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圧巻の全員集合【2】

結局、押し迫る時間の中、俺も慎吾も厨房に入る事でなんとか下拵えを終える事ができた。 急いで用意された車に乗り込む。 「着替えは向こうでいいよな?」 「それ、ほんと今更だから」 跳ねたトマトソースがシャツの裾に付いてしまったらしい充彦がブツブツと一人ごちる。 そんなもん、店で気付いてたなら着替えてくれば良かったのに、動きだした車の中でいつまでも不貞腐れられても困るのだ。 俺が軽くあしらったのが、どうやら充彦はお気に召さなかったらしい。 最年長にして一番図体のデカイ男が、シートにズブズブと背中をめり込ませ、指先でイジイジと手のひらに『のの字』を書いている。 わかってんだよ...わかってんの。 この拗ねてる顔は、絶対にわざと。 自分なりに神経を張り詰めて必死に頑張ったから、褒められたくて甘えたいだけなのだ。 特に、前のシートでは既に慎吾が航生をムギュッと抱き締めながら『キッチンに立ってる時の航生くん、やっぱりめっちゃカッコ良かったぁ』『準備の時間短うて大変やったね。お疲れさま』な~んてイチャイチャしだしたから、余計にイチャイチャしたいんだろう。 しかし! キッチンに入ってる姿はほぼ毎日見ているし、なんなら俺だって見せている。 今更カッコいいも何も無いだろう。 ......いや、まあ...実際カッコいいんだけどさ。 でも、来年からはあの姿こそが本来の姿になるわけで、更に先には他の職人さんを部下として使わなければいけない立場が待っている。 それがわかっているだけに、『キッチンに立ってる姿、カッコいい、キュン』なんて程度で誉めてやってもいいものかどうか。 ついでに、『気を張って短時間で頑張った』ってのも、普段の充彦の作業のムダの無さを見ていれば、決してあれは無茶な時間じゃないのはわかっていた。 勿論慣れない場所ではあるし、息の合わない初対面の人間に指示を出すという事で時間のロスが出る事も理解している。 けど、それを差し引いても、今日の充彦の手順には無駄が多かったと思う。 だからこそ、結局は俺までキッチンに入らなければいけない事になったのだ。 飄々としているけど、やはり緊張してるのだろうか? 初めてファンの人達の前で大切な話をしなければいけなくて、浮き足立っているのかもしれない。 誉めてやるのはどうかと思うけれど...美味しいエサでもぶら下げてやろうか...... 俺は相変わらずイジイジしている充彦の頬にチュッと音を立ててキスをすると、そのまま耳朶を口に含み、そこにフーッと静かに息を吹きかける。 「落ち着いてよ...な? ちゃんと着替えは車に積んでるんだから、向こう着いたら着替えよう? んで、みんなをガンガンに盛り上げて、ガンガンに楽しませたらさ...今日はいっぱいサービスするから。充彦のしてほしい事、なんでもしたげるよ」 『ね?』と目を見つめながら小首を傾げれば、そりゃあもう効果は覿面。 元気100倍、アンパ○マン!状態。 さっきまでのショボいイジイジ姿はどこへやら、もうすっかりビデオで見せる『女を落とす顔』になり、なんだか余裕で脚なんて組んでやがる。 最近の充彦は、航生といる時に目一杯先輩としての貫禄を見せようとしているせいか、俺と二人だと結構甘えたり拗ねたりイライラしたり、昔よりも子供っぽい所を出すようになった。 まあ充彦に言わせれば、俺も以前よりかなり甘えてるらしいけど。 そういうの、全然嫌じゃない。 充彦が俺に、『もっと素直に甘えろ』って言ってくれてた気持ちがよくわかる。 甘えたり拗ねたりって感情の起伏を見せるって事は、それだけ俺に弱点を晒してくれてるわけで、それだけ俺を信頼してくれてる証拠だ。 何より、自分の感情を受け止められない人間に、素直にすべてを任せて甘えるなんてことはできない。 それだけ俺を全面的に信じて頼ってくれているんだと思えば、当然そこに悪い思いをするわけがなかった。 ただなぁ...ちょっとだけ疑問。 『なんでもして欲しいことをする』ってのは、そんなにテンションが上がるもんか? 俺...普段から相当いろんな事してるよ? あれ以上のリクエストなんて、何があるんだろう...怖いような、楽しみなような。 ......ヤバいヤバい、まだ昼だってのに、息子が元気になりそうになった。 「二人とも、いつまでイチャイチャしてんの? もうボチボチ着くで」 さっきまでガッツリイチャイチャしてたバカに釘を刺されてしまった...とりあえずお前だけには言われたくないから! 俺達を乗せた車は、メディア館の裏側の細い道をゆっくりと進んでいく。 「...整理券、渡してるんじゃなかったのか?」 「うん、渡してくれてるはずやねんけど...ちょっと俺、みんなの人気読み違えてたみたいやね。甘かった甘かった」 そう、整理券を館内で配布してもらって誰も待っていないと思っていた入り口には...熱心に何やら写真を撮っている女の子の集団が陣取っている。 「お前あれ、お前の描いたポスター撮ってんじゃないの? そしたらアレ、逆効果じゃないかっ!」 「ちゃうちゃう、あの撮影はついでやって。あれはいわゆる『入り待ち』っちゅうやつやん。素顔のみんなを一目見たいって集まってんねんて。まあ、あんまりああいうのはほんまは感心はせえへんねんけど...んでも車降りた瞬間から、もうお仕事やで?」 「りょーかい!」 「オッケーです」 「んじゃ、いっちょ派手にときめかせちゃいますか」 全員が一瞬だけ鏡に視線を移し、髪型と表情をチェックする。 「さあ、楽しもうぜ」 充彦の声を合図にカバンを肩に掛けるとスライドしたドアから順番に降り、歓声を上げた女の子達の前に敢えて4人で一列に並んだ。

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