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癒されたい、赦されたい【勇輝視点】
タクシーを降りて自宅マンションの前。
一度ずーっとマンションを見上げて、俺はもう何度目かわからない大きなため息をつく。
なんだか本当に今日の仕事は疲れた。
別に本番連チャンでザーメン空っぽとか、そんなんじゃない。
それどころか、今日は一回も射精なんてしてない。
寧ろそっちで疲れる方がずっと楽だ。
ありがたい事に人よりずいぶんと丈夫なこの体は、肉体的な疲労なら旨いモン食って、ゆっくり風呂で筋肉を解してから布団に潜り込みさえすればすぐに回復する。
でも、今日の疲れはちょっとやそっとで解消できる気がしない。
いわゆる『精神的疲労』ってやつだ。
当初の予定では、今日は普通にビデオ撮影の予定だった。
強姦からのソフト調教...と内容はちょっとアレではあるけれど、相手役もスタッフも見知った人ばかりで、気分的にはわりと楽な現場だったのだ。
それが、社長からの『しばらくはソフト系のビデオ出演とグラビアのみ』なんて仕事を制限され、俺が入るはずだったその撮影はうちの事務所の別の男優さんに差し替えられてしまった。
で、代わりに入っていたのが今日のグラビア撮影。
中堅出版社から出てるかなり内容エグめのアダルト女性コミック誌で、『女を蕩けさせる魅惑の体』とかって恥ずかしいタイトルでヌードになる羽目になったのだ。
実は、写真撮影はビデオに出るよりも苦手だったりする。
求められる役柄になりきればいいビデオと違い、グラビアだと何を求められてるのかが自分でわからないのだ。
『笑え』と言われたところで、それが恋人に向ける笑顔なのか友達に向ける物なのか、相手を喜ばせたいのか誘惑したいのかで全く違う。
だからカメラマンの要求がわからなければ、つい曖昧な表情を作ってしまうのだ。
しかし、いくら苦手とはいえただ写真を撮るだけなら、別にこんなに疲れたりもイラついたりもしない。
今回はこの写真にインタビューも載せたいってことで、自称『女性の為の風俗ライター』を名乗る女が同席することになって...この女に心底ムカついたのだ。
スタジオに入る前からインタビューがあることは聞いてたから、それ自体をどうこう言うつもりはない。
ただこのインタビュー、社長から『過去の話とか、充彦との詳しい話については完全NGにしてあるから、万が一聞かれても答えなくていい』と言われていた。
過去の話については、元々あまり俺が語りたがらないのは業界内では知られている事だし、この部分に関して詳しく触れないという事はある意味暗黙の了解になっている。
充彦との出会いや日常に事については、今度の写真集の中でロングインタビューを掲載する予定になってるから、今はあまりネタを流出させたくないのだそうだ。
なんにせよ、これらの話は今回のグラビアコンセプトである『女性を蕩けさせる』云々には直接関係ないからそこはNGでも構わないというのが編集部の方針で、それならって事で仕事を受けたらしい。
まあありがたい事に、今は『アイドルAV男優』を雑誌に載せると売上が伸びる時代だから、それほど多くはない駒をどの雑誌も取り合いをしている状態だ。
多少の譲歩をしてでも、この『アイドル男優』のヌードグラビアは外したくないコンテンツだったんだろう。
で、スタジオに入った時から今一つ気分の乗らない空気は感じていた。
コミック誌という事で普段あまりグラビアを載せる事が無いからなのか、カメラマンもコーディネーターも編集部の人間も、なんだか素人感丸出しだったのだ。
女性ばかりのそのスタッフ達は、み~んなちょっと下世話で興味津々な顔で俺を見る。
見られるのが俺の仕事だし、別にそんな視線をどうこう思うことは無いんだけど、あまりにミーハーな素人感覚で現場にいられると、それでなくても苦手な写真撮影にますます気持ちが入っていかない。
『女の子を口説くみたいな顔して』なんて一応それらしい指示はしてくるけど、こちらの表情がその要求に応えられているのかどうかもわからないままシャッターが切られるたびにキャーキャー黄色い声が聞こえて、これにはほんとに色々萎えた。
普段俺の写真撮ってる人なんかだと、撮影のやり方も俺に対しての指示の出し方もわかってる。
そんな人達からすれば今日の顔は確実にアウトな物だったろうけど、『素人さん』達にはそれでも十分満足な出来だったらしい。
その撮影の段階で、俺のお疲れ度数は既に50%まで上がった。
おまけに、一度脱いだ服を着直す為に袖を通してる最中には、『腹筋とか触らせてもらってもいいですかぁ~♪』なんてぬかしやがる。
マジで頭痛い。
ファンの子に言われる事はある。
なんせ俺の筋肉も体のラインも売りの一つだ。
その時は喜んで触らせる。
寧ろ、改めて服を脱いでみせるかもしれない。
自慢じゃないが、ファンに対しては『神対応』ってやつで有名だ。
AV男優に対して『ファンなんです』って言うのは結構勇気がいると思う。
イベントに参加するにしても、相当な気合いが入ってるからこそできる事だろう。
だからファンに対しては『本当にありがとう』って気持ちを込めて、大概のリクエストには応えようと思ってる...よほどの無理難題でない限り。
しかーしっ!
俺の腹を嬉々として触ってる奴らは、全員仕事の為にその場にいるわけだ。
みんな本来はプロでしょ?
なんかそんな素人感が堪らなく嫌だなぁって、本当に気分が悪くなった。
いつまでも腹から手を退けようとしない彼女達をさりげなく交わしさっさと私服に着替えれば、そこからは椅子に座ってのインタビューだった。
いやぁ、でもほんとビックリ...自称風俗ライターさんたら、俺の腹を触ってる女の中に平然と混じってたんだから。
ライターだよ?
