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穏やかで優しい修羅場【充彦視点】
「狭いとこですいません。どうぞどうぞ、遠慮なしに上がってください」
ここがどこなのか、皆目見当がつかない。
案内されたのは、大きな通りを東側に少し入った所にある、決して綺麗とは言えないワンルームマンションだった。
きらびやかなネオンや看板がひしめいていたミナミからそう遠くは離れていないはずなのに、このマンションの周囲はそんな華やかさから取り残されているかのように全体が灰色に感じる。
彼の見た目や乗っている車とのギャップに少し驚いた。
「俺、部屋では麦茶くらいしか飲めへんので、今冷たいモンてそんくらいしか無いんですけど、構いませんか?」
「ああ、お構い無く。無理矢理押し掛けてきてるのは俺らなんだし」
「瑠威くんもいい?」
突然呼ばれた名前に、航生の肩がビクンと震える。
「あれ、間違いかな...ゴールドラインの瑠威くんやん...な? あ...もしかして、みっちゃんの前では言うたらアカンかった?」
嫌みだとかそういうつもりではなく、武蔵くんとしては『瑠威って名前は関西でも有名だよ』みたいな、ちょっと持ち上げるくらいの気持ちだったらしい。
現に、かつての名前を呼ばれて眉間の皺を深くしたまま返事もしない航生の様子に、顔色を変えながら慌てふためいている。
「ご、ごめんな。まさか内緒やとか思ってなかって......」
「武蔵くん、武蔵くん。別に内緒とかじゃないから、そこ全然気にしなくて大丈夫」
「......へ? そうなん...ですか? なんやぁ、良かった~」
「こいつね、瑠威だった頃の自分が大嫌いだから。プロとしての覚悟も努力もなんにもしてなくて、あんな仕事で金貰ってた事に後悔してるの。そんで、その頃の自分を知ってる武蔵くんに、何か嫌な事でも言われるんじゃないかってビビってるだけだよ。ちなみにゴールドライン辞めさせたのは、俺と勇輝だから」
「すいません...俺、あんまり愛想無くて......」
「かめへん、かめへん。俺もいきなり失礼やったよね。ごめんね」
小さな作り付けの冷蔵庫から麦茶を出して、武蔵くんはニッコリと笑いながらグラスを目の前に置いてくれた。
キッチンを入れても8畳あるかどうかという小さな部屋。
そこに、標準サイズを軽くオーバーしてる男三人が縮こまって膝を付き合わせているのがなんだか可笑しかった。
「武蔵くんて身長どれくらい? 180は超えてるよね?」
「185ギリ無いくらいですかね。うちの会社では俺が一番デカイんですよ」
「あ、すごい大手の制作会社なんだよね? ごめん、俺ゲイビ業界詳しくなくて......」
「いやいや、ノンケの人やったらそんなん当たり前ですって」
「航生は知ってるんだろ? その会社のモデルさんの事とかも......」
「勿論ですよ。俺がこの世界に入った時にはもう皆さんそれぞれ有名だったんですけど、2年くらい前でしたっけ...『JUNKS』での活動を本格的に始めた時とか、業界全体がほんとにすごいお祭り騒ぎになったんですから」
「ああ、そうか...今は瑠威やなしに航生くんやってんな...ごめん。ほんま俺、無神経やったわ。あと、あんまり褒めんとって、照れるし」
「いや、でもっ! ほんとにすごかったじゃないですか。ゲイビモデルが普通の週刊誌にグラビアで出たり、インディーズでCD出したり。俺、あの時...自分が情けなくて、でもだからって何をどうしたらいいのかもわからなくて、皆さん見てて泣きましたもん」
「それはなぁ...ゴールドラインにおったら、それでもしゃあないと思うよ。あそこの会社のやり方に問題があるんは有名な話やったし。もし航生くんがうちに所属してたら、もうちょい楽しそうに仕事できたと思うわ。てか、もっと人気も出たはずやで」
「ちょっと待って。慎吾くんってCD出してたの? そもそも、JUNKSって何?」
わけがわからないと言う顔をしてたんだろう。
俺の方を申し訳なさそうに見ながら、武蔵くんは一枚の写真を出してきた。
「うちの会社に、売上が常にトップクラスで『四天王』って言われてたメンバーがおってですね、ある日突然ユニット組まされたんですよ。歌えや踊れやセックスしろや...メチャクチャでした。まあ、元々普段から仲の良かった4人やったし、俺らもちょっとアイドル気分味わえたんで、あれはあれで楽しかったんですけどね」
なるほど。
そのグラビアは、それぞれイメージのずいぶんと違ういわゆる『イケメン』が体と顔を密着させ、カメラの向こうの誰かを艶かしく見つめていた。
「妖艶さが売りのアスカ、クールな兄貴キャラの俺、中性的で可愛いタイプの翔、ワイルドな肉体派の威...ほんま、よくもまあこない見事に毛色の違うメンツ集められたなぁと思いますよ」
「それってみんな芸名でしょ? 自分で付けたの? 航生は?」
「俺のは、なんか適当に関西の会社のモデルと被らない名前無いかって...スカウトの人が付けました」
「俺らはみんな自分で付けたんですよ。これもたまたまなんですけどね...スタッフとかが適当に考えたわけやなく、全員が思い入れの強い、好きな人の名前付けたメンバーやったんです。憧れの名前を背負ってるんやから半端な事はできへんて気持ちがあったからこそ、みんなそれぞれ頑張てこれたんかもしれないですね」
「慎吾くん...いや、この頃はアスカか。それはね、勇輝から名前の由来聞いたんだけど、武蔵くんは?」
「俺はマンガです。大好きなマンガの主人公が宮本武蔵やったんでそこから。翔はね、コイツ昔本気でアイドルになりたかったらしくて...で、一番好きなアイドルグループの一番好きなメンバーの名前なんですって。威は、少し前の特撮ヒーローやそうです、俺はあんまり詳しないんですけど。なんかね、正義の味方のはずのヒーローやのにシャレにならんくらいの悪で、おまけにめっちゃ強いキャラクターがおったんですって」
武蔵くんの指が懐かしそうに、そして愛しげにそのグラビアをなぞった。
その目は穏やかで、けれど切ない。
「みんなほんとに仲良かったみたいだね」
「良かったですよ...まあ、全員がライバルでもあったんで、意地とか見栄の張り合いもそれなりに凄かったですけどね」
「それはやっぱり、売上で負けたくないとか?」
「そんなんちゃいますよ。売上だけで見たら、俺ら3人、アスカの足元にも及びませんもん。お二人とも、こっからの話が聞きたいんですよね?」
武蔵くんが胡座をかいていた長い脚をきちんと折り、背筋を正して正座の格好になる。
部屋の主だけそんな姿にさせるのも申し訳なく、俺と航生も同じようにきちんと正座になった。
「俺も翔も威も...ほんまに、ほんまにアスカの事が好きでした。いや、たぶん今でも誰も諦めてない...航生くん、すいません。少なくとも、俺は今でもアスカが好きです。アイツを手に入れたいって、いつか大阪に連れ戻すって本気でまだ思ってます」
睨み付けるように真っ直ぐ向けられる武蔵くんの視線をしっかりと受け止め、そしてその目と同じくらいの力を込めて、航生はじっと武蔵くんを見つめ返した。
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