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決断した者、決断させた者【充彦視点】
急いで近所のワインショップに出かけ、悩んでる時間も無いからとドンペリの白を2本買った。
スパークリングワインを手にしている以上走るわけにもいかず、あまり荷物を揺らさないようにしながらいつもより歩幅を大きくして進む。
『キッチンの床下に銅製のワインクーラーあるから、それだけ用意しといて』
元バーテンダーの勇輝には蛇足なお願いかとも思ったが、アリちゃんとのガールズ?トークに花を咲かせてて忘れる可能性もある。
念の為のメッセージを送り、冷蔵庫で冷やしてあるケーキに追加のデコレーションができないものかとグルグル考えていた。
マンションの前までようやく戻ってくると、ゲスト用のフリーパーキングに見覚えのあるミニクーパー。
思っていたよりもずっと到着が早い。
急いでエントランスを抜けると、オートロックの前でボタンを押そうか押すまいか逡巡する見慣れた後ろ姿があった。
「お疲れさまです」
背後から俺がかけた声に、その背中は吹き出してしまいそうなくらい大袈裟に跳ねる。
「ども。お疲れさま」
振り返り俺に向けられた顔は、見たことがない程真っ赤になっている。
俺達のAV並みの絡みを目の前でさんざん見ながら顔色一つ変えなかった人が、うちのマンションの部屋番号を押すかどうかでこんなに赤くなっている事実がたまらなく可笑しい。
「ずいぶん早かったんですね」
「......あ、ああ...うん...たまたま車で外に出てた...から...」
こりゃあ、違うな。
うちにアリちゃんを招待したと聞いて、お開きになったと連絡をもらったらすぐに迎えに来られるように車で近くまで来ていたんだろう...きっと。
「上がらないんですか?」
「あ、いや...ほら、部屋でタバコ吸えないだろうし...ちょっとここでタバコ吸っていこうかと思って......」
「飲んでる時は勇輝吸いますから、部屋でも吸えますけどね。じゃ、もうちょっとここでタバコ吸いながら話でもしましょうか?」
まだ部屋まで来るだけの気持ちが整っていないのだろう。
俺は手招きをして住人用の駐車スペースへと連れて行く。
備え付けの灰皿を挟んで、俺達はいつかのように壁に背中を預けた。
「なんで黙ってたの?」
「まあ...別にさ、仕事の現場で改めてこっちから話す事でもないでしょ?」
「それもそうか...でもさ、AV観ないから俺らの事とかほとんど知らないなんて言ってなかったっけ?」
「だってあれはほんとの事だもん。元々そんなに観る方じゃなかったんだけど、アイツと知り合ってからは余計に観なくなった」
ポケットからいつものボックスを取り出すと、また慣れた様子でそれを口に咥える。
隣から俺も手を伸ばすと、ちょっとだけ笑いながら俺の方に箱を差し出してくれた。
「みっちゃん、タバコ吸わないんでしょ?」
「止めてるだけ。今は中村さんにお付き合い」
「そっか...」
自分のタバコに火を着けると、俺にジッポーを渡してくる。
ライターを借りて先に火を灯すと、久々に胸の中に煙を溜めた。
「もしかして、きっかけって...俺ら?」
「ん、まあね......」
吸い込んだ煙を吐きながら、中村さんは少し遠い所を見ていた。
それは場所ではなく、記憶の中の何かなのだろうか。
「知り合った時からさ、アイツもうAV出てたんだ」
「まあ、そこそこベテランだもんねぇ」
「たまたま馴染みのバーが一緒で、いつの間にか時々話とかするようになってたんだよねぇ。俺、別にAVだろうが風俗だろうが偏見は無かったし、アイツってああいう性格でしょ? 一緒にいるの楽しいな、気持ちいいな...って知らないうちに思うようになってた」
「アリちゃんの性格の良さは、業界でもピカ一って言われてるもん」
「好きになってたんだ...いつの間にか...ほんと、いつの間にか自然に。んでね、酒に酔ったふりして部屋に誘ったらさ、アイツあっさり着いてきやがんの。すごい勝手なんだけどさ...ほんと俺の身勝手な言い分なのはわかってんだけどさ...あの時は断って欲しかった。『ああ、AVなんて出てる女はやっぱり尻軽なのかな』なんて思っちゃったんだ」
「うわぁ、それはほんと身勝手だわ。でもその時、結局ヤる事ヤってんでしょ」
「ヤったヤった、ほんと死ぬほどヤりまくった」
なんて言い方するんだと俺が笑えば、中村さんも開き直りながらも苦しそうな顔で笑った。
まだそれほど吸ってもいないタバコを灰皿に押し付けると、落ち着かない様子ですぐに次のタバコを咥える。
「アリちゃん、中村さんの事が好きだったから、単純に誘われたのが嬉しかっただけでしょ?」
「だと思うよ...今はね。でもさ、あの時はそうは思えなかったんだよ。だからどうしても『好き』って口には出せなかった。どうせ俺なんてセフレの一人なんだろうなとか考えちゃって」
「もしかしてさ...AV観なかったのって...ヤキモチ妬いちゃうから?」
俺の質問に答えはなかった。
まあ、真っ赤になった首が答えを教えてくれていたけど。
