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俺の手を取って【5】
「みっちゃん、ほんとに飲まなくていいの?」
「うん、商売になんなくてゴメン。でも、来るまで待ってたいんだ...」
返信が無い以上、勇輝が今日はどの現場に入ってるのかはわからない。
だから、何時まで待てばいいのかなんて事もわからない。
俺はほぼ開店と同時にあの居酒屋に入り、カウンターの隅に陣取る。
食事も酒も注文しない俺を迷惑がる事もせず、大将は熱いお茶と『小腹が空いた時用』に買い置きしてあるという、とっておきのきんつばを出してくれた。
「えらく深刻そうだね」
「...いや、別に深刻じゃないよ。ただ話がしたいだけ...ちゃんと話をしたいだけなんだ...」
「ふ~ん...そうかぁ。んで、誰を待ってるのかね...」
「さあねぇ......」
大将はカウンターを挟んだ向かいに椅子を持ってきて座り、俺と同じように熱いお茶を啜り始めた。
さっきまで俺と話をしながらもあれやこれやと手を動かしていたから、いつ誰が来ても準備オッケーという事なんだろう。
チラリと時計を見た。
もうそろそろ7時を回る。
サラリーマンを中心に、ぼちぼち客が入ってくる時間だ。
何も注文しない俺がここに座ってるのは迷惑かもしれない。
「大将、ビールとツマミだけ...もらおうかな...」
「余計な気ぃ遣わなくていいって。みっちゃんはちゃんと大事な人待ってなよ」
ニコリと人当たりの良い笑顔を向けながら、俺の湯呑みに再び熱いお茶を注いでくれる。
俺はただ、頭を下げるしかなかった。
「大将、久しぶり~」
ガラガラと引き戸が開き、賑やかな声が響いた。
「おおっ、山ちゃん、ずいぶんとごぶさたで」
「ごめんごめん。ちょっと九州の現場に張り付きだったんだよぉ。いやぁ、大将の真ん丸顔見られなくて寂しかった寂しかった。でね、今日は後輩連れてきてんだけど、奥の部屋使っていい?」
「いやぁ、悪い。奥はねぇ、今日はちょっと大切なお客さんの予約が入ってんだよ。ほんと悪いね」
俺は慌てて大将の方を見る。
確かに、『待ち合わせしてるから、空いてるなら奥を貸して欲しい』と言った。
だけど実際まだこの場に勇輝は来てないわけで...いつ来るのか、本当に来るのかだってわからないわけで...
「申し訳ないんだけど、こっちのテーブル使って。久々だってのに、ほんと悪いね。お詫びと言っちゃなんだけど、みんな最初の一杯と付き出しはサービスにしとくからさ」
これはイカン。
帰らなくてはと立ち上がりかけた俺の肩を、おしぼりやグラスを乗せたお盆を持った大将がポンと叩いていく。
「いいから、みっちゃんは座ってな」
他の誰にも聞こえないように耳許でボソッと呟くと、いつもの愛想のいい笑顔で大将はサラリーマンの座るテーブルへと小走りで向かった。
**********
サラリーマンのグループも、その後から入ってきたやたら偉そうなオッサンも、誰もかれも...みんな酒と料理を楽しんで帰っていった。
もう日付が変わる。
何杯目かわからないお茶を飲み干すと、俺はゆっくり椅子を引いた。
「遅くまでごめんね。本当に迷惑かけました」
「......うちの閉店は2時だ。それまでは座ってな」
「でも、これ以上迷惑かけるわけには...」
「迷惑なんて言ってないだろ。相手には『来るまで待ってる』って話してあるんじゃなかったのか? だったらちゃんと待っててやんなよ」
もう...待ったよ。
いくら俺らの仕事は時間が不規則だとはいえ、よほどの事情が無い限りは撮影がテッペンを回る事はまず無い。
つまりは...これが答えという事だ。
一気に体の力と緊張感が抜ける。
思わず涙が溢れそうになり、俯いたままで急いで立ち上がった。
「おい、みっちゃん...」
「もう...いいんです......」
「みっちゃん!」
「もういいんだってば!」
「遅くにすいませんっ!」
俺と大将の押し問答に割り込むように勢い任せに開かれた引き戸と、息を切らせた声。
「みっちゃん...みっちゃんはまだ...いますか...?」
その声に、入り口からは死角になっているカウンターの端からノロノロと歩みを進める。
「勇輝......?」
「いた...良かった...遅くなって本当にすいませんでしたっ! 女優さんがすごいゴネちゃって...撮影が全然進まなくて...俺、携帯控え室に置きっぱなしにしてたからメールに気付くの遅れて...それで...それで......」
勇輝の目に、じわりと涙が浮かんでくる。
バカじゃねえの...?
泣きたいのは俺の方だっつうのに。
「何泣いてんだよ...来てくれたんだから、それだけで十分だって」
俺の使っていたおしぼりに手を伸ばし、そっと目元にそれを当ててやる。
「はいはい、まずはビールと適当に旨いモン持ってってやるから、とにかく奥に入りなって」
心底嬉しそうな笑顔の大将が、新しいおしぼりを2本にビアグラスと付き出しの乗ったお盆を押し付けてくる。
俺は深々と大将に頭を下げると、勇輝と並んであの細い通路をゆっくりと歩いた。
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