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大切な今、大切な過去【16】

「とりあえずね、俺はその名刺を頼りにまた歌舞伎町に行ったわけ。『あのお兄さんに会いたい』ってほんとに思ったんだよ。だってさ、俺あの時充彦に助けてもらえなかったら、西に行く決心するどころか、店を辞める勇気すら無くなってたかもしれないんだもん。その時有り金全部持って飲みに来てたんだから」 「あ、そうか...文無しじゃないからこそ、伝も何も無い町に行ってでもチャレンジしようと思えたんだ」 「そら働く店も決まってへんのに文無しで行っても、食うもんも寝る場所も無かったら仕事探すどころやないもんね」 「そういう事よ。あのタイミングで辞めなかったら、もう怒りを抑える事に慣れちゃって結局辞められなくなったような気もするしね。だから、でっかいカバンぶら下げて、その辺に立ってる人に名刺見せたり聞いたりしながらその店に向かったんだ」 「そこで無事にみっちゃんと再会?」 「......実はね、店にも行けなかったの」 「迷子ですか?」 「あはははっ、違う違う。たぶん目的の店の近くまでは行ってたと思うんだけど......」 「来てた来てた。あれ、目と鼻の先だったよ」 「そこまで行ったところでね...一番会いたくないし、絶対に会っちゃいけない奴に会っちゃったんだなぁ」 「例の...オーナー...?」 「正解。そいつ夜遊びも結構派手でね、おまけにボディーガード代わりにあんまりタチの良くない連中引き連れて、毎晩のように飲み歩いてたんだ」 「そんなに遊んでる暇があるなら、少しは勉強しろよ...そんなんだから、あんなバランスがグチャグチャのヘンテコリンな料理出してんじゃん。舌もバカになるはずだわ」 「実際に食べた事があるせいか、なんか勇輝さんがいつもより毒舌な気が...でも、タチの悪い連中って?」 「ヤのつく自由業?」 「いや、それよりも更にタチ悪いかもね。半グレってわかる? 組には所属してないけど、やることはその筋の人間よりも荒っぽいって集団。そいつらをね、飼ってやってるつもりになってたの。狂犬を飼い慣らしてる俺ってカッコいい!とか思ってたんじゃない? ヤクザとつるんでるとマズイけど、暴走族上がりなら大した事もないだろうってね」 「うわっ、ほんまもんのアホやん。ヤクザでも手ぇ焼くくらいやること荒っぽい上に、プロちゃうから加減も知らん連中やのに。そんなもん、組の規則がちゃんとある分、ホンマモンの方がよっぽどマシやって。おまけに飼い慣らしてるんやなしに、食い潰されてるってわかってへんとか......」 「さすがに店の方には近づけなかったけどね、そいつらに小遣い渡していけないお薬で遊んでるって噂もあったんだ。最悪でしょ?」 「さすがは身代潰す3代目だわ......」 「ちょうどどっかの店から出てきたらしいそいつらと、見事に鉢合わせしちゃってさ。俺はガン無視決め込んでたんだけど、オーナーからしたらどうしても俺が許せなかったらしくて...んで、お約束みたいに因縁付けられた」 「俺、その日は事務所で新店の風俗営業の許可申請とかの書類仕事してて、店に顔出すのが遅れたんだよね...予定より結構遅くなってたからちょっと慌てて店に向かってたらさぁ......」 「ちょうど俺がビルの裏の方に引き摺られて行くとこだったんだよな」 「そう。そいつらね、明らかに殺気ギラギラしてんだよ。ちょっとした小競り合い程度ならいちいち声かけたりもしないんだけど、さすがに...ね。1対複数とかさ、下手すりゃ怪我で済まなくなるじゃない」 明らかに殺気がみなぎってたから声かけたんだ...そんな言葉に思わず笑みがこぼれる。 見ただけでもわかるような半グレの喧嘩だ。 誰だって巻き込まれたくはないだろう。 小競り合い程度なら少し声をかけて様子を見て、あとは警察を呼んで知らんぷり...これだけでも上出来だと思う。 けど充彦は、一人を複数でリンチしようとする場面を見逃せなかった。 自分に火の粉がふりかかる可能性だってあるのに。 生きてても楽しくないけど、死ぬこともできなかった...そんな何も先の見えない生活を送ってる時でも、充彦はやっぱり充彦だ。 