それも『風俗ライター』名乗ってんだよ?
それなのにAV男優の体見てキャッキャはしゃいでるなんて、よくそれでライターだって言えるよなぁってムカムカする。
それでも俺は、精一杯の営業スマイルで頭を下げた。
だって、そんなライターが書いた記事であっても、俺の名前が出てるだけで興味を持ってくれるファンの人がいるかもしれない。
俺はファンの求める姿を見せる『プロ』だから...ちょっとイラつく気持ちくらい笑顔で誤魔化す事はできる。
なんとか最初のうちは、ちゃんとコンセプトに沿った『女性の体も心も蕩けさせるテクニック』なんてテーマを中心に話は進んだ。
俺も自分なりにAVの仕事をする上で気を付けている事など、丁寧にきちんと答えたと思う。
流れがおかしくなりだしたのは、その直後くらいからだ。
「初体験ていくつだったの?」
これが本来のこの人のインタビュースタイルなのか、口調が急にくだけたものに変わり、どこか相手を見下すような雰囲気を醸す。
そしてここぞとばかりに俺の過去を探るような質問が出始めた。
「最初は女性? 男性?」
「最初から男性の方に興味があったの?」
「この世界に入るまでは、どんな生活を送ってたの?」
どの質問にも曖昧に笑ってひたすらお茶を濁そうとする俺の態度に、彼女の方が多少焦れたらしい。
「今は、あのみっちゃんと同棲してるんでしょ?」
「出会った頃は遥かに格上だったみっちゃんに、どうやって声かけたの?」
こういう質問てオールNGじゃなかったのかよ...俺はもう作り笑顔も忘れ彼女の質問を完全に無視しながら、机の下で社長にメールを送った。
社長からはすぐに、現場の責任者に約束と違う旨を抗議するからスタジオまでくると返事が入る。
俺はそれでも、せめて答えられる質問だけでも答えようと話は聞いたけど、彼女はわざと怒らせて本音を聞き出そうとでも考えたのか、その口から出てくる内容はますます眉をしかめるような物になっていった。
「みっちゃんて元々ガチノンケじゃなかったっけ?」
「そんなノンケのみっちゃんをモノにしたテクニックは?」
「人気男優だったみっちゃんに本番NGとかさせといて、自分はいまだに普通にビデオに出てる気分は? 罪悪感とか感じない?」
「やっぱり勇輝くんが受け? ネコだよね? まさかあのみっちゃんが下のお口いっぱいにされてアンアンとか想像つかないし」
ひたすら、『その辺はお答えできないですね』『今回のコンセプトに関係なくないですか?』と引き攣る笑顔で返す。
けれどもうそろそろ、俺の我慢も限界だった。
「そう...じゃあ今回のコンセプトに関係のある話にするわ。女だけじゃなく、男のみっちゃんまでも蕩けさせる体を持った勇輝くん。みっちゃんをメロメロの骨抜きにしたテクニックって、やっぱり『売り』やってた頃に磨いたの? だって、男たぶらかして貢がせるのなんて得意だもんね...ユクドラシルのユーキくん?」
してやったりの、勝ち誇ったような顔で笑う女。
『私は風俗ライターなのよ。表に出てない話だって知ってるんだから』
そう言いたげにイヤらしい笑みを浮かべながら、俺の目の前でクルクルとペンを回す。
ブチンと頭のどこかが切れるのを感じて...そこからは正直ハッキリ覚えていない。
気づいた時には社長に羽交い締めにされ、俺の足許にはパイプ椅子がひっくり返っていた。
当初はぶちギレて椅子を蹴飛ばし机まで放り投げそうになっていたという俺に猛然と抗議をしていたライターの女と編集部の女は、社長から『約束と違うから勇輝の写真は使わせない』と言われて顔色を変えた。
どうやら、『次号予告』なんてHPに俺の名前をデカデカと載せて、書店を通さなくても購入できる定期講読会員なんてのを募集してたらしい。
おまけに今日の撮影のオフショットをこっそりとビデオ撮影し、その定期講読特典としてDVDにして付ける予定だったとか。
今ここで俺の写真やビデオが一切使えなくなると困ると泣きつかれたが、正直同情してやる気持ちには欠片もならなかった。
契約については俺の知ったことじゃない。
写真の掲載やDVD特典を認めるかどうかは社長に任せる。
...まあ俺の怒りっぷりを見れば、社長がどう判断するのかは自ずとわかるというものだ。
ただもう俺は、この場に一瞬たりともいたくなかった。
「あんたらの性格もプロ意識の低さも、今まで一緒に仕事した人の中で一番酷いわ。俺、もし仕事だからあんたら抱けって言われても、絶対に勃たない自信ある。見た目じゃなくて、頭と気持ちがブスだから。ほんと最悪の女!」
そんな言葉を残してスタジオを後にした。
結局イライラモヤモヤした気持ちは、タクシーに乗ってもマンションに着いても、一向に収まらない。
やっぱり充彦は、俺にたぶらかされたって事になるんだろうか...とか。
俺の前職のテクニックとやらで充彦を使い物にならなくしてしまったんだろうか...とか。
そんなことはない、俺達はちゃんと気持ちで繋がってるんだって思いながらも、やっぱりあのムカつくライターのしたり顔と言葉が頭をグルグル回る。
こんな気持ちで、こんな顔のまま充彦に会うのは辛いし申し訳ない。
でも、俺にとって今のこんな気持ちを癒してくれる存在が充彦しかいないのも間違いない。
「よし、帰ったらまずチューしてもらおう」
もう一度大きく息を吐き、パンパンと頬を叩いて今の俺ができる精一杯の笑顔を作ると、何も無かったふりで勢いよく部屋のドアを開けた。
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