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汗もしこりも流してしまおう【5】
雪乃さんがトレーに乗せてきたグラスをみんなの前にそれぞれ置いていく。
真っ白な...いや、ただの白じゃないのか...白いのに、なんとなく緑がかって見える液体。
鼻を近づければ何の事はない、よく知った匂いがする。
「牛乳?」
「まあ...ちょっと飲んでみろって」
俺達にその液体を飲むように勧めながら、匠は黒木くんに今日この後のタイムスケジュールを出すように声をかけた。
当然打ち合わせも兼ねての朝食で、タブレットを持参している。
言われるまま黒木くんは画面を操作するのを見ながら、俺はその白い液体を口に含んだ。
「えっ......」
「これって...?」
「うわっ、この牛乳ウマッ」
それぞれ一口飲んだ瞬間に思わず出る感想を、匠はひどく満足げな顔で見ている。
雪乃さんも同じだ。
「これは、勿論市販の牛乳ではないんですよね?」
すっかり一息で飲み干してしまった航生が、至極真面目な顔で尋ねる。
俺達も次々に中身を空にして匠の方を向いた。
「大手メーカーの牛乳かそうでないかで言えば、勿論大手のじゃない。でも、生産量が少ないってだけで、ちゃんと市販はしてる牛乳だよ。うちで使ってる乳製品のベースは、全部この牛乳だ。ミルクジャムやヨーグルトは雪乃がここで作ってるけどな、他の物は全部この牛乳作ってる牧場で販売してるもんなんだ」
「すごいな...乳脂肪分はかなり高いと思うけど、それでもちっともしつこくない。むしろ後口は普通の牛乳よりもさっぱり感じるくらいだ。何よりこの香り...爽やかで、いわゆる『乳臭い』ってのとはまったく違う......」
「乳脂肪分だけで言うなら、勿論メーカーの牛乳よりは高いはずだけど、普段お前が使ってる牛乳のが高いと思うよ」
「これもジャージー種?」
「そう。ホルスタインよりも生産量は落ちるけど、やっぱり味の濃厚さはジャージー種の方が上だしな。ただ......」
「ただ?」
「その牧場は、日本でも数少ない『完全放牧』で牛を育ててる。自然の草を食べられる春から秋までは放牧で、冬は牛舎で飼料を与えてるって牧場は多少あるけどな、一年を通して放牧してるとこはまだほとんど無い」
「え? 年間通してって...冬の間はどうするんですか? 飼料あげなきゃ牛は死んでしまうんじゃ......」
「放牧してるからって人間が餌を与えないわけじゃないんだ。その季節ごとに柔らかい新芽をたっぷり食べられるようにそれぞれの季節に合わせて種を撒き、牛の放牧する場所を少しずつ移動させるんだ。秋から冬でも寒さに強い芝を育ててるから、ちゃんと餌は腹一杯食べられるよ。人間の都合で無理矢理食べさせられるんじゃなく、好きに動き回って腹が減ったら好きな草を食べる...健康的だろ?」
「そんな飼育ができるのか?」
「まあ、やってるからこの牛乳があるんだけどな。気候を考えると、おそらくこの辺が日本での完全放牧飼育の北限だと思うわ。最初の頃はなかなか生産量が安定しなくて大変だったんだけどな、最近は育成のノウハウも確立してきたし、この味に惚れ込んだ若い子が何人か手伝いに入ってくれた事で牛の数も増やせるようになった。本当に熱意のある牧場なんだよ...親父さんが信念を持って始めて、長男がそれを継いでる。次男はこの最高に美味い牛乳を使ったチーズやバターを作りたいからって、北イタリアまで修行に行ってな...俺と雪乃の幼馴染みなんだ」
「これが...今日の予定です。午前中はこのホテルの周囲を観光するって事で、山道を散策しながらイワナやヤマメの養殖場に行きます。そこで手づかみ体験して、焼きたてのイワナをいただいてから一度ホテルに戻って......」
匠が俺の前に一枚の名刺を置いた。
言いたい事がわかってきて、思わず口許が弛んできてしまう。
「うちの車使ってくれ。ナビにはちゃんと入れてある。車は黒木くんが運転してくれるらしいから。だよね?」
「はい。そこで手作りチーズと手作りバターの体験教室に行って、そちらで営業されてるレストランでお昼ご飯の予定です」
「......もう話は通してある。もし気にいったら...商売の話をしてくれて大丈夫だから」
匠が真っ直ぐに俺を見る。
俺は目を合わせたまま、左手を小さく上げた。
そこをパンと叩いた匠の腕が、ガシッと俺の体を抱き締めてくる。
「サンキュ。俺も勇輝も絶対お前の役に立つはずだ...なんか困った事あったら、なんでも言ってくれ」
しっかりと目の前の体を抱き締め返している間に、勇輝はそっと名刺を胸元にしまった。
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