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汗もしこりも流してしまおう【4】
少し面白がるような人の悪い笑みで俺達を見ている匠に、どうやら何かコイツが伝えたいのだという事に気づく。
さて...真意はどこにある?
「うちのモーニングビュッフェ、どうよ。明日は割烹の方で和朝食食ってもらうけどな。まあ勿論それも自信はあるんだけど...まずは今日の感想聞かせろよ」
なるほど。
これは昨日の勇輝へのテストの延長みたいなもんか?
これから本職としてやっていくであろう俺の...味覚と知識を試そうとしてるんだろうか?
「まず、このパン抜群に美味いな。小麦がいいのも勿論だけど、この発酵の具合が絶妙だ。カンパーニュとクッペは...イーストでの発酵じゃないだろ?」
「おっ、面白いとこ気付いたな。小麦はフランスの物と国産の物を季節ごとにブレンド変えてる。で、カンパーニュとクッペはイーストの代わりにワイン酵母使ってるらしいよ」
「らしいって...お前が作ってんじゃねぇの?」
「無理無理、俺はパンは専門外だ。ついでに店で毎朝焼いてんのは雪乃だけど、生地は毎日届けてもらってる。麓にある小さいブーランジェリーでな...天才パン職人がいるんだよ。雪乃の弟だ」
「なるほど、納得。この味はパティシエの片手間でできるもんじゃないと思ったわ」
満足そうに前歯を見せた匠の視線は勇輝へと移る。
当然のようにそれを覚悟していたのか、勇輝は落ち着いた様子で姿勢を正した。
「で? 勇輝くんは何か感想は?」
「そうですね...大物は充彦に残しておくとして...この卵は濃厚なのに嫌な後味が無くて抜群ですね。オムレツは勿論なんですけど、この玉子サラダのマヨネーズもまろやかですごく美味しいです」
「この卵もこの近くで養鶏場やってる知り合いから直接届けてもらってるんだ。アローカナっていう、黄身が濃厚で大きい代わりに生産性が恐ろしく悪い鳥を純血種の状態で放し飼いにしててね...商売度外視とは言わないけど、健康で美味い卵を生産したいって情熱だけで頑張ってる若い社長のとこなんだ。大手に卸せるほどの量は確保できないから、契約してるホテルやレストランにだけ販売してる状況。あ、当然パンにもこの卵が使われてるよ。ほんと美味いでしょ? 明日はこの卵で卵かけご飯も食べられるからね」
匠の目が改めて俺を映した。
勇輝が『大物は残しておく』なんて言ったから、そこを早く言えってところか?
でもこれが『大物』だって事には勇輝は勿論、航生も慎吾くんも異論は無いだろう。
ならば代表して俺から言おうかとフォークにホイップバターを掬って口に入れた。
「これだよ...ここのモーニングには、これが絶対に欠かせない......」
「ん? バターか?」
「んなわけねぇだろ。牛乳だよ、牛乳。パンにもたっぷり使われてるよな? このバターもそうだし、国産の物でこんなに濃厚なのにキレのいいフレッシュチーズも初めて食ったわ。それにあのミルクジャムだよ...衝撃だった。あんなに風味の強いピスタチオにもコーヒーにも全く負けない、煮詰めてもちゃんとミルクの香りが残ってるってどういう事だ!? あのジャムは雪乃さんが作ってるんだろ? おそらくは手順や火力、使ってる材料に分量は俺とそう変わらないと思う。けど、圧倒的にこの牛乳の存在感が違うんだよなぁ」
「お前は普段ミルクジャム作る時の牛乳ってどうしてる?」
「馬鹿にすんなよ。わざわざ脂肪分の高い低温長時間殺菌の生乳を、搾ってから36時間以内に届くように送ってもらってるっての。けどな、こんなに牛乳の味は濃いのに他の風味を邪魔しないなんて物にはならない......」
「雪乃、さっきお前らになんか言ってなかったか?」
「なんかって......」
さっきってのは、黒木くんにしじみ汁を持ってきてくれた時の事か?
あの時、雪乃さんは何か言ってたか?
俺達の関係が無事に修復された事を喜んでくれてた。
黒木くん同様、匠も二日酔いでヘロヘロだとも言ってたか。
他に何を...?
「たくさん食べてくださいね...充彦さんの将来にもきっと役立つはずだから...やったかな、確か」
慎吾くんがクリームチーズにブルーベリージャムを垂らしてパクリと口に入れる。
そして自信ありげな顔でニコッと笑うと、匠の顔を真っ直ぐに見た。
「みっちゃんに、勇輝くんに、航生くんに、そして俺に...雪乃さんが食べさせたかったんはこの乳製品やね。みっちゃんの将来の為に、この牛乳の味を確かめて欲しかった...とか?」
「オッケー、ナイスコンビネーション。ほんとに君らは4人でいてこそ力を発揮するねぇ。じゃ、黒木くんと今日のこの後の予定を確認しながら、本格的に回答といこうか」
匠が右手を上げる。
それを待っていたかのように、左腕にトレーを乗せた雪乃さんが静かに厨房から戻ってきた。
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