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前を向け【3】

  「はいよ、お待たせ~」 結局どれくらい待ったのか。 ぼんやりと時計を見ていると、無駄に明るい声と共にドアが開いた。 バッチリ後ろに向かってポマードか何かで艶やかに撫で付けた黒髪に、今時まだこんなの売ってるのか!?って感じのダブルのスーツ姿。 顔はかなりの男前なのに、着てる物のせいかそれとも本人が纏うオーラの為か、ビックリするほど胡散臭い...これがうちの事務所の社長だった。 「いきなり悪かったなぁ、正月に呼び出しなんかかけてよ。驚かせちまったんじゃねえか?」 「ああ、まあ...多少は」 決してガラのよろしくない雰囲気をプンプンさせ、しかし本人なりには精一杯の愛想のつもりなのか、ニカッと前歯を見せてきた。 さすがに今は随分慣れたけど、初めて会った頃はこのわざとらしい作り笑顔と雰囲気が少し怖かったんだよな... 社長はドカッと俺達の向かいに腰を下ろすと、そんなに必要か?ってくらい股を広げる。 もし全裸ならM字開脚だ...なんてうっかり考えてしまい、おまけにその姿まで想像しそうになって慌てて頭を振った。 「失礼しま~す」 気の抜けた声と共に、川島さんが入ってくる。 「で? バナナジュースどっち?」 「...へ?」 「だからぁ、バナナジュースどっちが飲むのぉ?」 「あ、ああ...俺です...」 「はいは~い。じゃあ、どうぞ」 おずおずと右手を挙げた俺の前には、いい感じに氷の粒の残ったバナナジュースが置かれる。 そして充彦の前には、たっぷりと生クリームが絞られたコーヒーカップ。 「え? もしかして、わざわざ買ってきてくれたの!?」 「ん? 違うよ~、作ったの。不味くても返品不可だからね~。で、社長はぁ...」 一際綺麗なグラスに入った、紫の液体をそっと置く。 「はい、お気に入りのカシスジュース。今日は炭酸で割ってみました」 「おう、いつも...ありがとな」 不意に社長が川島さんに笑顔を見せた。 へえ...あんな顔で笑えるんだ。 これまで見たことがないくらい、穏やかで自然で優しい微笑み。 それに会釈を返すと、川島さんは静かに応接室から出て行った。 「さてと、んじゃ本題行こうか」 さっき一瞬見せた顔が嘘のように、社長の表情がいつもの少し下卑な笑いに変わった。 いよいよか...と、俺も充彦もちょっとだけ背筋を伸ばす。 「いや、ちょっとな、二人の今後のスケジュールってやつを話しておこうかと思って」 「は? スケジュール!? そんなの今までちゃんと話したことなんて無いし、急ぎの仕事が入ったところでいっつもメールか電話で済ませてたじゃないですか。ダブルブッキングになんないかって、俺らが自分でちゃんと調整して...」 「だーかーらー、改めて話がしたいからってわざわざ事務所まで呼んだんだろうが。つかなぁ、お前ら自分の所属事務所をなんだと思ってんだよ。ダブルブッキングになんざなんねえように、ちゃんとこっちでもお前らの予定くらい把握してるっての。給与計算の問題もあるから、どこの会社からも事前事後で連絡入るようにはなってんだよ」 「いや、でも...」 「あー、もういいからちょっと黙れ。それから、これから話すスケジュールについては契約済みの決定事項だから。あくまでもお前らには報告だけで拒否権はねえぞ」 「ちょっ、ちょっと! なに、それ! そもそもなんで俺らがそんな横暴な話...」 食ってかかろうと少し腰を上げたところで、充彦の腕が軽く俺の肩を押さえた。 「勇輝、落ち着け。反論はとりあえず社長の話を聞いてからだ。何の考えも無しに一方的に話を進める人じゃないから」 「ほんとに充彦は冷静でイイ子だねぇ。さすが俺の事がよ~くわかってるわ。ったく...勇輝もちったぁ見習えよ。お前、普段は過ぎるくらいおとなしいくせに、仕事と充彦の事になったらキレるの早すぎ」 確かに、以前ホームページの有料化を巡って社長の胸ぐらを掴んだ事があるだけに、ヘラヘラと俺を嘲るような言葉に言い返す事もできない。 チッと聞こえるように舌打ちをして、俺はドスンとわざと音を立てて座り直した。 そっぽを向いた俺の代わりに、充彦がきちんと話を聞こうと少しだけ前のめりになる。 「今度な、お前ら二人で雑誌のヌードグラビアやってもらう事になった。あ、そこそこハードな絡み有りな」 「ヌードグラビア...二人でですか?」 俺ら二人? それもヌードに絡みだ!? クッソ...