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第4の男?【3】

夕方前には仕事を終え、台所でバタバタしていた俺のスマホが鳴る。 少しだけ濡れた手を拭いてそれを取れば、充彦と航生からほぼ同じタイミングでLINEのメッセージが届いていた。 『今終わったよ。これからアリちゃん連れて帰るけど、何か買っていく物ある?』 『シンさんと合流しました。いくつかおつまみになりそうな物は持ってきたんですが、他に何か買っていく物はありますか?』 一先ず航生には何もいらないと送り、充彦にはアルコール度数の低めの甘い酒を買ってきて欲しいと頼む。 チラリと時計を見て、全員の到着時間を考えながら『もう一頑張り!』と改めて袖を捲った。 ********** ダイニングテーブルのセッティングをしているところで、まずは充彦がアリちゃんを伴って帰ってきた。 「アリちゃ~ん、なんか久しぶりの気分だぁ」 ニコニコ笑いながらその細い体をキュッと抱き締めると、アリちゃんも俺をギューッと抱き締め返し、頬にチュッチュッとキスしてくる。 「ほんと、なんか久しぶりぃ。話には聞いてたけど、勇輝くんマジでちょっと痩せたね。大丈夫?」 「うん。写真集の関係でわざと筋肉落としただけだからなんともない。腰以外は元気元気」 「あははっ、腰だけは相変わらず毎日ガクガクなんだぁ」 俺とアリちゃんが話してる間に、今度は急いで手を洗ってきた充彦がキッチンに立つ。 そちらは充彦に任せ、俺はアリちゃんに椅子を勧めるとアイスティーを差し出しながら隣に座った。 「ほんとにお邪魔して良かった? 二人とも忙しいんじゃないの?」 「とりあえず写真集の撮影は終わってるし、大丈夫だよ。ビー・ハイヴと専属契約してからは、前みたいに現場の掛け持ちとか無くなってるからそんなに忙しくもないし。ビデオの出演自体が減ってるからね」 「でもその分、他のメディアでの仕事増えてるじゃない、二人とも。なんか遠い存在みたいに感じちゃいそう。でもまあ...もうすぐほんとに遠い存在になるんだけどさ」 アリちゃんの目がちょっとだけ寂しそうに伏せられた。 いつも元気な彼女のそんな様子が珍しくて、そっとその頬に触れる。 「何かあった?」 「......アタシね、近いうちにAV引退しようと思ってるの」 「へっ?」 俺だけでなく、どうやら現場でもそんな話を聞いてなかったらしい充彦も台所から間抜けな声を上げた。 「本気? ってか...いやっ...えーっ!? 急にまた、なんで......」 少し震える声を隠せないままで尋ねると、アリちゃんは俺を安心させるように微笑みながら優しく頭を撫でてくれる。 「アタシね、大手の事務所抜けて自分の個人事務所作ったじゃない?」 「うん。だから俺も充彦もアリちゃんには無理をお願いしやすかったんだけど...わりとギリギリでも融通利かせてもらえるし」 「実はさ、他の会社での仕事って、今はほとんど仕事無いの。だから時間でも内容でも、二人の無理ならいくらでも聞いてあげられるんだなぁ。ほら、若い子もいっぱい出てきてるし、アイドル上がりの女のも増えてるじゃない? そうなるとアタシ、これって売りが無いんだよね...別にオッパイ大きいわけでもないし。ビー・ハイヴさんとこの仕事無かったら、ほんと開店休業の状態」 ちょっと意外だった。 アリちゃんは、演技に関しても人柄に関しても、現場での評判が抜群にいい。 ネットなんかの作品レビューなんかを読んでみても、『胸は小さいけど、体も反応もわざとらしさがなくてとても綺麗』と特に女性からの評価が高かった。 まだまだ確実に売り上げの見込める人気女優の一人と言ってもいいはずなのに...仕事が無い? 「あ、あの...なんだったら俺らで仕事の口利いて...」 「ううん、違うの。アタシね、積極的に仕事もらいにいかなかったの。寧ろ意識して仕事減らしていったっていうか......」 