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大阪ストラット【2】
「ここからチェックインを終わらせたら、私達と皆さんは別行動になります」
「あれ? そうなの?」
充彦が目の前のお好み焼きをつつきながらじっと斉木さんを見た。
時々恨めしそうな目で、壁に貼られた『冷たい生ビール、有ります』のポスターを眺めている。
その手の中にあるのはウーロン茶...俺も、航生も、当然慎吾も。
担当さん二人は、『ベロベロにさえならなければ飲んでくれて構わない』と言ってくれた。
目の前にはソースを甘く焦がすお好み焼きに、謎の食べ物『とんぺい焼き』、更には旨いと評判らしいもつ煮に唐揚げがズラリと並んでいる。
こんなもん、『飲め』と言っているようなものだろう。
外界の暑さから逃れ、ここはまさに冷房天国。
おまけに世間はみんな働いている時間...正直、これほど体も気持ちも満たされる贅沢な生ビールはなかなか味わえない。
し~か~し~!
俺達がビールを頼もうとすると、ビックリするほど弱いくせにアルコール大好きなバカも同じくビールを頼もうとしやがった。
航生が俺達に気を遣ってか『自分はお茶で相手する』と説得にかかったのだが、『勇輝くんだけ飲むとかズルい』だのなんだの駄々を捏ねられて......
なんなら勝手に飲ませて酔い潰してやっても良かったのだけど、今はとにかく場所が悪い。
残念ながら、慎吾がいなければ俺達の機動力は一気にガクンと低下する。
なんせどこに行くにも地図を広げ、道行く人に尋ねながらでなくては身動き一つ取れないのだから。
というわけでここは俺も充彦も泣く泣くビールを諦め、喉を潤す為だけにウーロン茶で乾杯したというわけだ。
夜は斉木さんが宴席を用意してくれているというから、それまでは我慢するしかない。
「私は、ここから直接メディア館と、夜の場所を貸していただいてる『アズール』に行って打ち合わせしてきます。ほら、明日の為にみんなも後から荷物搬入するでしょ? ビー・ハイヴの関西支社のスタッフも、斉木さんの所からの応援も合流して座席の設営しないといけないし、先に手順の確認だけでもしとかないとね。今日と明日は完全にうちで貸し切りにしてるので、いつでも見に行ってもらって大丈夫だから。うちのスタッフが鍵も預かる事になってるし」
おそらく通常のファンイベント...それも無料のイベントにここまでやる会社も人間もいないだろう。
すべては俺と充彦が突き付けた無茶な企画を実現する為だ。
商売っ気がゼロだとは言わないし、明日は物販も一応あるのだけれど、決して今回のイベント費用を全て賄える事にはならない。
『ファンの方を大切にしたい』という俺達の気持ちをこれほどまでに汲んでくれるこのビー・ハイヴという会社に本当に感謝した。
「私の方は、うちの出版社からの応援部隊に指示だけ出したら、ちょっと写真集の営業でテレビ局回りしてきます」
「......はぁ? テレビ?」
「何を驚いてるんだか。とりあえず在京キー局からは、深夜帯だけどオファーずいぶん来てるのよ? 関西でも、深夜放送の番組でいいから宣伝コメント流してもらえるように交渉しないと」
「それって...当然、地上波の話をしてるんだよね? CSじゃなくて?」
「当たり前じゃない! 度会先生がメイルヌード撮ったってだけでも話題性十分なのよ? あなた達、度会先生ナメてんの? ちなみに、写真集の発売日当日には握手会とマスコミの囲みもあるからね。度会先生、あなた達と一緒ならカメラの前に出てもいいって言ってくれてるんだから...ほんと二人とも、先生に愛されてるわねぇ」
これまでどれほど写真集が売れようと話題になろうと、マスコミの前には出ようとしなかったというルルちゃん。
それがインタビューを受け、密着取材を許可し、今度は発売当日のイベントまで出て囲み会見に付き合ってくれるのだと言う。
愛されてる...本当にそうだ。
ルルちゃんは、何が何でもこの写真集をヒットさせようとしてくれている。
それはおそらく...充彦の花道だから。
ルルちゃんが必死である以上、出版社側もこの企画を失敗に終わらせるわけにはいかない。
だからこそこうして、斉木さんが大阪に同行してイベントのサポートまでしてくれているのだ。
「まあ地上波なんてちょっと緊張するかもしれないけど、年内はとにかくその辺我慢して頑張って。最低でも3回は増刷かけたいのよ...みっちゃんの為にもね」
俺達は今回、1撮影いくらという固定のギャラでの仕事はしていない。
モデル料プラス印税が入る契約にしてもらったと社長は言っていた。
つまり俺達が今後、どれくらいの金を掴むのかは写真集の売上次第。
そしてその印税が充彦の退職金代わりなのだと...どうやら斉木さんは知っているらしい。
「なんか本当に...本当にありがとうございます...」
「何言ってるの。これはビジネスよ、ビジネス。あなた達を担当することになって、アタシいい事だらけなの。二人のおかげで、これまで散々うちのオファーを断り続けてた度会先生が動いてくれた。二人に会った事で少し伸び悩んでいた中村くんは新しい才能を開花させた。そして、次世代のメンズモデルである航生くんと慎吾くんにもこうして会わせてくれたわ。あとはもう、写真集が売れれば言う事無しよね」
「......精一杯頑張ります。皆さんの期待に、必ず応えてみせますから」
改めて俺達を取り囲む環境がどれほど幸せなのかを実感する。
中村さんに出会い、ルルちゃんや岸本さん、そして慎吾に再会し、航生はどんどん実力を付けてきている。
担当さんは情熱と高い目標を持って仕事をしてくれて、そして俺達の気持ちにも大きな理解を示してくれて......
なんだかだんだん、腹よりも胸がいっぱいになってきた。
不意に隣から腕が伸びてきて、俺の頭が引き寄せられる。
気づいた時には、顔が充彦の胸に押し当てられていた。
「ちょっ、ちょっと...」
慌てて体を離そうとする俺の体をさらに強く抱き締めると、黙っておしぼりを渡してくる。
そこまでしてようやく、自分が涙を流していた事に気づいた。
このまま言葉を紡げば声まで震えそうで、しばらく口をつぐんでいることにする。
「さてと...じゃ、改めて打ち合わせに入りま~す」
ちょっと笑いを含んだ弾むような声を奇妙に思い、ふと充彦の胸から顔を上げる。
そこには、さも面白そうな笑みを浮かべた鬼と悪魔が俺達の方にハンディカムを2台差し出している姿があった。
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