守銭奴が。 とうとう俺らをゲイ雑誌にでも売りやがったのか。 ゲイ物に出る事が恥ずかしいとか嫌だとかじゃない。 この仕事以降は、どう考えても次から普通のAV出演が敬遠される事になるからだ。 同性愛をカミングアウトした時にあれだけ大変だったのを忘れたのか... 社長の言葉に驚き、イラついたのは充彦も同じだったらしい。 普段よりもトーンの落ちた声で社長に静かに詰め寄る。 「立場的に中途半端な俺はともかく、勇輝は現役バリバリのトップAV男優ですよ? ゲイ雑誌に絡みで載ったりなんかしたら、今後普通のAVの仕事に支障が出るじゃないですか。それとも、俺らに今後はゲイビにシフトしていけって意味ですか?」 「俺、やだからね。充彦以外の男と絡むとか死んでもやらねぇ。そんな事するくらいなら、もうすっぱりAV辞めるわ」 「おいおい、誰がゲイ雑誌っつったよ」 顔色を変える事もなく、社長はカシスソーダを啜りながらニヤリと笑う。 「いいから最後まで聞けよ。あと、さっきも言ったけどな、内容がどうだろうとお前らに一切拒否権はねえから」 近くにあったラックに手を伸ばすと、社長が一冊の雑誌を放り投げてきた。 それは、誰もが耳にした事のあるだろう超大手出版社が出している人気女性ファッション誌。 意図がわからず訝しげにそれを手に取る俺達に、社長は話を続けた。 「その雑誌のライバル誌が、時々セックス特集組んで売り上げ伸ばしてんのは知ってるよな?」 「そりゃあまあ、勿論。俺らも他人事じゃないですし」 定期的に掲載される人気雑誌セックス特集。 女性の理想のシチュエーションや男女の意識の違い調査、そしてイチオシのセクシー俳優による実演擬きの濃厚なラブシーンやヌードフォトが話題になり、毎回その号は増版がかかると言われる人気企画だ。 AV男優の現在のようなアイドル化が進んだのは、その特集がきっかけだと言われている。 実際、女性向けAVってのが定着したのもその特集以降だし、記事の中にはアイドル男優の筆頭として俺や充彦の名前も頻繁に登場していた。 「知ってるなら結構。ここんとこな、ライバル誌に売り上げで水をあけられた形になったこの雑誌が、今回起死回生謀って本格的にメイルヌードの別冊を発売することになった。で、目玉のグラビアとインタビューが...お前ら二人だ」 俺らが...こんな有名な雑誌の...そりゃあ別冊にしたって...こんなデカイ出版社の本で...ヌードでメインだぁ!? 思わず充彦の方を見る。 充彦も口をポカンと開けたまま、ビックリするくらいバカっぽい顔をしていた。 「まだ驚くには早い。それだけじゃねえから。その別冊の更に別冊って形で、写真集出す事も決まった。なんでも、あの度会馨が撮影してくれるらしいぞ」 度会...馨ぅ!? 芸能だのファッションだのに疎い俺ですら名前は知ってる。 男女を問わず、裸を撮らせたらその美しさとエロティックさでは現在右に出る者が無いって言われてる、世界的にも有名な女流カメラマンじゃないか! そんな人が、ただのAV男優の写真を...撮る!? 「いやいや、それって...ほんとですか? なんかヤバかったり怪しかったりって儲け話に引っ掛かってません?」 「バカか。ちゃ~んと向こうの本社ビルまで行ってきたし、度会馨と握手もして契約書交わしてきたっての」 「だ、だって...な、なんでそんな...いきなりわけのわかんない話に...ちょっと話が大きくなりすぎて意味がわかんないですってば!」 「うるせえなぁ。とにかくこれはもう決まった話なんだよ。とりあえず、雑誌出てからじきに写真集も発売になる。その後は宣伝の為にテレビやらイベントやら、ガンガン出演してもらうからな。あ、忙しくなるから、スケジュールはこっちで完全に押さえるぞ。AVの仕事もちょっと控えるし、現場の口約束で次の仕事入れるのも当然無しだ」 「そんな、勝手な...だいたい、俺は華やかな場所には......」 「うるせえ、黙れ。んで、こっからがほんとの本題だ」 社長が再びソーダに口を付け、少し唇を潤す。 微かにグラスを持つ右手が震えているように見えるのは...俺の勘違いだろうか? 「宣伝活動、イベントその他が全部終わる今年一杯をもって、みっちゃんこと坂口充彦には...AVを完全に引退してもらう」 社長のその言葉に、冷静を装っていたはずの充彦の顔がみるみる青ざめていった。

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