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汗もしこりも流してしまおう【2】
俺達4人は、昨日のレストランへと向かった。
今朝は洋風のモーニングを、今日の夜と明日の朝は和食を用意してもらえるらしい。
入り口を開いた途端に鼻を擽ったのは、食欲をそそるバターの香り。
昨日俺達が座っていた辺りのテーブルや椅子は片付けられ、代わりにそこには専門店かと見まごうほどにたくさんのパンが並べられている。
そのあまりにも魅力的な光景と香りにしばらくそこに立ち竦んでいると、店の一番隅のテーブルから大きく手を振っているのが見えた。
「ちょっとちょっと、朝からお楽しみだった? 遅いじゃ~ん」
恐ろしく元気で極めてハイテンションな山口さんが、早速目の前の皿にそのパンを山盛りにしてニコニコ笑ってる。
対して、向かいに座っている黒木くんはひどく青白い顔をしていた。
その前には今のところコーヒーのカップしか置かれていない。
「どしたの、黒木くん。えらい顔色悪いじゃない」
「あっ、さては...寝てるとこを山口さんに襲われた? お尻痛いなら薬塗ってあげようか?」
「うわーん、ひどい言われようじゃない? 俺が寝込み襲うような人間に見える!?」
「見える見える!」
普段のノリのままでギャアギャアと騒いでいると、黒木くんは『ハァ...』とわざとらしいくらいに大きな溜め息をついた。
怒ってるわけではないだろうが、不機嫌さを隠さない目でジロリと俺達を睨む。
「皆さん、なんでそんなに元気なんですか......」
「ん? 何が?」
「あのね、あれだけ馬鹿みたいに酒飲んでた癖に、なんでそんな平気な顔してんですかって聞いてるんです」
なるほど...要は二日酔いなわけね?
確かに昨日は正直どれくらいの量を飲んだかもハッキリしないほどのボトルを次々空けていた。
黒木くんが途中で寝てしまったのは仕事の緊張感からくる疲労のせいだと思ってたけど、どうやら単に酔っ払っただけらしい。
酒の強さに自信のあった自分はベロベロで二日酔いに苦しんでるというのに、朝から元気もエロスも全開の俺達が理解できないんだろう。
「まあ、俺と航生は元々少々の酒では酔わないし...」
「はぁ!? あれが少々の酒!?」
「まあなぁ...体調が悪けりゃ別だけど、ウイスキーならボトル2、3本空けても余裕だから。勇輝も強いけど、念のためなのかな...いや、違うか...俺の為に途中からワインに変えて飲むペース落としてたしね。まあ、自分の限界知るのも経験だよ。次からはペース考えればいいだけだって」
「お待たせしました~」
この後の仕事の為にもなんとか黒木くんのテンションが上げられないものかと声をかけてた俺達の後ろから、明るく柔らかな声が響いた。
コックスーツに身を包んだ雪乃さんが、小さなお盆を手に立っている。
おいおい、俺らだけじゃないぞ...化け物は。
この人、俺らより後から椅子に座ったけどものすごいハイペースでグラスを口に運んでて、たぶん飲んだ量は勇輝と変わらないはずだ。
しかし今は何もなかったような、まったくの仕事用の顔で微笑んでいる。
「もう遅いかもしれないですけど、何も口にしないよりはマシですしね。これだけでも飲んでみてください」
静かに黒木くんの前に置かれたのはしじみ汁。
コーヒーすら飲みたくなかったらしい黒木くんにもその漂う香りは魅力的だったらしく、小さく頭を下げてその椀を手に取った。
「雪乃さん、ほんと酒強いんだねぇ。んで、匠は? アイツは大丈夫だった?」
「......んふふっ、あのしじみ汁、主人の為の物なんですよ。まあ、朝の厨房の指示は私でも十分ですから...今は黒木さんと同じで青い顔しながらアレだけ啜ってます」
チラリと黒木くんを見て、そして雪乃さんと顔を合わせると、俺は思わず吹き出した。
「匠も最高で最強の奥さんもらったわけか。こりゃ、一生頭上がらないね...仕事のフォローも体調のフォローもバッチリな蟒蛇姉さんじゃ」
「あら、そうですか? 私からすると、勇輝さんも慎吾さんも...最強のパートナーだと思いますけど?」
「あー...もしかして、気づいてました?」
「主人も、酔っぱらいながらも気にしてました、『自分が昔話なんかしたせいで』って。私は...勇輝さんと慎吾さんがいるから大丈夫って言ったんですけどね」
「ほんと...勇輝がいてくれて良かったです。勿論、航生と慎吾くんも」
「素敵な関係だなぁって、いらっしゃった時から思ってたんです。4人でいるから強いし4人でいるから安心して弱くもなれるんだって、昨日の夜も感じましたよ。だから、これからもずっと4人でいてくださいね」
「ええ...当然です。4人でいるからこその俺らですから」
背筋を伸ばし胸を張り、気持ちのままに笑ってみせる。
雪乃さんは、それはそれは嬉しそうに微笑み返してくれた。
「あ、こちらのレストランでの食事は、お好きな物をお好きなだけ食べていただけるブッフェ形式なんですよ。ですのでどうぞ好きなだけたくさん召し上がってくださいね」
友人のパートナーとしての微笑みから、ゆっくりと仕事の為の笑顔へと変わっていく。
「本当に、色々食べてみてくださいね。きっと...将来の充彦さんのお役に立つと思いますから」
会釈をして厨房へと戻っていく雪乃さんに礼を言う事もせず、俺は急いでトングと皿を手に取った。
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