それが意外でもあり、何より嬉しい。 「慌てて追いかけたらさ、このチンチクリンが泣きもしないで必死に暴れてるわけよ。ボッコボコにされてるのに、それでもやり返そうとしてんの」 「んなもん、俺が間違ってるわけでもないのに、謝るのも泣くのもごめんだったからな。死んでも謝るのは嫌だったの!」 匠さんの言葉に、胸がギリッて軋んだ。 同じような話を聞いた事は無かったか? 自分が悪いわけでもないのに、死んでも謝りたくなかったと言った男はいなかったか? 殴られても蹴られても謝らないと言い張って、死にかけた男がいた...よな。 チラリと充彦を見る。 充彦は俺の視線の意味に気づいたのか、ポリポリと鼻をかいてフゥと息を吐いた。 「そうね...確かに重なったよ、自分の姿と。謝れ、土下座しろ、慰謝料払え...ヘラヘラ笑いながらまともに腹に膝とか入れてる頭の悪そうな顔にムカッときてさ、それでも『俺は何も間違ってない。本気で慰謝料取りたいなら、裁判でも何でも起こしてみろ』って向かっていくの見てたらさぁ...あの時の俺と同じじゃないかって思っちゃったんだよ。絶対に助けてやらなきゃって本気で思った。俺に社長がいたように、この兄ちゃんには今俺が必要だって」 お父さんの借りたヤミ金からの借金を『自分に支払いの義務は無い』と堂々と突っぱねた充彦。 暴力に訴えようとした相手を逆に殴り倒し、その事で死を意識するほどの激しい暴行を受け...そんな充彦を助け出したのは、人を信じられなくなっていたはずの社長だった。 そしてその充彦が、今度は匠さんを助ける為に動いた。 偶然だろうか。 いや、この出会いはもう...運命だ...匠さんの言う通りだ。 たまたま通りかかったのが社長じゃなければ充彦は死んでいた。 たまたま見かけたのが充彦じゃなければ、匠さんも同じだったかもしれない。 その不思議な連鎖に背中がゾワゾワする。 「一応はね、後ろで自分の手を一切汚さないままニヤニヤ見てた男に声かけたんだよ。『いい加減にしないと死んじゃいますよ』って。ところがさ、そいつはニヤニヤしたまんま言ったんだよ、『別にこんな奴が死んだところで、俺は痛くも痒くもない。まあ後が面倒だから、二度と包丁握れないようにして終わってやるから、関係無いやつは引っ込んでるか黙って見てろ』ってね」 「......最悪」 「みっちゃんは優しいクズかわかれへんけど、そいつはほんまもんのクズやな」 「だろ? それ聞いてさ、ボコられてる兄ちゃんが料理人なんだってわかって、その料理人の大切な手を傷つけるつもりなんだってわかって...なんかもう、マジでそいつら許せなくなっちゃったんだよね」 「俺、覚悟したんだ。一人がね、車避けで置いてたコーンの土台外して持ってきたから。ああ、こいつら俺の右手潰すつもりなんだなぁって。二度と料理できなくなるのかなぁって思ったら涙出てきたんだけどね、それでもやっぱり謝るのは嫌だった。そしたらいきなり倒れてる俺の前にデカイ影が立ちはだかってね......」 「結局何人おったん?」 「オーナー以外は6人...いや、7人か。そりゃあまあ、とにかく強かった。半端じゃなかったよ。だってさ、向こうだって喧嘩慣れしてる集団じゃない? なのにさ、全然手も足も出ないんだから」 「みっちゃんが肉弾戦? なんか全然イメージ湧けへん」 「俺も。まあ桁外れに力が強いのは知ってたけど、借金取りの時以外で誰かに手を出したなんて話、聞いた事も無いし。別に格闘技とかやってないよね?」 「そういう強さじゃないんだなぁ。とにかく、自分の体型の利点と相手の弱点を計算し尽くしてるって感じ? 動き早いし、的確だし、何より殴られても表情の一つも変えないんだもん。ずっと目だけはギラギラしてるのに無表情、ひたすら目の前の男を殴り倒していくの。ゾッとするくらい怖くて、ゾクゾクするくらいカッコ良くてね......」 そんな充彦は見たこともない。 いつだって優しくて穏やかで、イヤらしくて賢くて。 怒りと本能のままに暴れている充彦なんて見たくないと思いながら、それでも頭の中でいとも簡単に集団を蹴散らしていく姿を想像できて...情けなくも頬に熱が集まっていた。

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