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Lady Bomb【2】
「お前なぁ...何もわざわざ、俺の顔面に向かってビール吹き掛けなくても...」
「ご、ごめん。わざわざとかじゃなくて、ちゃんと話聞こうって真っ直ぐ充彦見てたら、いきなりとんでもない事言い出すから...」
急いでタオルを取りに走り、それを濡らして戻ってくる。
俺が濡らしてしまった顔やら髪やら首筋なんかを丁寧に拭き、拗ねてるような落ち込んでいるような顔で俯いている充彦の顎に指をかけた。
ちょいと力を入れ、しっかりと俺の方を向かせる。
「なんでそんな事考えたの?」
「だってさぁ...あの人の発言て、どんだけ考えても『勇輝と寝た事がある』ってんじゃなくて『勇輝を抱いた事がある』としか思えなくて。風呂場で今日一日言われたこと色々思い出してたんだけど、現場でどうにも納得のいかなかった発言も、もし馨さんが男だったとしたら...筋が通るのかなぁとか思って」
なるほど。
自分は言われ慣れた言葉だったから気がつかなかったけど、確かにルルちゃんと俺の関係がわかっていない充彦ならあの発言の数々には混乱するかもしれない。
「それに...」
「それに?」
「今までAVの撮影で勇輝に抱かれてる女はいっぱい見てる。アリちゃんみたいに『ベストコンビ!』とか言われるような女の子までいる。でもな、あの子達にこんなモヤモヤした感情持ったことなかった。『勇輝に抱かれて、いっぱい気持ち良くしてもらいな』なんて事は思うのにだよ? なのに馨さんに対しては、昔の関係を匂わされるだけで異様に対抗心とか敵対心みたいなの感じちゃって。それって、もしかしたら馨さんは抱かれる立場じゃなくて、勇輝を抱く立場だったんじゃないかと思ったんだ。そんな関係をうっすら匂わされてるみたいであんなにイライラしたんだって考えたら、妙に納得できた。だから馨さんは実は男なんじゃないかなぁ...と」
充彦、鋭いなぁ...少しややこしい俺とルルちゃんの関係、半分は当ててしまってる。
それも、確証があるわけじゃなくて、感覚で。
もっとも残り半分の、一番重要な部分は間違ってるんだけど。
ここは一度きちんと話をしなければ、充彦は明日からもルルちゃんを『男か?女か?』なんてモヤモヤしながら見なければいけなくなるんだろう。
そして俺に甘えるルルちゃんと、充彦を挑発するルルちゃんに、また少しイライラが募るかもしれない。
「別に隠さなきゃいけないような事じゃないし、今から全部話すよ。ただし...」
「うん、ただし?」
「たぶん充彦の想像はちょっと超えてる内容になると思うから、俺の事もルルちゃんの事も...あんまり引かないでね?」
「引くって、今更お前の過去のどんな話に引く要素があるんだよ。俺にとって大事なのは、今勇輝が俺といる事に満足してるかどうか、俺といて幸せかどうかだけだろうよ。馨さんに関しては、その...アレだ、興味っつうか疑問つうか...とりあえず、納得できなかった理由が知りたいだけだから心配すんな」
俺は改めてビールを取りにキッチンに向かう。
モッツァレラが無くなってしまったから、代わりにさっき解したアジを皿に盛って戻った。
「まず一番の疑問を解決しようか。ルルちゃんは...女性で間違いないよ。元とかじゃなく、ちゃんと戸籍も女性」
俺の言葉に充彦は、ホッとしたような、それでいて納得のいかないような複雑な顔になった。
「度会馨って名前は勿論知らなかった。俺が知り合った頃は、セクシーさが売りのショーパブで働いてたんだ、ヌードダンサーとして」
「ヌードダンサー? ストリッパーじゃなくて?」
「そう。単純に裸見せて男を欲情させるって仕事じゃないの。『ルル』って言うのはその頃の源氏名なんだけどね、トップレスでステージに上がって、そこで本格的なポールダンスとかエアリアルティシューって布に体巻き付けてぶら下がったりするアクロバットやってたんだ。俺も一回だけ見に行ったんだけど、エロくてカッコよくて、すごい感動したよ」
「へぇ...あの人、昔はそんなことやってたんだ...」
「そう。『やりたい事があるから、今は頑張って稼がなくちゃ』って言ってたのは覚えてるんだけど、そのやりたい事っていうのが写真だってのは...今回初めて知った」
「ああ、驚いてたもんな、今日会った時も」
夢の為にお金を貯めなければいけない...そう言いながらも、他の人には受け入れてもらえない自分を慰める為に俺の所に通い詰めていたルルちゃん。
情に流されて夜の代金を受け取る事ができなくなった俺に、ルルちゃんは泣きながら金を握らせた
『お金受け取ってくれないと、あたしお客じゃなくなるじゃない。ユーキに本気になっちゃったら困るから、ずっとお客でいさせて』と。
その言葉がもし無ければ...俺はどうしてたんだろう?
彼女への思いは愛情ではなかったと思う。
同情だったのかもしれない。
けれどあの頃の俺は、どうしてもルルちゃんをただの『客』だとは思えなくなっていた。
ああやって無理矢理にでも金を渡されなければ、俺は同情を愛情だと勘違いして彼女と生きていく道を選んだかもしれない。
今こうして充彦と過ごす何よりも大切な時間など無かったと思うだけでゾゾッ背中が寒くなった。
「勇輝...?」
「...あ、うん...大丈夫。それでね、ここからが本題なんだ」
「あ、ああ......」
俺は一度ゆっくりと息を吸い、そして静かに吐き出した。
「俺はルルちゃんを一度も抱いた事はない」
「はっ!?」
「俺はルルちゃんに...ずっと抱かれてたんだよ」
アジを口に運ぼうとしていた充彦の動きが止まり、その右手から落ちた箸がコロコロと床を転がった。
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