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近づきたい、近づけない【5】
最初に出されたフグの皮の煮凝りから始まり、まあなかなか驚くような料理が続いた。
ツマミとして気楽に食べられる『鶏軟骨の唐揚げ』が出たかと思えば、次には『キンキの煮付け』だの『海老しんじょ』だのが続く。
しまいには『ハモの湯引き』まで出てきた。
季節の風物詩として当たり前に食べられている関西ならともかく、東京でこれほど見事な骨切りの技術を持っている料理人がいて、またそれを自分が知らなかったという事に正直ビックリだ。
聞けばさっき顔を覗かせた大将は、元々京都の有名な割烹旅館で料理長をしていたらしい。
そこで女将としての修行に来ていた奥さんと知り合い、数年前に奥さんの実家を継ぐ為に上京したんだとか。
元は完全予約制の高級料亭だったこの店を、その時に居酒屋というか、大衆割烹のこのスタイルに変えたんだそうだ。
それを聞けばこの品の良い奥の座敷も、合間に出された甘鯛の松笠揚げにも、すべてに納得がいった。
いや、関西では『ぐじ』と言うんだったか...そんな事もかつての馴染みが教えてくれたとおぼろ気に思い出す。
出される料理に合わせたいと俺が言った事でビールは最初の一本だけになり、あとは久々にたっぷりと日本酒を楽しんだ。
まずは店で一番のお薦めだという、伏見の純米酒を出してもらう。
口に入れた瞬間はフワリと甘みが広がるもののスッキリとした喉ごしで、料理の味を邪魔しない良い酒だった。
出される料理、次々に変わる酒。
どれもこれも旨くて箸もグラスを止める事ができず...少しどちらも過ぎてしまったかもしれない。
滅多に酔うことなんてないのだけど、今日は珍しく頭がフワフワとしていた。
今日の俺は、おそらく顔も目も真っ赤になっているだろう。
食事は終わって、今はのんびりと飲みの時間。
もう酔っている事はわかっているのに、まだ酒のグラスは手離せないでいる。
『珍しい酒があるから』と何やらみっちゃんが頼んでくれて大将が持ってきたのは、グラスに注いだ途端に入れた酒が徐々に凍っていくという珍しいみぞれ酒だった。
なんでも、この酒を出したいが為に『過冷却状態』を作る専用の冷凍庫まで買ったんだそうだ。
「ね? 普通に半凍りにしてあるみぞれ酒とちょっと違うでしょ?」
喜んで飲み続ける俺に、嬉しそうにみっちゃんが笑いかけてくる。
俺と同じだけ飲んでるはずなのに、ほんの少し頬が赤くなってるだけでみっちゃんはほとんど変わらない。
俺だって相当酒は強いはずなのに、どんだけこの人はウワバミなんだ?
「酒、強いんすね~」
「俺? そうだね、弱くはないかな...ほら、なんせこの体だから容量が違うし。でも勇輝くんも相当強いじゃん。俺とさしで飲んで、こんなに着いてくる人初めてかも」
不意に、何気なくみっちゃんの目が左腕の時計に落とされた。
あ、そうか...忘れてた...
「あー、いつまでも飲んでて...すいません...遅くなっちゃいましたよね...」
「ああ、気にしなくて大丈夫だよ。この店2時までやってるから。終電は無くなっちゃうけど、ちゃんとタクシーで送るからね」
「いや、帰りましょ。あのぉ...あれだ...彼女さん...そう、彼女さんに怒られますよ」
「彼女なんていないよ、俺」
「え? 何の嘘ですかぁ。だってぇ...ここいっつも...彼女と来てるんでしょ?」
「それ、もしかして最初に大将が言った事の話? あれはね、俺が所属してる事務所の社長。普段は社長とばっかり来てるから。ちなみに勿論男ね」
「社長...男...」
「何、もしかして『彼女と来てるのか?』なんて嫉妬してくれた?」
「バッ、バカな事言わないでください! べ、別に...嫉妬するとか...あるわけないです...です...」
テーブルに肘をつき、みっちゃんがじっと俺を見てくる。
酒で頭がクラクラフワフワしている俺がその視線をさりげなくかわすなんて事ができるはずもなく、真正面からじっと見つめ返してしまった。
「なんで彼女いるとか思ったの? もし彼女いたらさ、あんなに毎日毎日勇輝くんにメール送って電話して...なんてしないよ。俺、そんな不誠実な男じゃないし」
「だって! だって...みっちゃんみたいにカッコ良くて優しくてエロくてイヤらしくてエロくてイヤらしい人...」
「こらこら、どんだけ俺イヤらしいんだよ」
「みっちゃん、エロいっすもん...エロくてイヤらしくてエロくてイヤらしくてエロくてイヤらしくて...そんなみっちゃんを、女の人がほっとくわけ無いじゃないですかぁ」
やっぱり、少し飲み過ぎてたんだろう。
立派に酔っぱらってる俺は、どうにも口が止まらなくなっていた。
「俺の事ばっかりエロいエロいって言ってるけどね、俺からしたら勇輝くんのが色気駄々漏れだっての。勇輝くんといたらさあ、あんまり色っぽいから他の女の子なんて霞んじゃうよ」
「俺はぁ...エロくも色っぽくも無いで~す」
わざとプクーッと頬っぺたを膨らませみっちゃんにベーッと舌を出す。
「んじゃさ、俺の何がそんなにエロいの。俺はそこはかとなく爽やかだと思ってるんだけど」
「んぁ? 何がって...」
みっちゃんはちょっと可笑しそうに目を細め、テーブルに肘をついてそこに顎を乗せた。
優しいその目の奥にやけに真剣な光が宿っているように見えて、ちょっとだけドキドキする。
いやいや、これは俺が酔っぱらってるだけだ...
「あのですねぇ、その無駄にデカイ手でぇ、あの...あのね、あれだ...こう...キスしようとしてぇ、首筋から...ほら、こう...顎のラインまでをね...なぞるっつうのかな~? 包み込むっつうのかな~? なんかねぇ、その手の動きがね、ヒジョ~にエロっちい。もうねぇ、反則ぅ!」
「そうなの? 手? 手だけ?」
「手だけじゃないですよぉ。なんかさ、ほらぁ...そうやって、やさしそ~な顔して俺見てる目もぉ、ちっちゃい顔もぉ、長~い脚もぉ、何もかもエロ~いの!」
そうだ。
みっちゃんの姿も声も雰囲気も、俺をクラクラフワフワさせる。
......何もかもがエロいみっちゃんが悪いんだ
......だから俺が勘違いするんだ...
俺がそんな自己弁護でブツブツと言っていると、何やらみっちゃんがゴソゴソと動きだした。
テーブルをぐるりと回り、四つん這いで俺の方へと向かってくる。
「俺は、何もかもがエロいの?」
あれ?
怒らせてしまったのだろうか。
酔った勢いとはいえ、先輩に失礼な発言だったろうか。
すぐ隣まで近づいていたみっちゃんを真っ直ぐに見る。
「そんな目をしてる...お前が悪い...」
「え? 何を...?」
怒ったというよりは少し困ったような口調のみっちゃんは、ゆっくりと俺の方へと手を伸ばしてきた。
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