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花廓心中
幕府と呼ばれた管理者が倒されてどれくらい経ったのか。
大八車が行き交っていた大通りにはいつの間にか自動車なる物が走り、物と人の移動が容易になった時代。
世の中は一気に前時代の物を捨てようとする流れができ始めた。
古い物は使えない、新しい物こそ正義である...
人々は西洋人の服を真似、髪型を真似、そして食事や文化に傾倒していった。
しかし...
どれほど時は移ろえど、変わらないのは人の欲。
あれが欲しい、これが欲しいと求める気持ちは、強くなる事はあれど弱くなる事は決して無い。
その過ぎた欲が生んだのは...
悲劇だったのか、それとも......?
**********
「ゆうき、旦那様のご到着だ。お迎えを」
「旦那様、今宵もようこそおいでくださいました」
「い、いや、毎度話しているだろう。この大仰な出迎えはやめてくれないか」
手の空いている店の者全員での出迎えに首まで赤くした大柄な青年は、自分へと差し出された細く美しい手に荷物を預ける。
堂々としたその佇まいに不似合いな、どこかウブな仕草に『ゆうき』と呼ばれた少年はクスリと笑みを押し殺した。
そのいつも変わらぬ美貌に青年は暫し釘付けになる。
預かった荷物を手にしたゆうきの後に続いて三和土を上がりかけた青年の前に、下卑た笑みを浮かべた初老の男が立ち塞がった。
**********
ここは、いわゆる『男娼の館』
かつては花街の傍らに隠れるように建っていた『陰間茶屋』も、時代が変わった事により随分と華やかになった。
抑え込んだ性癖を満たすだけの場所から、政財界の秘密の社交場へと。
それはこの店だけが特殊なのかもしれない。
いや、この店にいるたった一人の男娼だけが特殊だったのかもしれない。
ともかくここは、いまや政府高官から財界の大物まで、今の国を動かす人間達がしばし使命を忘れ快楽に癒される場所になっていた。
元々青年もこの店を知ったのは、後ろ楯である軍の司令官の一人に連れて来られたのがきっかけだ。
旧知であったその司令官の口添えで貿易商として財を成した父親が、仕事よりも絵を嗜む事にばかり気持ちを向ける彼をその司令官に預けた。
勿論、多額の資金援助と共に。
それは彼の出自に由来する。
本家で大切に育てられた兄はひどく凡庸で、また嫉妬と金への執着に凝り固まった人間であった。
妾の子として生を受け、幼い頃より兄から迫害を受けていた青年は、年を重ねるごとに見目麗しく聡明に育った。
周囲の期待が青年に集まる事を良しとしなかった父親は、青年を金と共に捨てたのだ...醜くも可愛い『唯一の』我が子の為に。
心穏やかな青年に、兄を貶めるつもりも、兄からすべてをうばうつもりも無かったと言うのに。
事情を知る司令官は憐れに思い、せめてもの慰みになれば...とこの館へと青年を連れてきた。
自らが妾の子という事もあってか、青年は男女の営みに対して嫌悪にも近い感情を抱いていた。
子を成すという行為自体を恐れていた。
ならばここならば決して種を残す事も無く、それでいて人肌の温もりを味わえるだろうと考えたのだ。
この店の上客の一人であったその司令官の命という事もあり、青年には最上の男娼があてがわれた。
『ゆうき』
少年とも青年ともつかない危うくも魅惑的な容貌を持つ彼に青年は夢中になった。
見事な歌に踊り、豊富な会話に愛らしい笑顔。
そして何より...誰をも骨抜きにすると噂される性技。
彼の存在こそ、この館をただの廓ではなく秘密の社交場へと変えた。
ゆうきに会いたいが為、海外からの高官までもがお忍びで現れるほどであった。
しかしどれほどの人間が相手であっても、ゆうきは青年が訪れる『水曜日』だけは決して客を取らなかった。
館の主に対しての精一杯のわがままであり、青年に対してのゆうきなりの誠意でもあった。
青年がゆうきに心惹かれたように、ゆうきもまた青年に思い焦がれていた。
物心ついた頃には金で男に体を開くよう躾られていたゆうきにとって、青年は初めて心から抱かれたいと思える相手だったのだ。
いつしかお互いに、水曜日の逢瀬だけを楽しみに生きるようになっていた。
「主よ、話とはなんだ? 俺は早く部屋に上がりたいのだが?」
「大変失礼をいたしました。いえね、ゆうきの一番のご贔屓である旦那様にはお伝えしておいた方が良いかと...」
「勿体ぶるな。ゆうきがどうした?」
「ゆうきが身請けする事になりました」
その一言に、青年の頭がグワンと揺れる。
...ゆうきが...?
...俺の愛しいゆうきが...身請け......?
