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大切な今、大切な過去【17】
「いや、ほんとそんなに強くないんだってばぁ...だから、お前は美化しすぎなの! 俺もなんだかんだ結構やられたからね」
「んなもん、全員ボッコボコにして道路に沈めるまで、お前膝の一つもつかなかっただろうよ。せいぜいちょっと顔が腫れてたくらいじゃないか。俺なんて立ち上がる事もできなかったってのに」
「そりゃ、体力と場数の違いだって。別に揉めたいわけでもないのに、社長にくっついてたら嫌でもそういう場面に巻き込まれる事もあったんだよ。でね、面倒に巻き込まれた時に後々証拠として役に立つこともあるからってんで、当時は俺、必ずデジカメを持ち歩いてたんだわ」
「デジカメ...ですか? それが...何?」
「力任せのアホ集団の動きとね、自分の手を汚そうとしなかった男の様子見てて...もしかしたらこのボス格の男は案外有名人なんじゃないかと踏んだわけよ」
「......なんも知らなかったんだよね?」
「うん、知らない。まあ、いわゆる勘てやつ? たださ、匠が慰謝料がどうとか言ってたし、俺にも『後が面倒だ』なんて言ってたから、裁判て意味も含めてあんまり騒ぎを大きくしたくはないんじゃないかなぁと思ったの。表に自分の悪行をばらされると困る立場なんじゃねぇのって。だからね、いきなりそいつの顔、真正面からばっちりデジカメで撮ってやったんだ。『この写真、マスコミに持ってったら面白い事になりそうですよね~』って」
「......いやいや、せぇからぁ...みっちゃんはその男の事知らんかったんやろ?」
「知らない知らない、マジで。とりあえず向こうの出方見ようと思ってハッタリかましただけ。あんまり態度がでかいから、俺はてっきり政治家のバカ息子辺りかと思ってたんだけどね......」
ああ、この辺はいつもの充彦だ。
カッと一気に沸騰してしまった熱が、その頃にはずいぶんと落ち着いたんだろう。
冷静に相手を観察しながら物事を有利に動かす...やっぱりそうでなくちゃ。
軽い調子で勘だのハッタリだの言ってるけど、きっとその場の空気や男達の顔色で、相手にダメージを与えられる最強の言葉や行動を瞬時に探したんだろう。
これまで交渉や駆け引きで、充彦以上の力を見せる人間に会った記憶は無い。
それは現場でのわがままな女優を宥めるなんてソフトな物から、何の実績も無い航生をうちの事務所に引き抜いた上にビー・ハイヴの専属男優に捩じ込むなんて力業まで。
何か困った事があっても、充彦が動いてさえくれれば必ずどこかに突破口が見つかる......
充彦ならば誰よりも周囲の空気を読み、自分達に有利な風を吹かせる......
それこそが俺の愛する...そして誰よりも尊敬する充彦だ。
「まんまと顔色が変わってさ、慌てて財布出して俺に中身全部差し出してきたのよ。ま、俺はその金より...その財布に入ってたそいつの名刺の方に興味があったからね、そっちをいただいといたけど」
「名刺...ですか?」
「結構な枚数入ってたからね、こりゃあ女釣るのに使ってんだろうなぁと思ったんだ。ほら、ほんとに仕事で使うなら、ちゃんと名刺入れにでも入れるじゃない? でも、財布にごっそり入れてんだもん...名刺配るついでに、たんまり中身の入った財布も見せちゃおうってゲスい考え以外の何物でもないだろ。んで、その名刺で改めて身分と名前確認した上で、2度とコイツに近づかないように約束させたの。ごく平和的に、穏やかな話し合いの上でね」
「よく言うよ...確かに話し方こそ穏やかだったけど、お前脅す為に倒れてる男の指、わざとへし折ったくせに」
「指...折った?」
「怖っ」
「......記憶にございませ~ん。いやまあ、ああいうのはさ、直接本人痛い目に遭わせると逆ギレした挙げ句、金ばら蒔いてでも反撃しかねないんだよね。そういう時は、自分のせいで誰かがのたうち回ってる姿目の前で見せつけて、戦意喪失させんのが一番手っ取り早い...ほらな、長い目で見りゃ平和だろ?」
......そ、そうか?
とりあえず充彦って...そこまでできる人だったのか。
「航生、お前充彦に気に入られて良かったな」
「今更ですよぉ。もしあの時本気でキレられてたら、ビデオより酷い目に遭わされてたかもしれないじゃないですか!」
「昔だ、昔! そういう世界にいたんだから仕方ないだろ!」
「まあ、充彦があの時オーナーに釘刺しといてくれたおかげで、今こうしてホテル営業してても妨害とか無いんだから、まあ責めないでやって。俺の右手が無事だったのだって充彦がいてくれたからなんだし」
「右手は無事だったけど、肋骨3本いかれたんじゃなかったっけ?」
「肋骨3本と鼻と顎いかれました~」
「ほんとボロボロだったもんな」
「ボロボロだったねぇ。あの時充彦が俺になんか話しかけてくれてたけど、俺殆ど覚えてないもん」
「そんな大ケガされたんですか!? じゃ、じゃあ...関西に修行に行くって話は...」
「......それどころじゃなくなっちゃったよね。なんせ目ぇ開けたら病院だったし。なんかね、充彦が意識失ってた俺を担いで連れてってくれたらしいよ」
「肋骨折れてる人間を担いで...? 鬼だな」
「あの時の匠は意識無かったんだからノープロブレム! 実際さ、下手に救急車なんて呼んだら普通の病院連れてかれるだろうし、この怪我の状態考えたら当然警察も来る事になるだろ? そうなるとほら、俺もやり返してるから事情聴取なんて事にもなるし、そのままブタ箱放り込まれるってのも困るから。病院にしても、手術すんのに家族の同意なんて言われたところで、俺じゃどこの誰なのかもわかんないから書類書けないし」
「いや、そしたら病院はどうしたん?」
「一応表向きは普通の診療所だけど、裏ではモグリで手術やってくれるって病院、案外あるんだよ。ほら、裏の世界の人間とかさ、警察には絶対にバレたくない予定外の怪我するなんて事あるだろ? 腹に鉄砲玉食らうとか。そういうのもウェルカムな病院に直接連れてったんだよ」
「その、どこの誰かもわからないこの人の意識がハッキリするまで、充彦さんは毎日お見舞いに来てくれてたんだそうですよ」
突然、澄んだ温かい声が響く。
キッチンから不意に現れた雪乃さんは目にうっすらと涙を滲ませながらも口許には柔らかな笑みを浮かべ、両手に持った白い皿をテーブルに並べ始めた。
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