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第4の男?【2】
俺の言葉に少しだけ驚いたような充彦は放っておいて、俺は航生に改めてメッセージを送る。
『そのシンって男、関西にいた頃は違う名前じゃなかった? ヤマトかアスカ辺りじゃないかと思うんだけど』
充彦は体をピタリと寄せ、肩口からその画面を一緒に覗き込んできた。
『やっぱり知ってる人だったんですね。そうです、そうです。関西で活動してた時はアスカって名前でしたよ。ゲイビの世界では誰もが知ってる超有名人だったんです、イケメンでイヤらしくてすごく面白いって。そんな人と、まさか俺が共演できるなんて思いませんでした』
『航生、連絡先とか聞いてる? もしなんだったら、明後日誘っといて。俺が会いたがってるって言ったら、どんな用事があろうとそれを断ってでも来ると思うから』
それだけ送ると、スマホをテーブルに放り投げる。
肩口にあったはずの充彦の顔はいつの間にかしっかり肩に乗っていて、顎がちょっとだけ食い込んできた。
「重い、痛い」
「俺が誘ったら断らないとか...何年も会ってなかったわりには、なかなかの親しさだと思うんですけど? 何、航生の時みたいに俺には説明無しなの?」
グッと背後から抱き締められ、それだけで俺の体温が一気に上がる。
......ダメだな、ほんと。
充彦に触られると、そこから溶けていくんじゃないかって錯覚に陥る。
溶けて合わさって、グチャグチャになりたいって願望が抑えられなくなる。
抱き締めている腕に俺の手を重ね、背中の体温に身を委ねた。
そんな俺の気持ちをわかっているように、充彦の唇が柔らかく俺の首筋に吸い付いてくる。
「アイツね、本名は『しんご』って言うの。慎ましいに五に口で慎吾ね。実家はちゃんとあるらしいんだけど結構厳しいみたいでさ...アイツは俺らと違って、完全に真性のゲイでね...その事で家族と揉めて家飛び出してきたんだ」
「んで、ユグドラシルに?」
「なんかね、高校生の時からゲイ雑誌なんかで『オシャレなハッテンバ』としてチラチラ紹介されてたユグドラシルと、そこのボーイだった俺に憧れてたんだって。で、荷物もツテもなんも無いのにいきなり店に押し掛けてきて『働かせてくれ!』って」
放っておけなかったのか、例のごとくオーナーはあっさり慎吾を雇うことにした。
家に帰れない、帰るべき場所が無いって人間を誰もかれも受け入れてしまうのは、良くも悪くもオーナーの癖みたいなものだ。
河野先生の元を離れた俺だって、先生は『売っぱらった』なんて偽悪的に言うけれど、オーナーならば俺が嫌がるような仕事はさせないと確信があったからだろう。
「住むとこは勿論、着替えすら無い状態だったからさ、そのお金が貯まるまでって事で俺の部屋に居候してたんだ。慎吾ね、自分がゲイだって自覚してたのに、男と寝た事無かったんだよ。てか、当然女ともセックスなんてしたこと無かったからね...うちに来た時は完全な童貞でバージン」
「え...それで客取る気だったの?」
「そうなんだよ、バカでしょ~。まあね...学校でいじめられてて、先輩なんかの命令でフェラだけはずっとさせられてたらしいんだけど。彼氏もいた事無いし、ケツ触った事も触られた事も無かったんだよ」
親に自分の存在のすべてを否定され、悔しくて悲しくて『ユグドラシル』に行くことしか考えられなかった...部屋に連れて帰ってやると、慎吾は子供のように泣きじゃくりながら俺に土下座し、自分の非礼を必死に詫びた。
大切に育てたつもりの息子が異性を愛せないと聞かされた親がどんな気持ちになるのか...残念ながら、大切に育ててくれた人なんていないから俺にはわからない。
けれど『存在を否定される』事の辛さの方は、痛いほど理解できるつもりだ。
ただ俺の場合は、生まれてきた事自体を否定されていたようなものだと思うけど。
だから、目の前で泣きじゃくる青年をどうにかしてやりたいと思った。
声高に自分の嗜好を宣言をする必要は無いけれど、それを負い目を感じたままで生きていく必要も無いんだと教えてやりたかった。
そして『ユグドラシル』には間違いなく彼の居場所があり、彼の存在を喜んでくれる人達がいると。
「充彦が気にしたら嫌だと思って言えなかったっていうか...あの時にちょっと言い淀んだのはね...慎吾の初めての男が俺だったから」
「......話聞いてて、そんな気がしたわ。童貞だ、バージンだっつったら喜ぶ客もいるだろうけど...勇輝はそんな初体験させるのが嫌だったんだろ?」
「ん...俺がそうだったから。何人もいた母親の愛人の一人に犯されて、そいつ『母親より良かった』とか言いながら、泣いてる俺の手の中に万札押し込んでったんだよね。俺の体って金になるんだって漠然と思ったよ...そいつ、そのうちほんとに途中から母親より俺に夢中になってさ、毎回毎回すごい金額俺に渡してくるんだもん。で、それに気づいた母親にその金全部持っていかれてさ...俺を抱いてた男を怒る事もしない、抱かれて泣いてる俺を慰める事もしない...『アンタもやるじゃない』なんて褒められたんだよね......」
