386 / 420
温めよう【2】
ダラリと腕の力を抜き、ただ本当に立っているだけの充彦を後ろからギュッと抱き締める。
一瞬だけその体はビクリと強張ったけど、特に嫌がってる風ではない。
ただ、粋な浴衣姿が情けなく見えるほど、いつもはしゃんと伸びた美しい背中は怯えて丸まっていた。
「充彦、匠さんてイイ人だね」
できるだけいつもと変わらない調子で声をかけてみる。
「......ああ、アイツはほんとに...イイ奴だよ...真面目だしな」
穏やかだけれど、その言葉には何の感情も感じられない。
たぶん、航生に言われた言葉に傷ついたってわけではないと思う。
どうやら航生自身は充彦に対して八つ当たりをしてしまったと気にしてたようだけど、それはどうって事は無い。
いつもの充彦ならば、航生の思いをしっかりと受け止めた上で、茶化しながらも真っ直ぐに反論してただろう。
けど...さっきは違った。
反論を試みたのに...一度は正面から航生に対して反論しようとしたのに......
結局はそれを途中で止めた。
正面から受け止める事を拒み、逃げ、そして...天を仰いだ。
そこからの充彦の言葉はひたすら自分を悪し様に説明する物に変わり、口調は諭すかのように穏やかになった。
みんなは匠さんが力説する当時の充彦像に照れたせいだと思っただろう。
けど、そうじゃない。
当時の自分への嫌悪感に苛まれ、それでもどこか防衛本能のような物が働き、何とか正当化する言葉を探してたんじゃないだろうか。
大丈夫なのに。
昔がどうであれ、今の充彦が充彦であってさえくれれば、それだけで十分なのに。
「少しはアルコール抜けただろ? 一緒に風呂入ろうか」
返事は聞かないまま、帯の結び目を解いていく。
ゆっくりと俺に向けられた瞳は、笑っているようにも泣いているようにも見えた。
「勇輝...俺の事、嫌いになんない?」
浴衣をそっと脱がしてやれば、その体は小さく震えている。
空調の効いている部屋の中は至極快適で、その震えの原因を思うだけで胸がギリと締め付けられた。
「ほら、風呂行こう。貸し切りの露天なんてさ、なかなか経験できないぞ」
充彦の前に回り、俺も一気に帯も浴衣も床へと落とす。
頼りなく笑った形のまま固まっていた充彦の瞳は、それでもちゃんと俺の姿を捉えた。
ゆらりと微かに欲の色が揺れる。
うん、大丈夫だ。
充彦なら大丈夫...俺と一緒にいれば絶対に大丈夫......
「そんなマジマジ見るなよぉ。恥ずかしくて照れちゃうだろ」
「今更何言ってんの? エロス100%のお前が悪い。見ないわけにいかんでしょ」
力は無いけれど、いつもと変わらない軽口の出た事が嬉しい。
俺は充彦の手を取り、初めて奥の障子を開いた。
目の前に長く続くのは、美しく磨きあげられた白木の廊下。
見事な日本庭園だけでなく、おそらくは星空までもが客へのもてなしなんだろう。
そこはまるで透明な回廊のように、横も上も硝子で覆われていた。
その廊下を突き当たりまで進み、現れた木戸をそっと引く。
途端にふわりと広がる檜の香り。
大浴場に比べればずいぶんと小さい脱衣場ではあるけれど、それでも二人で入るには十分過ぎるほどの広さがあった。
そして傍らには、到底二人分とは思えないほど大量に積み上げられているフェイスタオルとバスタオル。
おそらくは一日に何度も風呂に入りたがる客の為への準備なのだろうけど、それ以外の用途にも好きなだけ使え...なんて匠さんからのからかい半分の気遣いのようにも感じる。
「風呂上がる時に...新品のバスタオル、何枚か持っていかないとね」
「心配すんな、お前寝てる間に確認した。ベッドルームにもタオルいっぱい置いてあったよ」
「ふふっ、確認したんだ?」
充彦の足許に膝をつき、下着をそっと下ろす。
当たり前と言えば当たり前だけど、目の前のモノはまだまだ濃い繁みの中に潜り込んだままだ。
そのまま舌を伸ばそうとすると、充彦の長い手が俺の髪を軽く握った。
「やめろよ。まだ洗ってないんだし」
「ん? 充彦の匂いがプンプンしてて、この状態も俺はいやらしくて堪らないんだけどねぇ...」
チラリと目線を上げる。
軽口は叩けるようになってるものの、まだ充彦の体は細かく震えていた。
「じゃあ、さっさと体洗って浸かろうぜ。俺が...目一杯温めてやるから」
スポンと自分もパンツを脱ぎ捨て充彦の手を握る。
磨りガラスの引き戸をくぐる俺に、充彦は大人しく着いてきた。
ともだちにシェアしよう!