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求め、求められて【勇輝視点】

気づくと優しく肩を叩かれていた。 口の周りの涎が気になって慌てて手で触れてみて、ベチャッとしてないことにちょっとだけホッとする。 「遅くなってごめんな」 俺にいつもと同じに見える優しい視線を向けてくる充彦。 でも...なんとなくその頬に、瞼にと指を滑らせる。 「ん? どした?」 「中村さんにいじめられた?」 ニコリと笑う。 充彦もニッコリと笑顔を返してくれた。 「別にいじめられたとか無いよ。なんで?」 「うーん...泣いたのかなってなんとなく思った。勘違いならいいんだ」 充彦と中村さんが少しだけ目を大きく丸くして顔を見合わせる。 「はぁあ、参ったなぁ...レンズ越しに見たってみっちゃんの表情にそんな部分は感じなかったのに、やっぱり勇輝くんにはわかるのか。恐るべし、ラブパワー」 「茶化さないでよ。勇輝、気にしなくていいから。確かにちょっと泣いたけど、中村さんに昔々の思い出話をね、少し聞いてもらっただけ。今日ここで話した事で、ようやく自分の気持ちの整理がついた部分もあるんだ。だからね勇輝...今までほんとに何にも話してなかったけどさ...ちょっと落ち着いたら、俺の家族の話聞いてくれる? んで、ちゃんと勇輝の事紹介したいから、お袋にも会って欲しいんだけど」 お母...さん? 身内って呼べる人は誰もいないって聞いてたけど、お母さんにならご挨拶が...できるのか? い、いや...家族にご挨拶なんて、まるで結婚の報告みたいな? お...俺が? 充彦の? 「あ、あの...俺、男なんだけど...お母さんビックリしないかな?」 俺の言葉に一度大きく開かれた目はすぐにキュッと細められ、あんまり見た事のない顔になった。 なんだか泣き出しそうな...だけどちょっと吹き出しそうな... 「まあ、ビックリはするだろうね。でもきっと、俺にしては上出来なパートナー見つけたって喜んでくれると思うよ」 「そ、そうか? あ、なんならさ、うちにご招待しようよ。俺、気合い入れて最高に旨いご飯用意するし...」 「......うちに呼ぶことはできないんだ...せっかく言ってくれたのにごめんな。でも...ほんとにありがとう」 どこかの施設に入院でもしてるんだろうか? まあ、これまで話したがらなかった家族の事を聞かせてくれると言うんだ、そんな事情もちゃんと教えてくれるんだろう。 「はいは~い、プロポーズの最中ごめんね~」 中村さんが充彦と俺の背中をペシペシ叩いてきた。 あ、ちょっとだけ存在を忘れてた...ごめんなさい。 「じゃあ、今からイメージシーン撮るから、ちょっと着いてきてくれる?」 チョイチョイと手招きをする中村さんにくっついてスタジオを出る。 なんだろう? 風呂場でシャワーシーンでも撮りたいんだろうか? そんな事を思ったけれど、中村さんの足はバスルームの前を素通りし、そのまま階段を上がり始める。 「ねえ、どこ行くの?」 以前の撮影の為に上に上がった時は、最上階だったからエレベーターを使った。 という事は、あの時に使った『ホテル仕様のバスルーム』に用事があるというわけではない。 充彦と顔を見合わせ首を傾げながら、大人しく後ろを着いていく。 2階につくとそれ以上階段を進む事はせず、そのままフロアに出た。 一つの扉の前で立ち止まり、中村さんは俺達が追い付くのを待ってくれていた。 「今日の撮影の為に、このスタジオも借りたんだ...」 鍵を開け、扉が大きく開かれる。 促され中に入ると、俺は自分の目をちょっと疑った。 充彦も驚いた顔のまま口をポカンと開けている。 「これ...昔の...俺の部屋じゃん......」 10畳ほどの広さの室内。 セミダブルのベッドには真っ黒なカバーが掛けてある。 枕元にはどこにでもあるようなサイドボード。 その上にはご丁寧に、当時はまだ喫煙者だった充彦が使っていたのと同じ灰皿が乗っていた。 「え? これ、どういう事?」 「二人が付き合い始めた頃のみっちゃん家のベッドルーム、こんな感じだったんでしょ?」 「......