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圧巻の全員集合【勇輝視点】
アズールに到着し厨房に入ると、充彦と航生の顔つきは一変した。
女を蕩けさせる色気溢れる顔ではなく、普段の明るく微笑んでいる時の穏やかな顔でもない。
てきぱきと手元の食材を切り分け、きっちりと計量し、そして店のスタッフに端的に指示を出す。
その顔は、まさに仕事人の顔だった。
凛々しくて厳しくて、けれど『手伝っていただいている』という姿勢は崩さない。
この姿を見て、一体誰が彼らを『AV男優』だなんて思うだろう。
これから目指そうとしている世界こそが二人の本当にいるべき場所なのだと改めて実感させられる。
「見とれてんの?」
隣からかけられた少しからかうような声に、片方だけ眉を上げてチラと視線を向ける。
「まあ、しゃあないわな...それでなくても男が台所立ってる姿ってかっこエエのに、それがあの二人なんやもん...見とれるっちゅうか、ほんまに惚れ惚れするよね...なんかめっちゃ生き生きしてるし」
「まあな...あれがあの二人の本当の姿だから」
慎吾は、航生からどこまで聞いているのだろう?
何も知らないとすれば、今俺が勝手にアイツの夢を口に出すわけにはいかない。
俺の言葉に、慎吾は特別反応を見せる事は無かった。
少しだけ口許に笑みを浮かべ、バーカウンターに道具を並べている。
「勇輝くん、こっちもとっとと準備せな終われへんで。あっちに人数取られてるから、バー部門は俺らだけでやらなあかんねやし」
「......そうだったな、悪い」
俺は手元の作業を再開させた。
シェイカーにバースプーン、ストレイナーにメジャーカップ。
ありがたいことにこのアズールは本格的なカクテルを出す事でも有名らしく、必要な道具もベースのリキュールも全て揃っている。
俺と慎吾はそれらを自分達が使いやすいように綺麗に並べ、充彦に頼んで買ってきてもらっていた完熟の色々なフルーツを丁寧にカットした。
手伝いはなくとも、圧倒的に手順の少ない俺達。
急いで準備を終わらせると、今度は会場の設営を手伝い始める。
その時、充彦の携帯が鳴った。
手の離せない充彦に代わり、俺が通話ボタンを押す。
表示された名前は...才木さん?
「もしも~し」
『もしもし? みっちゃん?』
「いや、勇輝です。今充彦、手が離せないんで。何かありました?」
『何かどころじゃないのよ...外に、もう30人以上並んでんの!』
「はぁっ!?」
壁に掛けてある時計を見る。
まだ9時を少し回ったところだ。
スタートまでには4時間あるし、入場開始の時間でも3時間...8月のこんな晴れた日に、影も無いあんな場所でずっと待ってるつもりなのか?
「どしたん?」
まさかこんな時間から並ぼうかってくらい熱心なファンがいるとも思ってなかった俺は、頭の中が軽いパニックを起こしている。
声をかけてきた慎吾に答えられないでいると、焦れたらしい慎吾は俺の手から携帯を勝手に取り、才木さんと話を始めた。
「はいはいはい...なるほど...それやと、店のオープンに合わせてのんびり出てくる人もおるやろうから、ほっといたら100人は余裕で越えそうやね...マズイなぁ......」
マズイなんて言いながら、慎吾の表情はいたって平然としている。
さすがはそういうイベントに並んででも参加してきた経験者というべきか。
「えっとねぇ、そのままほっとくと、列になってる女の子らの不満てちょっとずつ『運営が悪い』『行き当たりばったりで、イベントやるな』みたいな方向に伝染していくんよ。めっちゃイメージ悪なるし、すぐにネットにクレーム書かれるからねぇ...急いでこっちで対応考えるんで、才木さんは体調崩すような子がいてないかだけ気ぃつけといてください」
電話を切るなり、慎吾はスタッフに何かを頼み社長を呼んだ。
わけがわからずポカンとしている俺の横で椅子に座り、スタッフが持ってきた画用紙を広げる。
「お前...何...すんの?」
「ん? こんな時って全員完璧に満足させるっちゅうか、100パーセント不満消すとかいうことはできへんのね。ただ、できる限りこっちの誠意を見せて、来てくれてる人の体調も考慮する方法を考えたら、ここはもう整理券出すしか無いやん?」
自分の考えた事を話すと、マジックを手に何やら画用紙に書き始めた。
いや、整理券出すだけなら...別に普通に向こうで札作ってもらえばいいんじゃないの?