青年の顔色の悪さに、主はさも面白そうに前歯をニッと見せた。
「ええ、うちでも一番の男娼です。たくさんの旦那様に愛していただいております。それでもね、どうしてもと望まれまして...いやはや、あれほどの金子を用意されるとは、さすが旦那様のお兄様だ」
「な...に? ゆうきを買ったのは...俺の兄だと?」
「左様でございます」
「バカな! アレには男色の気は無いはずだ。家には妻子もいる。何かの間違いでは...」
「いえいえ、間違いなく旦那様のお兄様でございます。なんでも自分に仇成す人間がゆうきに執着しているとかで、その人間の前でゆうきを辱しめ苦しめてやりたいとか何とかと...妾の子供の思い人を自分の妾にするのもまた一興だと、たいそうお喜びでした。勿論この事はゆうきも存じておりますよ」
そこからは主の声は耳に届かなかった。
自分を貶める為だけに、愛する人を辱しめようとしている。
半分とは血が繋がっていないとはいえ、我が兄のなんと愚かしい事か。
この事を知っていながら何も無い顔で笑えるゆうきのなんと忌々しい事か。
そしてそれを阻む術すら持っていない自分の、なんと無力な事か。
青年はただ青い顔で階段を上がった。
**********
「旦那様、お帰りなさいませ。さあ、上着を...」
青年の外套に手をかけようとしたゆうきを、怒りのままに突き飛ばす。
そのままその体にのし掛かると、青年はゆうきの帯を乱暴に解いた。
「旦那様! いかがなさいましたか? どうぞ...どうぞ無体はお止めください」
「無体だと? この俺憎しとお前を身請けし、俺憎しとお前を貪る男こそが無体だろう!」
「旦那様...」
「お前は...俺を好いてくれているのではなかったのか...俺と一緒に年季が明けるのを待っていてくれるのではなかったのか!」
「仕方がないのです...売られてしまえば、私にそれを拒む事は相成りません...」
「なぜだ! なぜなぜなぜなぜなぜ...お前は俺の物ではなかったのか!」
常に穏やかな青年の瞳は、怒りと嫉妬で真っ赤に燃えていた。
綺麗に切り揃えられたゆうきの柔い髪を掴み引きずると、棒切れのように布団へと放り投げる。
乱れた着物から現れる、真っ白な太股。
その上には顔にも体にも不似合いな、赤黒く立派な男の象徴。
そして...そのそばにはできて間もないであろう鬱血が一つ、二つ。
すべてが己の物のように感じていた青年にとってそれは、ゆうきが他の男にも愛を囁いていた証拠のようであった。
慌てて体を起こそうとするゆうきの頬を張り、腰ひもで両の手をグルグルと戒めると、何の前触れもなくいきなり己をゆうきの中に突き入れた。
茫然としたままゆうきの体から力が抜けたのを良い事に、それを労る事もなく思うさま揺さぶる。
青年の怒りに燃える瞳からは涙が溢れていた。
ゆうきの何も映してはいないような瞳からも涙が溢れていた。
「どうして...どうして! どうしてお前は俺の物にならないんだ! どうして...兄なんだ...どうして俺の大切な物を...奪うんだ......」
「旦那様...」
頼りなげな声でゆうきが呼ぶ。
青年を受け止めた場所からは、トロトロと鮮血が滴っていた。
「旦那様、どうか私を...殺してください」
「ゆうき...?」
「年季が明けて、本当に旦那様と共に過ごせればどれほど幸せだったでしょう。私の心はもう、旦那様の物です。けれど器は...この体は、生きている限り旦那様だけの物にはならない。所詮は売り物なのです。どうか信じてください...心だけ...私の心だけはとうに貴方様の物です。私はもう、旦那様以外を受け入れるこんな体は...要らない...旦那様以外は要らない」
繋がった場所がグググと絞られる。
涙を溢すゆうきの首筋に長い指がかかった。
「必ず俺も行く」
「一緒に行ってくれるのですか?」
「お前だけを一人になどするものか。お前のいない世の中で、生きている意味も無い」
首に回された指に力が込められ、強く打ち付けるような律動が激しくなる。
ゆうきは苦しそうに、そして幸せそうに微笑んだ。
「来世は...心も体もすべて...旦那様の物になりたい...」
「ああ、来世こそは...お前のすべてを手に入れる」
「どうか...どうか...見つけてくださいましね...旦那様...」
「名を呼べ...俺の名を...最後に俺の名を呼んでくれ! ゆうきっ!」
「お慕い...しております...みつひ......」
とどめとばかりに中を穿ち、最奥に精の一滴も残さぬと全てを注ぎ込む。
動かなくなったゆうきの口許は、やはり笑っていた。
**********
「は~い、カット! 勇輝、ごめんねぇ。綺麗な肌にこんなに縄目がついちゃったぁ」
「よく言うよぉ。充彦とノリノリで縛り上げたくせに」
「だってさぁ、どんどん勇輝の顔が切なそうで幸せそうで、でもとんでもなくエロエロで止まんなかったんだも~ん」
「はいはい。ここにいる人はみ~んなエロエロです。俺だけじゃないっての。あ、充彦ぉ......」
「ん? どした?」
「......見つけてくれて...ありがとね」
「何言ってんだよ、急に。ま、約束は守ったかな...お前の心も体も、全部手に入れた」
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