「どうして? この仕事、辛くなった? 何か嫌な事でもあったの?」 充彦もエプロンを着けたままでダイニングに入ってくる。 俺と充彦と、それぞれ片方ずつ手を握りアリちゃんをじっと見つめた。 「実はアタシ、結構長いことね...『友達以上、恋人未満』で、ただの『セフレ』って呼ぶには思い入れが強過ぎる相手がいたの」 「うそっ、そうなの? いっつも『アタシと付き合って』とか言ってたくせにぃ」 「うふっ、そんなの勇輝くんが断るのわかってたもん。アタシね...ほんとはずっとその人の事が好きだったの。向こうもアタシのそんな気持ち知ってるはずだったんだけどね、『まだ仕事で結果残してないし、今は本気の恋人作る気になれない』とか言われてて...まあ、アタシがどれだけハードな内容のビデオに出ようが誰とセックスしてようが、良くも悪くも全然態度変わらないからさ、だったらまあずっとこのままでもいいかって諦めてたんだ」 「それって...都合よく遊ばれてるだけなんじゃないの?」 「相手に他の女の影は?」 「それを感じてれば、もっと早いうちに諦めてたんだろうけどね...アタシが落ち込んでたりしたら仕事放り出してでも慰めにきてくれるし、たいがいいつでも連絡つくし、アタシ以外と遊んでる気配は無かったんだなぁ、これが」 「話聞いてる感じだと、アリちゃんの事普通に彼女としか思えないし、なんかすごい大切にされてるっぽくない?」 「でしょ? だから、期待しててもいいのかなぁとか思っちゃうじゃない? ところが、『好きな人ができたら、いつでもそっちに行っていいから』なんて言うんだもん」 それは...その人が自分に自信が持てなかっただけなんじゃないだろうか。 仕事に対してなのか、アリちゃんの生活まで背負わなければいけないという事に対してなのかはわからないけれど。 だから『自分の仕事』にプライドを持って必死で体を張っているアリちゃんを束縛できなかったって事ではないのか? 「そんな彼がね、最近ようやく言ってくれるようになったの...『納得いくまで仕事して満足できたら、その時は俺の所来るか?』って。そんな風に言われたらね、なんだか仕事するのが少しずつ辛くなってきちゃって」 「え? それって...」 アリちゃんがなぜか、真っ直ぐに充彦を見た。 「仕事で出会ったあるカップルがすごく素敵でね...特に、男性の方には、これから一生今の仕事を続けていく自信が付くような大きなチャンスを貰った上に、好きな相手を大切に思う気持ちの強さを教えてもらったんですって」 「うん、そうなんだ?」 「そう。それでね、この間彼が仕事で行ってた京都から帰ってきたその足でアタシのとこに来て言ってくれたの、『俺がお前の一番の居場所になる。だからもう現場に戻るな』って」 「......京都から?」 俺の問いに、アリちゃんは何やら意味深に笑う。 充彦は急いでスマホを取り出し、どこかに電話をかけ始めた。 「もしもし? どうも、お疲れさまです。大切な話がありますんで、添付する地図のマンションまでダッシュで来てもらえます? しかし...撮影の時にもたいがい狸だと思ったけど、よくもまあ俺ら担いでくれたよね。とりあえずあなたの大切な人人質に取りましたんで、急いで来てくださいね」 充彦の苦笑いを見ながら、俺とアリちゃんは顔を見合わせる。 「おめでと、アリちゃん」 「うん、ありがと。仕事辞めても、ずっと友達でいてくれる?」 「勿論じゃん。俺らが一番頼りにしてる大切なお姉さまなんだよ? これからもずっとずっと友達!」 「勇輝、料理増やすぞ。んで俺、ちょっとお祝い用のシャンパン買いに行ってくるわ。すぐ来るってさ。黙ってた事に文句言ってやる!」 文句云々言いながらもひどく穏やかな顔をして部屋を飛び出していく充彦に、俺とアリちゃんで仲良く手を振った。

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