって大丈夫だったんですか? 俺はそんな高級な店とか行ったことないんでよくわからないんですけど、でもものすごく有名な老舗だったんですよね? マスコミでもしょっちゅう取り上げられるような、超有名店なんでしょ?」 「......ま、有名は有名だよね...味はほんと最悪だったけど。あ、こんな言い方したら、働いてた人には申し訳ないか」 「いやいや、勇輝くんの舌が正解だから。そもそも俺はあの店が繁盛してるって事自体、『料理に対しての冒涜』だと思ってるし」 「いや、でも...それでもその名前に惹かれてだろうと、結局集まる人はたくさんいるんですよね? そんな店のオーナーに喧嘩売るなんて......」 「大丈夫じゃ...なかったよ、勿論ね。辞めたその日のうちに、店の寮になってたマンションからは追い出された。まあ、それくらいは覚悟してたし、どうせ着替えと包丁セットくらいしか荷物なんて無かったからさ、出ていくぶんにはそんなに困らなかったんだけどね。大きめの旅行カバン一つだけで済むくらいだったもん。でね、とりあえずその日はカプセルホテルに泊まって、次の日からはすぐに新しく働ける店を探したんだ。なんせ元いた店は、一応腐っても老舗の有名店だし、腕にもそこそこ自信あったから、すぐにでも仕事見つかると思ってたんだ...思ってたんだけどね......」 ふと過去の記憶が甦る。 確か例の店に連れていかれた時、店にはメディアにも積極的に顔を出してる有名な評論家がいたんじゃなかったっけな...... 落ち着いて思い起こせば、驚くほど鮮明にあの日の光景が頭に浮かぶ。 俺をそこに連れて行ってくれた人は、聞けば誰もが知ってるような料亭の主である秋月さんだった。 確か、季節の新メニュー発表があるからとその評論家から招待された秋月さんが、食べる事だけが趣味だった俺を『せっかくだから』と誘ってくれたのだ。 店に入った途端俺達の目の前に現れた評論家は、いかにその店が伝統を守りつつ、常に斬新なアイデアを生み出す事で日本のフレンチを牽引し続けたか、熱弁を奮いまくってた。 俺達はあくまで『食事を楽しむ』為に行ってたのに。 その店の過去の歴史なんてどうでもよくて、ただ『今』そこで提供される料理を味わう為に行ってたのに。 その上、やたらその店のオーナーシェフと秋月さんの写真を撮りたがってたっけ。 笑えだの握手しろだの、せっかくの料理が冷めるだろ!とひたすら不愉快さを噛み殺していたのを覚えてる。 今思えば、腕も人柄も素晴らしいと評判だった秋月さんが来店した事を、店の権威付けに利用したかったんだろう。 知名度だけならばあの店の方が高かったはずだ。 それなのに他人の威光にまで頼らなければと思ってたとすれば、あのオーナーに料理の実力は無いと気付いてたという事か。 テレビや雑誌でも、他の店についてはともかく、あの店に関してはおそらく御用記事とも取れる内容しか話してなかったんだろう。 裏で金か、それとももっと大きな力が動いていたのか定かではないけれど、どちらにしろあの店と評論家はガッツリ繋がっていたのだ。 だとすれば、オーナーと完全に喧嘩別れした匠さんにとって、あの有名評論家が好ましくはないアクションを起こしたであろう事は想像に難くない。 「どこの店もね、見事に雇ってくれないんだよ。俺、必死に頭下げたんだ。プライドなんて必要ないって自分に言い聞かせて、皮剥きでも皿洗いでも構いませんて土下座までしたのにさ...俺が憧れてたフレンチの店は、悉く門前払いだった......」 「圧力みたいな物があったのかもしれませんね...そのオーナーからすれば、分不相応にも下っ端ごときが自分を脅したと思ったでしょうし」 「だろうねぇ。東京で有名店て呼ばれるフレンチの店を片っ端から訪ねて、完全に撃沈したもん。そりゃあガッカリしたよ...俺の作る物、一口でも食べてくれればきっと納得してくれるって思ってたのにさ、名前言っただけで追い出されるんだから」 「そしたらもう東京での修行は諦めてこっち帰ってきたん? あれ? そしたらみっちゃんに会えへんか......」 「内心ね、東京での修行は諦めた方がいいのかもしれないとは思い始めてた。まあフレンチの名店は東京以外にだってあるんだし、何も東京に拘る必要は無いか...って開き直っちゃえば少し気分も楽になったよ。あの人に逆らったんだからそれくらいの妨害があるなんて当たり前だし、自分があいつに恐れられてるんだって思えば却って負けるか!って気持ちにも火がついた」 「じゃあ、そこからどこか別の土地に修行に?」 「あてがあったわけじゃないんだけどさ、俺はここで地元の食材をふんだんに使ったオーベルジュを開きたいと考えてたわけじゃない? だからね、ジビエで評判の店が何店か関西にあるから、次は西に行こうって決心したの。東京は今日でおさらばだ!って思った時に...ふっとポケットの中に入れっぱなしだった1枚の名刺を思い出してね」 「あ、充彦さんの...?」 「捨ててへんかったんや?」 「捨ててなかったんだなぁ、これが。たぶん心のどこかで『ちゃんとお礼言ってなかったんじゃないかな?』って引っ掛かってたんだと思う。あ、あとはやっぱりさ...ハイキックのあまりの美しさに一目惚れ?」 「バカか、気持ち悪い」 「お前、顔だけは優しいのに、ほんと俺には容赦ないな」 「匠さん、大丈夫です。俺にも全く容赦してくれませんから」 「うっわ、航生くん可哀想に...でもさ、コイツが悪態つくのって、ちゃんと相手の事好きな時だけだと思うから、航生くんの事可愛くて仕方ないんだよ。どうでもいい人には、どうでもいい受け答えとどうでもいい笑顔しかしないから。いやぁ、航生くんも苦労するねぇ」 「お前なぁ...どうでもいい受け答えと笑顔ってなんだよ! だいたい俺は航生の事はペットとして可愛がってるだけだ!」 「ほっほー、照れてる照れてる。そんなに航生くんが可愛いか。お前、そんな顔もするんだな」 「うるさいわ! そんな顔ってどんな顔だよ!」 「......ほら、その作り物じゃない顔だよ。照れたり怒ったりムキになったりうっとりしたり...ほんと表情が豊かになった。昔は無表情か、そうじゃなきゃ作った笑顔しか見せなかったもん。お前ほんと...クズじゃなくなったんだなぁって...今幸せなんだなぁって...お前の顔見てるだけでわかる」 匠さんの言葉を否定するように...けれどその言葉を肯定するかのように...充彦は真っ赤になった顔をプイッと背ける。 そんな充彦の表情や仕草が愛しくて、そしてなんだか匠さんの言葉が嬉しくて...俺は泣きたくなった。

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