「それ、いくつの時?」
「13だったかな。中学2年の時だったと思う。昔の事、所々記憶があやふやでハッキリとはしないんだけど」
「うん、そうか...」
充彦は『辛かったな』とも『苦しかったろう』とも言わない。
ただ抱き締める腕に力を込め、黙って首筋への口づけを繰り返してくれた。
「俺にとっては、セックスイコール金でしかなかったんだよね。でも、そんな俺を大切にしてくれた河野先生やユグドラシルのお客さんなんかのおかげで、相手の事を大切に思い合うセックスは気持ちがいいって知る事ができたんだ」
「だから彼にも、ちゃんとしたセックスを教えてあげたかった?」
「うん。もっとも、俺誰も本気で好きになったことなかったんだから、本当の意味での『愛あるセックス』は教えられるわけなかったんだけどさ」
愛する人とのセックスの快感も、幸福感も、すべて充彦が教えてくれた。
充彦に会わなければ...充彦が俺を選んでくれなければ...今頃俺は、どこで何をしていたのだろう。
「やり方教えてあげたらさ、まあ覚えるの早い早い。もう親に遠慮しなくてもいいって生活がよっぽど嬉しかったんだろうね...元々話上手で明るい奴だったから、すぐに馴染みのお客さんが付くようになったよ」
「なるほどね...それでユグドラシルのNo.2って呼ばれるまでになったんだ?」
「うん。でもね、結局アイツが店に入って1年もしないうちに...店無くなっちゃった。すぐには生活に困らないだけの金を渡したとは聞いてたけど、大切な居場所が無くなっちゃったアイツのこと、結構心配してたんだよね」
「でも、ちゃんと関西に拠点移して自分の居場所見つけてたわけだ?」
「関西には絶対に帰りたくないって言ってたから、完全にノーマークだったわ...2丁目のバーとかこっちのゲイビの俳優とかは時々チェックしてたんだけどね」
「最初の男としては、多少なりとも気にしてたんだ?」
「兄貴分として心配してただけ!」
気づけば俺の体は充彦の体の上に引き上げられていた。
服の中に忍び込んできた手の動きは苛立ちや不愉快さを感じる事はなく、慎吾に対して無用な嫉妬をさせていない事に安堵の息を吐く。
「あ、そういえばさ...」
俺の欲を高めようと明確な意思を持って胸の先を捏ねていた指の動きが不意に止まる。
「さっき航生に送ってたじゃん、『関西にいた頃の名前はヤマトかアスカじゃないか?』って。あれ、なんでわかったの?」
「ああ、あれね...」
俺はかつて慎吾が、さして興味の無い俺に向かって必死に熱弁を奮っていた姿を思い出した。
自然と笑みが込み上げてくる。
「うちの店での源氏名決めようってなった時にね、アイツ即座に『キラがいいですっ!』って言ったの。理由聞いたらね、アイツの大好きなアニメの主人公の名前だって。で、俺が適当に『ふ~ん、面白そうだね』って言ったが最後、レンタルでそのアニメ全巻借りてきやがってさぁ...今回ビー・ハイヴでの名前が『シン』て言ってたから、こりゃあこれまでもそのアニメのキャラクターの名前名乗ってんじゃないかと思って。あまりにそのまんま過ぎて、ちょっと可笑しくなっちゃった」
止まっていた指が、ゆっくりと動きを再開する。
俺は素直に甘え、背中の触れ合っている部分に更に体重をかけた。
俺の髪に首に耳朶に、どこまでも優しい充彦の唇が降ってくる。
とんでもないお仕置きでも待っているのかと思っていたけれど、どうやら今日はとことん甘やかしてくれるつもりらしい。
「店辞めてからの俺ね......」
「ん...」
「すごい幸せだったんだ...怖くなるくらい。こんなに幸せでいいのかって」
「うん、そっか......」
「慎吾は...幸せだったかなぁ...少しは...幸せな時間過ごせたかなぁ...」
「今度本人に聞いてみな、ちゃんと。でもさ、航生いわく『明るくて優しくて素敵な人』だったんだから...少なくとも不幸ではなかったと思うよ」
目尻に一度ギュッと唇を押し当てられたと思った途端、俺の体がフワリと浮いた。
焦る暇も慌てる隙もなく、充彦が俺を横抱きにして立ち上がる。
「ちょっ、何!」
男の体を抱えておいて、充彦は顔色一つ変わらない。
細身のわりに馬鹿力のこの男に、俺は落とされまいとギュウとしがみついた。
「幸せにしてやる」
「え?」
「今日も明日も明後日も、これからもずっと...俺のそばで幸せにしてやるから」
「充彦...」
「最高に気持ちいい夜と、最高に幸せな朝を...俺とこれからもずっと過ごしてよ」
「......これ以上気持ちよくて、これ以上幸せなんて、神様に怒られちゃいそうだね」
俺が素直に充彦の首に腕を回すと、充彦はそれこそ『最高に』いやらしくて、でも堪らなくチャーミングな笑顔を浮かべながら、そのまま寝室へと向かった。
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