「実際さ、かなりの金額を稼いでるアイツと比べたら、その頃の俺なんて本業で稼げる金なんて知れてたんだよね。写真だけでは食えないから、写真の専門学校で講師のアルバイトしてどうにか生活できてる感じだったし、そんな自分がアイツの事を本気で受け止めてやれる自信も無かった」
「岸本さんとこであれだけ仕事してて?」
「いや、岸本さんに会ったくらいから、どうにか写真だけで生活できるようになったかなぁ。それでもアイツの稼ぎからしたら半分以下だからね。相変わらず自分に自信は持てなかったし、何より...俺が撮りたいのは洋服じゃなくて人だったからさ、自分の仕事にも全然納得できてなかったのよ」
最初に会った頃に俺が感じた『野心』のような物は、強ち間違ってはいなかったらしい。
人を撮りたいと願っていた男が、幸か不幸か俺達を撮ることになったのだ...それはこの人にとって、何よりのチャンスだったんだろう。
「みっちゃんと勇輝くんてさ、まあ言ってみれば世間的には偏見の塊みたいなもんじゃない? AV男優なんて仕事してる上に、熱烈同性愛カップルでしょ? でもね、二人とも自分達の仕事に対してのプライドもすごいし、お互いへの思いもほんと熱くて深いじゃない。俺、撮影終わってから軽く凹んでたわけよ。んでさ、初めてアイツのビデオ観たの、その時」
「どうだった? 可愛くてエッチだったでしょ?」
「そうだね。まさしく『体張ってる』って思った。見せる為のセックスしてるんだなぁって。でも、それと同時にね...俺に夜見せてる顔と全然違ってる事に驚いた」
「そりゃあ、仕事だもん。派手にヨガルでしょ」
「じゃなくてさ、俺としてる時の方がずっといやらしくて可愛いと思ったんだよ」
「お~お、言ってくれるねぇ...で、それがなんでなのかがわかったんだ?」
「うん、わかった。二人に会えたおかげでそれに気づけた。おまけにさ、みっちゃんには...俺の新しい仕事の可能性ってチャンスまでもらっちゃったんだよね」
「別に俺はなんもしてないよ。中村さんとならいい仕事ができると思っただけだし。それ言うなら、俺も中村さんに新しい仕事貰ったからね」
ふと、DVD用のインタビュー撮影の後の事を思い出した。
カメラも回さない中、俺に向けられたのはわざわざ聞く必要もないはずの質問。
「そうか...それで俺にヤキモチがどうのとか、今のままでいいのかとか質問したわけだ。あれは俺への質問のふりをしながら、自分の背中を押してもらいたかったって事?」
「二人と仕事してからね、アイツへの自分の気持ちを素直に認められるようになったんだ。だからさ、『やれるだけやって満足したら、俺のとこに来い』とは言ってたの。で、それを言った途端アイツさ、絡みの仕事がどんどんできなくなったんだよね...聞いた?」
「うん、ちょっとだけね。だんだん仕事が辛くなってきて、俺らからのお願い以外は断るようになったって」
「潮時だと思ったの。もう辞めていいんじゃないかって。でもさ、今のみっちゃんて俺とちょっとだけ立場似てるじゃない? だから、本番を続けてる勇輝くんに対してみっちゃんがどう考えてるのか、本音が聞きたかった。『今のままでいいとは思ってない。自分の隣が一番の居場所だって丸ごと信じてもらえるようになった時が引退』って言ってたろ? アイツが『仕事辛くなってる』ってわかって、みっちゃんからその言葉聞いて...もうアイツの居場所は現場じゃないって思ったんだよね......」
京都から帰って、その足でそんな思いをアリちゃんに伝えに行ったと聞いた。
今はポーカーフェイスを装ってはいるけど、きっとアリちゃんを前にした時には、さっき俺が声をかけた時以上に真っ赤になっていたんだろう。
「引退してもさ...きっと偏見は付いて回るよ?」
「わかってるわかってる。何もかもわかった上で、丸ごと俺がアイツを守ってやろうって腹を括るのにも...ちょっとだけ時間かかった。もう揺るがないけどね」
突然俺のポケットのスマホが震えた。
中村さんの方も同じらしく、ほぼ同時に画面を開く。
「待ってるねぇ」
「ああ、待たせてるね...ま、俺もっと長い時間アイツ待たせてきたからさ、これくらいはなんてことないだろうけど」
「バカだなぁ。待たせたからこそ、もう待たせちゃダメなんじゃん」
俺は下に置いたシャンパンを持ち上げる。
「あ、今日は絶対飲ませるから、車なんて運転できないよ。泊まっていってよね」
「はははっ、隣の部屋でアンアンはやだよ」
「チッ、なんでそんな話を知ってるかなぁ......」
「俺ね、写真だけじゃなくて映像の方もいけるってなったらさ、改めてビー・ハイヴさんから仕事の依頼をいただきまして。実は今度航生くんのイメージDVD撮ることになったんだよね。で、編集中のエクスプレス見せてもらっちゃった」
「航生もなんか順調に仕事増えてんね...アイツの事もよろしく」
「まさかの今日、初顔合わせだよ。ちょっと緊張するわ」
「平気平気、悪いヤツじゃないし。んじゃ、お互い姫様のご機嫌損ねないうちに部屋行こうか」
二人並んでエレベーターホールに戻る。
1階にランプが点くのを待っている間、俺達は特に話はしなかったけれど...だけどなんだか、ちょっと幸せな気分だった。
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