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汗もしこりも流してしまおう【3】

これでもかと並べられたパンは、どれも市販されているよりもかなり小さめに作られていた。 パン・ド・ミやクッペ、バゲットなどは予め薄くスライスされ、クロワッサンやブリオッシュには丁寧に切れ込みが入っている。 勿論食事パンだけでなく、抹茶やチョコレートを練り込んだデザートタイプのクロワッサンや、キャラメリゼされたナッツがたっぷりと乗ったデニッシュもある。 どれもこれも、わざわざ朝の為に焼かれた物なのは一目瞭然だった。 パンの棚の裏側に回ってみれば、そこには氷を敷き詰めた冷却ケースが置かれていた。 わざわざ一度しっかり撹拌させたらしい真っ白になったバター、ブッラータやモッツァレラ、クリームなどのフレッシュチーズ、そしてスライスしたばかりであろう生ハムや青々としたベビーリーフが、やはり所狭しと並んでいる。 更に厨房の手前に移動させられているテーブルの上には20種類もあるジャムの瓶。 保温プレートの上には予め奥で焼いてきたらしい厚切りのベーコンとジワジワ肉汁の溢れてくるソーセージが各種。 隣にはフワフワトロトロなのがすぐにわかる、黄色の強いオムレツが並んでいた。 「これは...すごい」 思わずポカンと立ち竦んでしまっていた俺の後ろから、まるで気持ちを代弁するかのような航生の声。 勇輝も片手に皿を持ってキョトンとしていた。 「ジャムだけでも...こんなに用意してあるんだ......」 「チーズも見たか? ブッラータなんてさ、モーニングビュッフェに置くか、普通?」 この宿の素晴らしさはこんな所にも出てるんだ。 普通ビュッフェなんてのは、人件費の削減策の一つのはずだ。 調理の手間を、配膳の手間を省く為に始まった物で、冷凍食品や業者から届いた物を加熱して並べるだけの店も決して少なくはない。 しかしこの宿のビュッフェは、人件費だの人員不足だの関係ないらしい。 とにかく『お客様に自慢の味を色々試してもらいたい』『気にいった物を心行くまで楽しんでもらいたい』という、宿の理念に基づいてるんだ。 だからこそ選びきれないほどの最高の食材を並べる。 あれも食べてみたかった...そう感じたお客さんは、この宿の居心地の良さもあって再びここを訪れるだろう。 「みっちゃん、みっちゃん。食べへんの? この変なチーズと生ハム挟んでサンドイッチしたら、めっちゃ美味いで!」 いつまでも動けないでいる俺達に業を煮やしたか...いや、この空気を変えようと考えてくれたんだろう。 さっさとパンやチーズを適当に取り分け、慎吾くんは早々にそれを頬張りだした。 その声を合図に、俺達は各々好きな物を手にしていく。 俺は真っ先にジャムのコーナーに戻った。 ブルーベリーやカシス、イチゴなどが半分。 あとの半分は、抹茶やコーヒーに紅茶、クルミやピスタチオなどの味を付けているらしいミルクジャム。 パレットのように小さく仕切られたジャム用のトレーに、それぞれを少しずつ掬っていく。 そのジャムに合わせ、一先ずパンはパン・ド・ミとクロワッサンを選んだ。 勇輝はカンパーニュにクリームチーズとベビーリーフにパストラミ。 航生はクッペの上にブッラータを乗せた物と、3種類のソーセージを取ってきた。 「いただきまーす」 まずは定番のイチゴジャムをたっぷりと乗せてみる。 これは以前にも作ってもらった事がある...昔と変わらず基本に忠実で、けれど優しい甘さで美味い。 今度は、ピスタチオのミルクジャムをクロワッサンに塗ってみた。 ピスタチオをジャムにするという発想は無かったなぁ...なんて思いながら、目一杯それを頬張る。 ......衝撃だった。 ピスタチオ自体は、まあ間違いなくピスタチオの味だ。 最高のピスタチオを最高の状態でペーストにしてるんだろう。 俺が驚いたのは、ベースになっているミルクジャム。 濃厚で、煮詰めてもなおフレッシュな牛乳を感じる。 急いで紅茶もコーヒーも試してみた。 どれもこれもやはり基本のミルクジャムの味が格別だ。 俺もミルクジャムを作る事はある。 それも、市販品の数倍の値段がする瓶入りの低温殺菌の物を使ってだ。 それでも、このミルクジャムほどの濃厚さは出ない。 クリームチーズを口に運ぶ。 トクンと胸が鳴る。 ブッラータを横取りして口に入れる。 胸の高鳴りが強くなる。 「勇輝、チーズ食った?」 「すごいね...こんなフレッシュチーズ、初めて食べたかも」 「やっぱり? ちょっとこのミルクジャムも試してみて」 「充彦さん、このソーセージもちょっと食べてみてください」 「あ、このオムレツとエッグサラダも味見してみて」 黒木くんも山口さんもほったらかしで、まるで企画会議のような試食会が始まった。 俺も勇輝も、オムレツの玉子の後味に目を見張る。 航生と慎吾くんはそれぞれのチーズとジャムを試して呆然としていた。 「どれもこれも...すごい......」 「素材が全然違うんだ。この牛乳と卵でカスタードクリーム作ったら......」 「どうよ? うちの朝飯、気にいってもらえたか?」 まだ少し青い顔をした匠さんはそれでもなんとか笑みを浮かべると、まるで答え合わせをしようとでも言うかのように俺達の隣の椅子に腰を下ろした。

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