です」 「二人のとこの社長さんに、当時部屋で写したっていう写真をお借りして、担当さん達にも協力してもらって、できる限り再現してみました~」 ああ、覚えてる...二人で酒を飲みながら『すっぱり諦めた』なんて言ってかつての夢を笑い飛ばしていたのに、ベッドルームの本棚にはかつて使っていたテキストが綺麗に並んでたんだ...こんな風に。 この捨てられないテキストこそ、諦められない夢の象徴みたいだった。 ベッドヘッドの反対側に置かれている本棚へと近づき、並んだ本の背を指でなぞる。 「あのクソ親父め...また勝手な事しやがって...」 充彦は『やられた』といった風に苦々しげに唇を噛んだ。 「懐かしいね」 俺は目一杯明るく笑ってみせる。 昔とはいえ、自分の知らない所でこうして自分の生活していた場所を再現されるなんて、確かに気持ちのいいものではないかもしれない。 だけどここは俺にとって特別な場所でもあるから...再びここに来る事ができて少し嬉しいのだと伝えたかった。 「中村さんが策士なのはもう十分わかったよ。んで...何がしたいの?」 「二人の絡みが撮りたい。これは俺の希望でもあるし、担当さんからの要望でもある」 「だったら、別にこんな手の込んだことしなくたって...」 「初めての夜を撮りたいんだ。さっきのインタビューでも改めて感じたよ、二人とも自分の思いを伝えられないまま、募る気持ちを隠して仲のいい仕事仲間として付き合ってたんでしょ? そんな思いがやっと通じ合って、溢れるほどの気持ちを抑える必要が無いとわかった時の...そんな二人の初めての夜を撮りたい」 「そんなもん、さすがに無理...」 「俺はいいよ」 まだ反対しようとする充彦の言葉に、俺の言葉を重ねる。 「俺はいいよ、充彦。思って思って思って、苦しくて切なくて、それでも絶対に伝えちゃいけないって思ってた気持ちをね、インタビュー受けながら思い出したんだ。この部屋で、俺はもう我慢しなくていい、これからは充彦一人だけの物なんだって思った事とか。今の俺ね、ちょっとあの頃の俺に戻ってる...ずっと充彦のそばにいられて、幸せ過ぎて死んじゃうって。だから...そんな俺の幸せな顔、映像で残してもらえるなんてラッキーかもしれない」 充彦はちょっと困った顔になった。 そんな顔をさせたかったわけじゃないのに...わがままを言い過ぎたんだろうか? 俺の気持ちが伝わったのか、安心させるように充彦が頭をポンポン叩いてきた。 「怒ってるとかじゃないから」 「......ごめん...」 「だからぁ、怒ってるわけじゃないから謝らないで。ただ、ちょっと...恥ずかしいんだよ...」 「恥ずかしい?」 「俺だって勇輝が好きで好きで、眠れないくらい好きで...そんな気持ちになった事なかったからさ、あの時ってほんと...情けないくらいガツガツしてたじゃん...あんな俺を再現しろとか言われても、ほんとガキのセックスみたいで...」 「いいじゃない、それで」 中村さんが『なんてことない』みたいな顔で言う。 「いいんだよ。仕事の為の『見せるセックス』じゃなくて、気持ちの昂りが抑えられない『求め合うセックス』を撮りたいんだ。写真集の中の、『お互いがお互いをわかり合ってる』って出来上がった関係じゃなく、これから関係を築いていく瞬間を」 普段は普通の写真しか撮っていない中村さんが『動画』という依頼を引き受けてくれたのは、これを撮りたかったからなのかもしれない...そう思わせるほどに熱い目で充彦を見つめる。 そんな視線や思いを、充彦が無下にできるわけもない。 「やるよ、やる! んでもなぁ...マジでカッコ悪いんだよなぁ...あんなウブウブでガツガツした感じ、今の俺に出せるのかなぁ...」 「大丈夫だよ」 まだ髪を掻きむしりながらブツブツ言ってる充彦の手をそっと握る。 「俺ね、すっかりあの頃の俺に戻る準備オッケーだから。充彦はそんな俺を見てるだけでいいよ。きっと...それだけであの頃の気持ちに自然と戻れる」 それはまるっきりいつもと逆。 暗示をかけるように、俺は何度も何度も充彦の耳許に『大丈夫...大丈夫だよ...』と繰り返した。

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