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未来の為に舌鼓【2】
ホテルに戻り、鍵を預かると駐車場へと向かった。
指定された車はわりとゆとりのあるRV車とはいえ定員は5人。
仕方なく山口さんはカメラを俺達に託すと、お留守番を買って出てくれた。
午後からのビデオ撮影に備える!なんて言ってるけど、おそらくお昼寝タイムにするんだろう。
目的の場所は予めカーナビに登録してくれている。
一番邪魔になるであろう充彦が助手席に座り、残り3人が後部座席だ。
「だいぶかかるのかな、その牧場?」
「いや、そんなに離れてないぞ...そこの道を真っ直ぐ上がっていくだけみたいだし......」
「うん、10分もかからないと思いますよ。宿から近いからこそ僕も取材しないといけないわけですし」
「あ、そうだったね」
将来の為の下見を兼ねている俺らと違い、あくまでも黒木くんは『人気の温泉宿と、その近くで楽しめるレジャー』の紹介の為に来てる。
確かに宿から難しい山道を延々と1時間以上上がっていく...なんて場所ではなかなか紹介のしようが無いだろう。
時々分かれ道はあるものの、目的地はひたすら大きい方を進んで行けば良いらしい。
決して広い道ではないが、それほど急でもなくきちんと舗装もされていて、なかなか快適なドライブになった。
不意にその綺麗な道が途切れ、運動場のような何も無い場所で車が止まった。
「ん? ここ?」
「ここが駐車場ですね。そっちがチーズの工房を兼ねたレストランと受付みたいです。まずあっちに行きましょうか。汚れてもいいなら、子牛にミルクあげる体験もできるみたいですよ」
全員で車を下りると、ウッドデッキの見える建物へと近づいた。
エンジンの音が聞こえたんだろうか、俺達とそれほど年齢は変わらないだろう男性が二人中から出てくる。
「あ、恐れ入ります。今日取材でお世話になります......」
「あ、匠から話は聞いてます。僕が牛の世話と牛乳の管理をしてます、兄の石黒健一です。こちらが...」
「チーズ工房とレストランの責任者で、弟の修司です」
少し匠さんに似た雰囲気の、小さくてずんぐりとしたお兄さん。
背が高くて細身の、一見すると神経質そうな弟さん。
全く似てないと思えるのに、俺達を見てニコリと笑った目許は驚くほどよく似ていた。
「よろしくお願いします。俺は......」
「あ、知ってます知ってます。そりゃあもう何かとお世話になりましたし。あ...カミさんには内緒ですよ? それに、匠の恩人は俺達にとっても恩人みたいなものですから」
「お、またみっちゃんが恩人の話や」
「からかうなって。あんまり恩人恩人言われても困るんだってば...俺にはそんな実感無いんだし」
「この牧場は元々僕らの親父が始めたんですけどね、なかなか軌道に乗らない経営をずっと支えてくれてたのが匠の所の親父さんなんです。それぞれ代替わりして、匠だって色々と大変だったのに...それでもうちの牛乳が日本一美味いって使い続けてくれて。だからみっちゃんの話は、アイツがこっちに戻ってきてから耳にタコができるくらい聞かされましたよ」
「いつかそんな時が来たらみっちゃんの役に立ちたいから、お前らもその時は頼む...ってね。ですから僕達にできる事なら何でも言ってください」
すごい縁だな...充彦がたまたま助けた人が、こうして周囲の人まで巻き込んで夢を支えようとしてくれてる。
この人達とは元々何の繋がりも無いのに...自分達でできる事は何でもするなんて言ってくれてる。
縁だけじゃなく、きっと『運』もある。
充彦を助けた人が悪人なら、おそらく今も夜の毒々しいネオンの中で、金に埋もれて息もできなくなってるだろう。
充彦が助けた人が悪人なら、好意につけこんで金を引っ張るか店の女の子辺りに手を出して、傷ついた気持ちのまま縁を切らざるを得なかっただろう。
良い人に助けられた。
良い人を助けた。
だからこそ、みんなの夢を背負ってる充彦を、そばにいる俺達が精一杯支えなければ。
「早速なんですけど、わがままをお願いしてもいいですか?」
感慨に浸って思考を潜らせていた俺達に代わって声を上げたのは航生。
一人一歩前に出る。
「みんなが牧場を案内してもらってる間に、チーズの作り方を教えていただきたいんです。あ、勿論今日いきなり完璧にマスターしたいなんてふざけた事を言うつもりはありません。基本の作り方を教えていただいて、あとは...完璧な物が作れるようになるまで、何度でもここに通いますから。ホテルで食べたモッツァレラ、本当に美味しかったです」
航生の申し出に、修司さんはさも当然といった顔で右手を差し出す。
「匠から、おそらく誰かが作り方教わりたいって言うはずだと聞かされてました。喜んでお教えしますよ」
「じゃあ僕達は、牧場の方に行きましょうか?」
健一さんが目の前の木の柵を大きく開いた。
「カメラは俺が回すからね~。安心して乳搾りしてええよ」
半歩下がった辺りで慎吾がビデオカメラを構える。
早速工房へと消えていく航生を見送ると、俺達も健一さんの後に続いて牧場へと足を踏み入れた。
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