ぼんやりとその手元を見ていると、綺麗なわけではないけれど、少し丸っこくていかにも手書きの『ポップ』みたいな字で、鼻唄混じりにポスターらしき物を書き上げていく。
『皆さん、暑い中ありがとうございます。店内で整理券を配ってますので、それを受け取って、開場時間まで涼しい所で休憩しててくださいね』
文章を書き終わると、今度は敢えて空白を残した下半分にサラサラと絵を描きだした。
ありゃ、これはもしや...
「俺ら...?」
「あ、わかってくれる?」
「わかるも何も...めっちゃ似てるじゃん」
4頭身くらいに縮められた、俺達4人の姿。
マンガっぽくなってるけど、それぞれ細かい所で特徴をよく捉えてる。
さらに今度は画用紙に16等分のラインを引き、そこにも俺達4人の顔を描きだした。
下描きも何もなく、驚くほどのスピードで画用紙が俺達の顔で埋められていく。
「お前、こんな特技あったの?」
「ああ、言うてなかったっけ? 俺の出た高校って、商業デザインの専門課程やってん。ポップ描いたりポスター作ったりってのは、まあ本業? イラストはそない得意ちゃうけど、絵を描くのんは好きやからさ。あ、社長すいません。こっちの整理券用の紙を20枚ほどコピーしてから、すぐに才木さんとこに向かってください。パシりに使うてすいません」
「うお、なんじゃこら。慎吾、お前こんな特技あったのか?」
社長の目がキラキラしてる。
でしょうね...オッサン、こんな人間大好きだもんなぁ。
ゲイビ出てて、関西弁の淫乱キャラで、口が達者で芸達者。
おまけに実は一途で勉強熱心とくれば、変わり者が大好きな社長が興味を持たないわけがない。
色んな意味でご機嫌な社長は、無駄に白い歯を見せてニカッと笑った。
「おう、俺の方は構わねえぜ。これを才木さんに渡しゃいいんだな? しかし、お前らの方は大丈夫なのか...時間とか」
俺は一度厨房の充彦の表情を窺う。
「忙しそうだけど顔は焦ってなさそうだし、まああっちは大丈夫だよ。時間までには全部準備終らせて向かいます」
「おっしゃ。んじゃ、こいつコピーして渡すんだな、任せとけ」
でかいカバンとイラスト入りの画用紙を持って飛び出していく社長を見送ると、一先ず安心したのか、慎吾がドスンと椅子に腰を下ろす。
俺もすぐ隣にそっと座った。
「絵描くのが好きってのは昔聞いたけど、まさかあそこまでのレベルとは思わなかったわ」
「そう? でもねぇ、長い事ちゃんと描いてなかったから、なんか今になって手がプルプルしだした。変なとこに力入ってたんかなぁ」
「久々だったんだ? なんかそんな風に見えないくらい余裕に感じたわ」
「俺、勇輝くんと違って料理も家事もそこまで得意ちゃうし、勉強もできへんからね。でもさ...絵なんか描かれへんでもかめへんから...もっと航生くんの役に立てる特技があったら良かったのになぁ......」
やっぱりまだ航生から何も聞いてないのか?
勝手な話をしなくて良かったと思いながら、それでも少し落ち込む慎吾を励ましてやりたくてそっとその肩を抱き寄せる。
「大丈夫だよ...航生の夢にお前の絵はきっと必要になる。あと、お前のセンスも。だから今はなんも心配しなくてもいい...ただ安心して航生に甘えてろ」
「ありがと、勇輝くん。なんか俺、いっつも頼ってばっかりでごめんね」
「それもいつかわかるけどな...航生の夢は充彦の夢で、充彦の夢は俺の夢なわけよ。てことは、航生の夢を支えてくれる慎吾は俺にとっても大切な人なんだから...俺にも遠慮しないで甘えていいから。な?」
じっと俺を見つめてくる慎吾があんまり可愛くてその額にチュッと唇を押し付けた途端、『ゴホンゴホン』『ゲェッホッン』なんてひどくわざとらしくうるさい咳が二人分聞こえてきて、俺達は笑いながら小さく肩を竦めた。
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