156 / 420
近づきたい、近づけない【4】
これは...手を繋いでいるのか?
......いや違う、そうじゃない。
......そんなわけはない、勘違いしちゃダメだ。
これは手を繋いでるんじゃなくて、手を引かれてるだけ...やけに力が入ってるように思えるのも、俺がボケッとして歩くのが遅いから引っ張ってるだけ...
肌の触れてる場所が、ひどく熱い。
「ほら、ここ。造りはそんなに綺麗じゃないけど、味はピカ一だから」
ほどなく、一見するとごく普通の居酒屋に着き格子の引き戸をガラガラと開く。
「おう、みっちゃんいらっしゃい。あれ? お連れさんがいつもと違うじゃない」
「まあね。あ、この子俺と同じで食べる事が一番の趣味らしいから、今日は頑張って二人で売り上げ貢献するよ~。んで、奥でいい?」
顔を出した、主らしい男性に頭を下げる。
......いつもと連れが違うって...やっぱり普段は彼女と来てるのかな......
「おう、どうぞどうぞ。もう準備はしてあるから、食いたい物決まったら声かけて」
「はいよ、りょうか~い」
握った手を離そうともせず、みっちゃんは慣れた様子で店の奥に向かって狭い通路を進んでいく。
入り口こそごく普通の大衆的な居酒屋風だったけれど、奥まで進むにつれて少し趣は変わってきた。
狭いながらも通路の端々に洗練された一輪挿しや華美すぎない焼き物が品良く並べられ、落とされた照明を補うように足下を和紙に覆われた柔らかい光のライトがぼんやりと照らしている。
「ふふっ、ちょっとビックリな内装でしょ」
俺がやたらとキョロキョロしてるのに気づいたのか、みっちゃんは少し得意気な笑顔で振り返った。
「あ、はい...もっと普通の居酒屋さんかと思ったんですけど...こんなに奥が広くて、その...」
「綺麗だと思わなかった?」
「......はい、すいません。居酒屋っていうより、料亭みたいですね」
俺が感心しきりといった風に答えると、その笑顔はさらに満足そうな明るい物になり、すぐ目の前に現れた障子をゆっくりと開いた。
「はい、ここ。入って入って」
大きさは、四畳半ほどだろうか。
それほど広いわけではないけれど、やはりそこにも趣味のいい花入れが置いてあった。
「ああ...これはいいですね...」
部屋を見回し、素直な声が漏れる。
かつてまだ体を売って生活していた頃、俺を可愛がってくれていた客によく食事に連れていってもらっていた。
それは時に最高級のフレンチだったり、超有名店の中華料理だったり。
政治家が密談に使うような料亭に連れて行かれた事も少なくないが、あの空間は無駄に広いばかりであまり落ち着かなかった記憶がある。
でもこの部屋は、二人でテーブルを挟んで膝を付き合わせるにはちょうどいい。
うるさくない程度の調度品も、その品の良さも、なんだかとても心地よかった。
「ほらぁ、立ってないで座ってよ」
さっき一瞬見せた真剣な表情とはまるで別人のように、ワクワクが抑えられないといった顔で座蒲団をバンバンッと叩く。
その子供っぽい仕種がちょっと可笑しくて、自然とクスクス笑いがこみ上げてきた。
俺が腰を下ろすのを確認するとみっちゃんは向かいに座り、テーブルの上に体を乗り出してくる。
「ここ、良くない? 和食だったら、俺の中ではこの店が一番なんだ」
「この個室もすごく落ち着きますもんね」
「そうそう。あんまり広くてもなんか緊張するじゃない? かと言って、チェーン店の個室とかだとさ、色合いとか雰囲気とか、なんか明る過ぎて合わないんだよね...若い子向きっての?」
「まだ自分だって若いくせにぃ」
「いやいや、中身はすっかり『オジサン』通り越して『ジイサン』よ。俺ね、昔から集団でつるんで、ボリューム壊れたみたいにギャーギャー騒ぐのとか苦手で。若い子向けの店って、どうしてもそういう集団多いじゃない?」
「俺も苦手です。まあ俺の場合、集団で騒ぐって事が無かったから、苦手も何もその経験自体が無いんですけどね」
そう言った俺は、何か変な顔でもしてたんだろうか。
みっちゃんは更に優しい顔でテーブルの向こうから長い腕をニョーンと伸ばしてきて、俺の頭をワシワシと撫でた。
「ここの大将ってね、ちょっと偏屈でさぁ...その日のお薦めって物を適当に勝手に持ってきたりすんのね。最初に苦手な食べ物伝えておかないとほんとに好き勝手されちゃうんだけど、嫌いな物は?」
「食べられない物は無いです。ただ、香りの強い野菜は少し苦手かも...パクチーとか」
「和食で出ないっての。じゃあ、酒は? それなりにいけるってのは聞いてるけど、まずは何飲む?」
「乾杯だけはビールですかね...あ、できたら生じゃなくて、瓶ビールで。そこからはお料理に合わせたいんですけど...」
「オッケー。んじゃちょっと大将に話して、付き出しとビールもらってくる」
「もらってくるって......へ?」
「この奥の個室ね、常連しか入れないんだよ。で、ここを使う人間は基本的に注文は直接言いに行って、大将の手間を省くのが暗黙の了解なんだなぁ。まあその時にその日の魚の話とかメニューの相談とかもできるから、慣れてる俺らは別にそんなの苦にもならないんだけど」
「あ、じゃあ俺もお手伝いを...」
「いいからいいから。どうせビールとつまみだけだし、大人しく座って待ってて」
俺を一人残すと、みっちゃんは軽い足取りで部屋を出ていく。
出てくる酒や料理を楽しみにしながらも、店に入った時に何気なく言われた『いつもと連れが違う』という言葉がやけに胸の奥につかえていた。
ともだちにシェアしよう!